■■■ FOOL'S MATE 19965.1月号 ■■■TAKURO + TERU
[ プラスとマイナス引き合う如く ]
※流石5年前・・・。今と意識が全然違うような感があるお二人です・・・。(^^; 言葉も・・・古い表現等ありますが、それは日本語の流行廃りが早いということで。それでは始まり〜。 TERU:今はGLAYのTERUに近づけたいなって思ってる。「普段がカッコいいから、GLAYの時もカッコいいんだ」って思われるような人間になりたい。だって、「普段がカッコ悪くて、ダサイじゃない?」」って思うような人が、テレビや雑誌に出てる時だけカッコいいのは、1番カッコ悪いと思う。普段もカッコいいから、「いろんな場所に出てもカッコいいんだ」っていうのが、「1番カッコいいんじゃないかな?」って、今は思いますけどね。 ---と、いうことは買い物に行く時もキメキメくん? TERU:(笑)キメキメっていう程じゃないけど、あんまり変わらないですよ。今は変わらないようにしてる。 TAKURO:デビュー前にカメラマンの人に言われたことを思い出すんだけど、「どういう写真がやりたい?」って聞かれたから、「そうですねぇ、バシッとスーツを着てカッコいい感じで写して欲しいです」って言ったら、「それは無理だよ。普段からスーツを着てない奴が、いきなり着たって、よく撮れるわけがない!」って言われて、頭が下がった。その時に俺の意識って、もしかしたら、180度変わったかもしれない。普段からカッコ悪い奴が、カメラの前だけカッコいいののは、土台無理な話なんだよね。自分がスーツでカッコよく見せたいんだったら、「スーツを四六時中着てやる!」って思った。さすがに、近所へタコ焼きを買いに行く時は着ないけど(笑)。それ以外だったら、切り替わらないよね。俺はイメージと実像は違うと思うけど、希望としては、同じでありたい。カッコよさだけじゃなくて、みじめさも、みっともないところも……それを受け入れてもらいたいな。 TERU:俺、一時期だけど切り離したいと思った時があったな。その時は「GLAYの時に自分を作ってるんじゃないかな?」って思って、だったら普段はとことん地で、やりたい格好、ダサイと言われても「着たいものを着てみようかなぁ?」って思って実行した。案の定、「GLAYのTERUじゃない」って言われて……。 TAKURO:だって、あまりにも極端で。反動だったんだろうけど、あまりにも、あまりにも、あまりにも(笑)。 TERU:(笑)それで、また意識が変わってきて……変わりやすいからね。今度は普段に近づけていけば、きっとそういうギャップもなくなって、自分でも迷わなくても済むんじゃないかなって。GLAYのTERUを人間らしくしていって、普段の俺をGLAYのTERUらしくしていけば、いつか接点があるんじゃないかなって。 TAKURO:それ(TERUがとことん地だった頃)って半年位前だったよね?でも、あまりにも、って感じだったなぁ、あれは(笑)。 TERU:(笑)なんかね、耐えられなかったんですよ。雑誌で見る自分と、まだそこに追いついてない普段の俺に。 TAKURO:中途半端さを嫌ったらしい。 TERU:そう。 ---それで周りからブーイング。 TERU:それもまた、ハッキリ言わないんですよ。「じゃあ、どうすればいいの?」って。 TAKURO:泣き言いうなっつーの(笑)。 TERU:いっそのこと、「髪でもバッサリ切るか」って。でも見せてる自分がきっと全てなんだな、周りがそう言うのも「見せたい」と思ってる自分の姿が間違ってるんだと思って、自分の姿を高めていこうって、最近思いました。 TAKURO:そういう差っていう部分では、俺はあんまり変わらないよ。悩んでたら、「悩んでる」って言うしね。だから先月くらいに出た雑誌なんてメチャクチャだよ(笑)。「最悪です」とか。俺は自然にやってるほうだと思うな。なんて言うのかな?そういう話になってくると、リアリティの問題になっちゃうんだよな。自分の中のロック観があって、別にギターが歪んでようが、リズムが重かろうと、俺にとってはどうでもいいの。きっと人とはロック観は違うんだろうけど、自分のなかでのロックっていうのはリアリティの問題だから。自分が本当にそう思ってるかどうか?それが歌になっているかどうか?たとえ歌の中は物語だとしても、そこに自分の主観がどの位入ってるか?が問題。いくらエレ・ドラ(エレキ・ドラム)で、「トンカン、トンカン」いってようが、そこに歌い手の、そのバンドなり、その人なりのリアリティを感じるなら、そこでロックだとか意識しないだろうけど、好きになっちゃうしね。言葉にするなら俺のロック観ってそういうこと。だからこそ、音だけは嘘つかないし、真っ裸。それは譲れない最後の一線っていうのかな?それがなくなっちゃっったら、ダムに穴があいて決壊しちゃうよね。 