エーシのマシーン
八
エーシはぐんにゃりとなっている瓜生の額をピシャリピシャリと叩く。
「ムムム…どういうわけか息をしてないですな」
あんたが力いっぱい首根っこを絞めていたからじゃないか、と言おうとしたが、長生きしたい嶺はその言葉をゴックンと胃の中に収めた。代わりに胃の中のかわずがゲコゲコと鳴いた。ちなみに嶺は下戸である。
「これは人工呼吸をするしかないですな」
と言いながらエーシは嶺を見やった。
嶺は驚いて首を振る。
「わ、私はそのような技術を持ち合わせておりませんので」
嶺のこの言葉を「私は人工呼吸のやり方を知りません」と解釈しても良いが、「私は男とキスをする趣味なんぞありません」と解釈したほうが真相により近かった。というより、「あんたがやれよ」が正解だった。
そのとき、エーシに声をかけてきた者があった。
「どうかしたんですか?」
声の主はアラレちゃんだった。
エーシを殺人未遂に導いた元凶である。
胸のネームプレートには「京木倫子」と名前があった。
エーシは彼女の急接近に、シドロモドロのアオミドロになって答えた。
「ナナナ…ナーニ、この男が急にぶっ倒れたんですよ、キョウキちゃん」
京木倫子は、上司に当たるエーシへの仁義もへちゃむくれもなく彼を睨み付けて言い放った。
「私、キョウキじゃなくてみやこぎです。これ、みやこぎって読むんです」
と胸のネームプレートをゆび指す。大きなレンズの向こうの目が、キレかかっている精神状態を映し出していた。野獣のかほり。
(か、彼女も危険種だ)
ちょっとしたことですぐに人類離れ(すなわち妖怪人間化)を起こすエーシのさまを見慣れている嶺は、それによって鍛えられた眼力でもって、倫子をそのように鑑定した。そしてそれはピシャリと当たっていた。
倫子の魚眼レンズにショットされたエーシはちりぢりに縮こまり、
「エ? そ、それは失礼しました。自衛隊派遣はゴメンナサイでは済まないとは至極ごもっとも」
と上司の威厳を保たないまま謝った。そして相変わらず微動だにしないで倒れている瓜生をほったらかしたまま、倫子から少し離れた場所まで嶺の腕を引っ張り、小声で愚痴った。
「み、嶺君! なんでこの会社はミョーな名前の持ち主バッカリなの! せめてネームプレートにフリガナをふっておくべきだよ。おかげでバッチリとキメるべき第一印象のしょっぱなから赤っ恥をかいちゃったじゃないか」
「私に言われましても…。社のネームプレートを作ったのは私ではありませんし、社の方針を決定する立場でもありません」
「ム? そ、それはそうなんだけどね。ったく、モーゲン社長の野郎…」
エーシがぶつぶつ言いながら瓜生のほうを振り返ると、倫子が、気絶している瓜生の後頭部を持ち上げていた。自分の顔に近づけようとしている。放っておくと、そのまま唇を重ねかねない。
それを目撃したエーシはキングギドラばりに吠えた。
「ア、アンギャー! り、倫子ちゃん! じじ…人工呼吸なんかイミナシ! そいつはそのまま死んでも一片の悔いナシ! そんなオカマ野郎に唇を奪われるなんて世紀末覇者もビックリ!」
何を言っているのかイマイチ不明だが、エーシが動揺していることだけは、少なくとも嶺にはシッカリと伝わった。
しかし、当の倫子はキョトンとしている。
「え? 人工呼吸なんかしないですよ」
「エ? す、するとナニをしようとしてたんでしょ?」
男の頭を抱えている状態から、もっとスゴイことをしようとしてるんだったらどうしよう、ことによっては瓜生をセクハラ容疑で内部告発してやる、とエーシは思った。セクハラマシーンの実用化に燃える男のくせに。
倫子は説明した。
「うりゅさんが気絶してるんで、こうやって頭を持ち上げておいて、フロアにガツーンとぶつけてあげようと思ったんですよう。そうすれば目が覚め…」
「ません。死にます」
断言した。間髪入れずに。モーゲン・コーポレーションの理性こと嶺行伸が。
「え? 驚いて目が覚めますよ。普通に考えれば」
社内のフロアはどこもかしこもコンクリートである。そんなところに気絶している人間の後頭部を叩きつけようものなら、たちまち血の池地獄になるに決まっている。
「それはあまり普通ではない考えだと思います」
そう答えながら、やっぱり彼女も危険思想の持ち主だ、と嶺は改めて思った。
「ムフフ、ショック療法ですか。それは名案ですな」
嶺の言葉を全く聞いていなかったのか、エーシは倫子のことばにコックリコックリと頷き、瓜生の頭めがけてエルボードロッブを叩き落とそうと、右の拳を左の手のひらで包んだ体勢でヒジを高々と振り上げた。
「わっ、エーシ部長、やめて下さい! 死んでしまいますよ」
「エーシの部屋」でエーシが激怒して瓜生に襲いかかったときには思い至らなかったが、たしか殺人現場を見過ごしたらその者にも罪が及ぶ、という法律があったはずだ。それは困る、私を巻き込むのはやめてもらいたい、やるなら人目のないところで、と嶺は思った。エーシは社内随一のプロレスファンで、しかも埼玉っ子らしく短絡的だ。さらに、どういうわけか惚れた女の頼みと思い込んでいるフシがある。放っておくと本当に殺りかねない。
「死んだら過労死で届け出るよ。いわゆる自然死ですな」
エーシの超然的な理論に、さすがの嶺も頭がハラヒリホロハレになりかけた。
(ええっ? どうして過労死が自然死とイコールなのだ。しかも気絶している頭上にエルボードロップを落とそうとして、どうしてそれが過労死になるのだ。それより何より、ウリナマさんをこの場で殺さなくてはならない理由があるのか? いまさらながら…エーシ部長の頭の中は一体どうなってるのだ)
ムチャクチャになっているのだ。
エーシは倫子を一目見たとたん、お医者様でも草津の湯でも治らない末期的な疫病にかかってしまったのだった。それがどうしてこういう言動につながるのか、そこまではなんぴとたりともわからない。もしわかったら東洋の神秘であると言える。