あづさ弓
弓馬の道を好む女がいた。名はあづさ。
あづさには兄がいた。名は知らず。
ある日、王からの使者が訪れ、兄と共に登城するようにとの命令が下った。両名が到着するや、王は部下たちをして兄を捕らえ庭園の大木に固く括りつけると、その頭に林檎を据えさせた。
「お、王様、何をなさいます」
兄は突然の出来事に狼狽しきっている。
あづさは慌てふためくどころか、ただ微笑を浮かべた。苦笑にも嘲笑にも作り笑いにも見て取れるような微笑を。
弓と一本の矢があづさの面前に用意された。
諸侯が見物する中、王はあづさに命じた。
「大木より五十歩離れ、見事、かの林檎を射抜いてみよ」
王の申しつけに、あづさは即座に首肯した。
「焦りの色が見えぬ。そちにとっては、五十歩も百歩も同じなのであろうな」
あづさは再び首肯した。
「そうか、天晴じゃ。では百歩離れて射よ」
あづさは三度目の首肯すると、申し付け通りに百歩進んで大木を振り返り、寸分の躊躇も見せずに弓を引き絞った。
あづさのこの破天荒な行為を天晴などとは到底思えず、しかも身を固く大木に縛られている兄は、勿論逃げることはできない。顔面蒼白となり、わなわなと震えながら王に訴えた。
「お、王様、どうか林檎はお許し下さいませ」
王は「もっともだ」と肯いた。
「林檎では大きすぎたな。では蜜柑に替えよう」
部下に命じて林檎を蜜柑に取り替えさせようとすると、兄は唯一動かせる首をちぎれんばかりに横に振った。
「そそ、そうではございません。林檎でも十分に小さいのでございます。せ、せめて西瓜くらいの大きさでなければ…」
王があづさのほうを見遣ろうとしたそのとき、放たれた矢が兄の額を射抜いた。
射手は片膝をついて王に告げた。
「西瓜くらいの大きさはあると存じます」
林檎を射よと命じた王は無言であづさを見遣った。
「お許し下さい。遺言くらいは聞き届けてやりとうございました」
以上の出来事はその後、諸侯の噂に上るほどになった。彼女は王に仕えて「あづさ弓」の武名を後世にまで残している。
一説には、極悪非道な兄への積年の怨みを妹が公の場で晴らしたといい、また一説には、射損じたものを咄嗟に言いつくろったともいう。また一説には、仕官を望むあづさに対し、何の咎も無い兄を公の場で殺して「修羅」を示してみよと王が事前に告げていたともいう。さらに一説には、王と兄と妹の三角関係の縺れともいう。
真相は闇の中である。
妄言王のアとガキ
あとがきも闇の中である。