秋のアマチュアピアニスト


 やっぱりピアノが一番好きだ。
 あの鍵盤のふれごこちがいい。いろんな感触が十本の指先に集まってくる。やわらかさ、なめらかさ、重み、かるみ、おだやかさ、激情。みんなきれいに感じとることができる。それはメロディーとなって、耳の奥にまでまっすぐに響く。心がストレートに深呼吸できる。とても幸せな気分になれる。
 
 でもそれは、いい曲ができればの話。残念だけどそういうことはほとんどない。だからいつも苦しんでいる。ここのところずっと、指先と耳の奥があの心地よさに飢えている。
 月に一曲はつくるという無謀なノルマを設けているからよけいに気が滅入るのかな。ちがう、精進あるのみだと自分を叱りつける。ぼやいてるひまがあるなら、テーマに似合う題材を見つけるべきだ。
 10月のテーマは「秋の楽曲」。江利子からのリクエスト。べつに江利子にプレゼントしようってわけじゃない。自分が満足できる曲を弾く。指先と耳の奥にあの感触がよみがえってほしいと思いながら奏でる。それだけのことだ。そのうえで、まわりの人に「いい曲だ」と言ってもらえるなら、幸せの絶頂だと思う。
 だけど、できない。「秋」を感じることができない。日本は四季に富んでいるというけど、月でウサギがモチツキをしているというのと同じくらいウソっぽく聞こえてしまう。モミジを眺めても、指でつまんでも、掻揚げにして食しても、ちっとも秋を感じない。イチョウでも同じ。だいいちギンナンは苦手。その気になれば、季節を問わず、口にできないものはないだろうし。それに毎年、寒くなり暑くなりを繰り返しているうちにいつの間にかクリスマスになってしまう。
 秋はうすっぺらだ。脆弱だ。
 けれども、認めるしかない。自然から受ける季節感がゼロなのだ。ピアニストのヒヨッコとしては失格なのかもしれない。それでも「秋の楽曲」はあきらめきれない。弾けないテーマがあることを認めるのもいやだし、季節感は花鳥風月だけじゃないはずだ。
 
 気分転換にジュースでも買おうと思い自動販売機に小銭を入れる。飲みなれているミルクティーを選んだ。缶に指先が触れ、「あっ」と小声が漏れる。よく見ると、きのうまでの「COLD」の表示が「HOT」に変わっている。
 秋だな、と不意に思う。
 こんな人工的なものに秋を感じてしまうとは…と自己嫌悪に陥りそうになるけど、すぐに気がつく。
 ピアノだって人間の感情を揺さぶる素晴らしい人工品だ。

 


妄言王のアとガキ

斎木慧さんに「ピアノ」「モミジ」(できれば)恋愛物というお題を頂いた。
黒木りえさんから「た」抜き小説というお題を頂いた。
無謀にも、この2条件を満たすものを書こうと思った。
或る日、予は自販機に秋を感じた。
で、こうなった。

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