2004.04.05 (月) 「GLAY
EXPOを振り返る その1」 第79回
TA:ぇーみなさんこんばんわっ。GLAYのギターのTAKUROです。
ぇー4月に入りまして、1発目の放送の今日。
ぇー桜もですね、満開になりましたけれども、ホントにみなさん・・・お花見などしたのでしょうか。
ぇー僕らはですね、それどころじゃありませんのでねぇ。
10周年ってこんなに忙しいのかっていうことを、日々実感しております。
移動車の、窓から眺める桜。
それが今年の俺達の桜になりそうですが。
今日はですね、久々に1人ですね。
ぇー先週はメンバーが来てくれましたけれども。今日は1人で頑張ります。
そしてですね、ぇー改めて、お知らせしたいと思います。
3月の23日にですね記者会見をやりました!
それはですね、7/31に、3年振りとなるEXPO。『GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN “THE
FRUSTRATED”』を発表するためにやったんですけども。
いや、あのぉ・・・・非常に緊張したー・・・記者会見でしたけれども。
ま、それでもあのぉ、EXPOにかける思いは、ぇーちゃんと言えたんじゃないかなと思います。
で、リスナーのみんなは僕達GLAYのですね「EXPO」という言葉。これに対しては熱い思いを持ってくれていると思いますが。ま、この番組でもね、あのぉ、あちらこちらで「EXPO」「EXPO」っていう風に言ってきました。
でも俺はひとつ忘れていた。俺は間借りの身だってことを。ヤドリカヤドリカだってことを忘れていた。
はい、あのぉ〜・・・ラジアンリミテッドファン、「EXPOって何だ?」と。
実はここに一通のメールがきていまして。
長万部町のユイトオルさんからですね、「EXPOって何?」と。
「TAKURO君はいつも言っているけれどもこれは何なんだ?」と。
あのぉ〜声がありまして、このRADIO COMMUNICATION DX、1人のリスナーの声を救いますから。
今週はですね、GLAY EXPOの歴史を、紐解いていきたいと思います。
10分の中で、語りきれるかどうかわかりませんが、EXPO EDUCATIONという企画をお届けしたいと思います。( ̄ー ̄)
まず初日の今日、やはり、第1回目でしょうか。第1回目のEXPOを振り返ります。
『GLAY EXPO
'99』
1999年、7月31日に、幕張メッセ特設駐車場でですね、ぇー20万人を動員して行われたライブ。
はい。これは記念すべき1回目のEXPOなんですけれども。
これはですね、あのぉ〜・・・・そもそも「EXPO」。EXPOってタイトルをつけたのはHISASHIなんですが。
これはあのぉ、彼が子供の頃に見た茨城県は「つくば万博」。(EXPO'85
開催当時は「つくば駅」があったかと。現在は「荒川沖駅」だとか。荒川沖・・・1度だけ降りたことあるなぁ。(^^;)
これのですね、華やかなイメージが強烈にあったらしくて。前々から僕らが「人の海の前でライブをやってみたい」「大勢の人達とコミュニケーションしたい」っていう、「大規模なライブのことを、どんなタイトルにしようか?」って考えてた時に、HISASHIが、「EXPOがいいんじゃないか」と、提案してくれまして。
もぉ・・・その場で、・・・決まりましたね。
それがあのぉ〜「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」なんですけれども。
・・・・当日はとにかくねぇ!あのぉ〜・・・忙しくて、アッという間に終わったっていう・・・・のがあるんですけど、やっぱりね準備が大変なのがEXPOの特徴ですね。
あのぉ、まぁ僕達・・・も相当なプレッシャーはあったんですけれども、やっぱりスタッフのぉ〜人達なんかはもぉ、・・・・もちろんあの東京のイベンターの人が受け持ってたんですが。
もぉ・・・月に、・・・20日ぐらいは、千葉県の、役所に行ったりとかね。
で、あのぉ・・・やることがとにかく大きかったし、初めてだったので、誰も、やり方がわからないという状態で。
これホントに真面目な話、千葉までの定期を買って(笑)、車だと時間が読めないってこう、電車で行ってたっていうね。それを半年間!
ちなみにその後あのぉ、2001年と、そして今年2004年にやるんですけど。
間違いなくスタッフは痩せますね。
これ、「EXPOダイエット」っていう言葉があるぐらいですから。
で、あのぉ・・・準備をーやり、前日を迎えて。
特設本部。このスタッフの本部に激震が走ったって話も聞いたんですけど。
あの、一応ロープで区切りました、こう、ブロックごとに。
そのブロックを、例えば、「A-5」とか書いてあんじゃん?