TERU:俺はロックなんて、全く関係ないな。結局、決めるのは聴いてくれる人達でしょ?俺は歌を歌ってるから、その言葉の持ってるパワーとか、自分がその言葉を聞いた時に、「なにを歌いたいんだろう?」っていうのと……あとは自分の気持ちを歌えれば、それだけでいい、たとえ、メンバーがロックということにある種こだわりを持っていても、「ヴォーカルとして伝えられるものが伝えられたら、それでいいんじゃないか?」って思う。そういう意味だと思うんだ。 TAKURO:逆にそれが俺にとってのリアリティ。俺が哀しい曲を書こうが、美しい曲を書こうが、楽しい曲を書こうが、俺にはあまり関係ないのね。だから、俺が「前向きに頑張ろう!」っていう曲を書いたとしても、彼がそういう気分じゃない時は、言葉じゃないところで哀しい感情で歌うじゃない?それなんだよね。「いや、俺はプロなんだから、TAKUROがこういう前向きな歌詞を作ったんだから、俺も前向きに歌います!」っていうのはハズレちゃうんだよね。そこで「関係ないよ」って公言してるところが、俺は好きなんだ。俺がどう思おうが、それはそれでいいんじゃない?でも俺は「楽しく歌うよ」っていう勝手さ? TERU:(笑) TAKURO:っていうか、ワガママさ?それが、GLAYの魅力のひとつなんじゃないかな?って凄く思う。決して俺の代弁者ではないぞって。だけど……やっぱりまだまだ誤解されてるなって思うな。TERUのことを俺の代弁者として見てるっていうか……。 TERU:誤解されてることはいっぱいありますよ。GLAYの内面的なことを知らない人達は、やっぱり外見的なところで捉えてるだろうし、CDに載ってる作詞、作曲のTAKUROっていうクレジットしか見てない人には、何も解ってもらってない気がするな。俺達が一生懸命演奏して、歌っても、「作詞、作曲はTAKUROさんですよね」って。そういうとこでしか見てなくて、(音楽的には)TAKUROのワンマン・バンドとしか見てない人が大半を占めてるだろうし……でも、中に入ってきてくれた人達には解ってもらえると思う。「歌自体、哀しいものかもしれないけど、なぜかTERUくんが歌うと楽しく聴こえるんだよね」っていう時は、「俺が歌ってる時、楽しかったから、楽しく歌いました」でしかないんだ。言葉の意味をちゃんと消化してても、「俺にはこういう経験がないから、TAKUROがそういう経験をしてるのなら、俺が励ましてあげよう」っていう歌い方をしたり。結局は「歌で何を表現したいか?」っていうこと。曲を聴いた瞬間に「私もこういう哀しい思いをしたことがあるけど、TERUくんが、応援してくれてるみたいで凄く嬉しい」っていうコも一杯いたり……今回の(シングルの)『生きてく強さ』でも「毎日代わり映えのしない生活をしてたけど、何かやりたいと思った時に、この曲を聴いて、やる気が湧きました、頑張ってみます」っていう反応もあったしね。だから、TAKUROの言いたいことと、俺の声っていう二面性を持った音楽っていうのが、GLAYのいいところなんだと思うな。 ---確かに、作詞、作曲がTAKUROくんだから、「TAKUROくんのワンマン・バンド?」って、誤解されるかもしれないけど、実際に音を聞いて、らイヴを観ていくと、決してそうじゃないってことが分かると思うんだけどな。それにTERUくんは、TAKUROくんの気持ちのままでは歌わないものね。 TERU:そう、逆にその気持ちのままでは歌いたくない(笑)。 TAKURO:それが一番顕著に表れてるのが、今度のアルバムに入る曲の中の1曲。どうしようもなくて、みじめで切羽詰まってて、カラ回りしてる時に、書いた曲があったのね。で、TERUがなんて言ったかっていうと、「この曲はTAKUROを励ます気持ちで歌います!」って。救われたよね……その時に初めて。そういうもんなんだなぁって。俺が何をして欲しかったって言ったら、一番それを欲してたんだ。もしかしたら、手をさしのべてくれるのを待ってたのを、彼が歌で表現してくれたことが、今回のアルバムの最大の収穫だったんじゃないかな?それがたぶん、俺がGLAYに求めてるもんなんだ、だからこそGLAYをやってるんだなって凄く感じたな。その曲には、俺の気持ちなんかひとつもないと思うよ。今、思うと、そうしようもなくて、言葉が並んだものだと思うんだ。そのどうしようもなくて、カラッポの歌に意味をつけてもらったのは凄くデカイな。 TERU:もしかしたら、自分の中で変にやきもちを焼いてたのかもしれない。これだけTAKUROと長くいるのに、何も解ってなかった自分がいるってう。TAKUROの、そのどうしようもない切羽詰まったことを、聴いてくれる人にゆだねちゃうっていうのが、凄くイヤだったのかなって思う。