あの紙をー、張り忘れた!っていうかー、発注し忘れたってことに気がついてー、その日の夜にー、スタッフ100人ぐらいが、千葉中のコンビニに行って、あの、画用紙と、太ペンを買って、「Aブロックの何、Bブロックの何」っていうの徹夜でこう・・・貼ったっていうね。(^^;
あそこまでちゃんと準備をしたのにも関わらず、そういう基本的なことを忘れちゃうのも、ぇっとEXPOの特徴ですね。
これ2001年の頃にもまたそういった事件があったらしいんですが、もぉ随分後になってから聞いたんですが。
ホントにあのぉ、当日は、これはDVDなんかでもご覧になられるように、TERUがもぉ最初から「俺は感動している」と。(^^)
「早すぎるよ!」っていうみんなのツッコミもありながらも、でも、俺も同じ気持ちでしたね。
ぁのぉ・・・何て言うのかな・・・こう・・・、1番最後まで450mぐらいありまして、みんなの上げてくれるこぶしがこう、時間のズレによってパラパラパラッとドミノみたいに変わっていく様っていうのは、ホントに〜今でも、まぶたの裏に焼き付いております。はい。
そうですね、'99年の、EXPO。
あれをやったことによってGLAYはー、確実にあのぉ〜・・・、ひとつの時代に終わりを告げなければいけなくなりましたねー。
何かこう、少年期から、次の段階にいくような。
ま、言うなれば僕が中学生の時に見ていた夢が、ひとつ叶ったわけで。
その後〜、しばらくの間、ちょっと喪失感っていうのかなぁ?達成感からくる、ちょっと脱力感っていうのかな。
それでー、2000年には、GLAYは再び〜自分達を見つめ直すため、取り戻すために「HEAVY GAUGE」という・・・90本近いツアーに出ることになりますね・・・・。
今でも、あの暑い夏の日は、ホントに、昨日のことのように思い出すことが出来ます。
ということでですね、曲いきましょうか。
この曲を、演奏した時に、本当に、幕張でやって良かったなと感じました。
GLAYで、「Summer FM」。
◆Summer FM : GLAY
TA:ぇーさて、EXPO EDUCATION。
ぇー明日はですね、「GLAY EXPO 2001」を振り返っていきたいと思います。
ぇーそしてここでお知らせです。
ぇー今週3日間、「EDUCATION」と題しまして、EXPOの歴史を紐解いているんですけれども。
ぇーと明日の4/6までですね、今年の7/31に行われる「GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS
JAPAN “THE FRUSTRATED”」っていうことでですね、大阪のUSJで行われるGLAY EXPO 2004、これのですね、先行予約を行ってます。
ぇーこのチケットにはですね、2種類ありますので、ぇー気をつけてくださいねっ。
あの、いわゆる通常のライブのチケットと、そのUSJのアトラクションにも乗れるパックチケットですね。
ぇーこのチケットに関するお問い合わせはローソンチケット、0570-000-403までお願いします。
ぇー引き続き、この、RADIO COMMUNICATION DXではですね、みなさまのメッセージをお待ちしております。
ぇーアルバムも出たので、それの感想なんかも聞かせてください。
っということでですね、また明日逢いましょう。TAKUROでしたっ。ばいばいっ。
※ TAKUROさん GRC DX BBS。今日の「ひとこと」。(^^)
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題名 GLAY EXPO 99 サバイバル
ラジオネームTAKURO 日時 2004 年 4 月 06 日 02:00:44:
俺はこの日オニギリ1コで乗り切った!
あの時皆は何してた?
(この書き込みはこちら)
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99年は〜・・・病気になった年で、ダルくて動けず。××(30日のEXPO館もよく見に行ったもんだ)
暑い中にいたら1時間も持たないような状態で、開演までにたどり着こうと思ったものの・・・・。
幕張メッセの中の列がスゴかった!!!ΣT□T
案の定並んでる途中で具合悪くなり・・・・人の波を越えて越えて何とか外に出たら、開演まであと20分という。
超ギリギリの自分ブロック到着。××
ごはん?食べてないよーぅ。水も飲んだっけかな・・・・・?T▽T
このライブの記憶は「インディーズの時の曲をやった」「ファン止めちゃった人、こんなに曲やってるよ、見に来てる?T▽T」とか妙な懐かしさというか・・・。
このライブの2日前ぐらいに日傘代わりに、番傘買いに行ったっけ。(^^;
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