だから俺の中で、その気持ちを消化して、まずTAKUROのために歌うよって。それをTAKUROに返すことで、その曲を聴いてくれた人達は、TAKUROと俺の「TAKUROにしてあげたい気持ち」のやりとりを感じてもらえるんじゃないかな? TAKURO:傍観者ではあるんだけど……なんか映画を観るようなもんだよね。俺もファンになったよ、GLAYの(笑)。 ---(笑)それはやっぱり、2人の12年間というつきあいの結果でもあるんじゃない? TAKURO:かもね。だからGLAYである前に、友人TERUに助けてもらっった。「あぁ、一人じゃないんだな」って。「一人で生きていくんだ!」って、東京にきてからずっと思ってたから。俺はこのバンド活動を、あえて仕事って言うしね。JIROは「バンドは仕事にしたくない」って言ってて、「好きなことをやって、やりたければやる、やりたくなければやらない!」っていうバンド観を持って、まっすぐ生きてるけど、俺はあえて仕事だって言ってる。仕事につきもののイヤなこと、納得いかないことが山ほどあっても、俺はそのことに対して、「ひとつひとつ解決していこう!」ってタイプだから。そこで煮詰まってたんだけどね、仕事なだけに。でも、そうやって歌ってもらって、助けてもらったのは、この仕事の醍醐味でもあるな。 ---前から思ってたけど、2人が持ってるものの違いが、そういう醍醐味を生んでるんだと思うな。互いに持ってないものを持ってると思うし。 TAKURO:それはあるね。やりたいうヴォーカリストも他にいないしね。今これだけバンドがあって、過去も現在も未来もいろんなヴォーカリストが存在するんだろうけど、曲を作る段階で、彼の声が鳴ってる位だから。 ---プラスとマイナスじゃないけど、お互いに魅かれてるんだと思う。 TAKURO:多分、俺がマイナスだ(笑)。 TERU:(笑)2人共、全く違った考えを持ってるしね。 TAKURO:だからぶつからないんだよね。 TERU:そうそう(笑)。 TAKURO:世界が全然違うから(笑)。だからぶつかりません。例えば「ここのコーラスは絶対にこれがいいんだーっ!」って思ってても、TERUはそこはどうでもいいの。 TERU:(笑) TAKURO:だから意見が衝突したっていうのは、今までないね。 TERU:うん。きっと価値観が違うんでしょうね。「何を大切にするか?」っていう。 TAKURO:互いにどうでもいいことにこだわった後に、「川でも行くか」って一緒に行ってたりするしね(笑)。俺はそれでいいと思う。だから、そこの言葉がどうとか、メロディがどうとか、アレンジがどうとかじゃなくて、やってる人間の意識がどっちを向いてるかが、一番お客さんがリアルに感じるところだと思うんだ。いくら名曲を演ろうと、バンドの雰囲気がまずかったら、それは感じるでしょ?だからそういう空気?ファースト・アルバムにはなかった空気が、今度のアルバムには入ったと思う。臨場感っていうのか、楽屋の雰囲気とでも言いましょうか。あまり24歳にもなって、仲良い、仲良いって言うことでもないんだけど……(笑)。 TERU:(笑) TAKURO:俺ら、仲良いですよ〜。ハズかしいんだけど、そういうのが入ってる。 TERU:たまに「君達って本当に仲良いんだね」って言われるしね。雑誌の仲で「仲が良い」って言ってても、実は仲良くなかったりする場合があるじゃないですか?そう思われてたみたいで(笑)。変に仲良い、仲良いって言っちゃうと、「きっとバンド内に何かがあるんだ!言葉でごまかそうとしてるんだ」って思われちゃうみたい。 ---でも12年も付き合ってるんだもん、イヤなところも互いに認めあってるでしょ? TERU:そうですね。 TAKURO:「ヤな奴〜」で終わるからね。それに言えるしね「最悪だよ」って(笑)。 TERU:よく言われるのが、「それは友達出来ね〜よ」って。 TAKURO:「マジ、友達なくすよ!」って(笑)。HISASHIと話してても、「口過ぎんぞ、このやろーっ!」「スマン、スマン」とかね。 TERU:たまに俺みたいな性格だと、バカにされても、右から左へ流れていっちゃうから、逆にTAKUROが気を使って「怒ってもいいんだぞ!」って。 TAKURO:「TERU、こういう時は怒ってもいいんだぞ!」って(笑)。 TERU:「得な性格してる」って言われますよ。 ---っていうか、例えば悩んだりしても、それをどんどん自分の中で解決していっちゃう感じでしょ? TERU:ですね。それも価値観っていうか、悩んでる姿を見せるのが、カッコ悪いと思いこんじゃってて、自分の落ち込んでる姿を見られるのが一番嫌い。だから自分の明るいところを見せていきたいなって思う。 TAKURO:出しすぎ! TERU:TAKUROはね、そういう幸せなところとか、明るいところは、結構隠したがりますからね(笑)。 |