少年サンタ


 ある北の村に雪が降り始めた。
 村人たちは、この空からの贈り物を賜るたびに憂鬱になる。できれば雪の降らない冬を望んでいる。雪は生活を妨げる。暮らしを脅かす。寒いし、移動は不便になる。いいことなどひとつもない。「雪景色がキレイだ」などとのんきなことをいう者があったら、それは大概よそ者である。
 ところが、村の住人でありながら、そうは思わない人種がいた。
 子供である。
 もっとも、この小さな村には、子供といえば少年がひとりしかいなかった。しかも周囲の大人たちが「ちょっと変わっている」と噂するような子だった。
 その少年は、雪が道を白く染めてもいないうちから、家から飛び出して天を仰ぎ、いつも着ている真っ赤なコートや白い頬に雪を受けた。飽きもせず、ずっと空を眺めて笑んでいた。霰は当たると痛いので天に顔を向けることなどできないが、雪はちがう。ふわりふわりとやさしく降りてくるので、その揺れかたが不思議で、やわらかで、気持ち良くて、じっと見入っていた。そのうち自分が灰色の空に吸い込まれるのではないかとの錯覚すらおぼえる。その感覚がまた、少年にはたまらなく心地よかった。雪が好きなんだな、と自分でも思った。少年は冬が好きだった。それも雪があるから好きだった。村人たちに言わせれば、彼はあまのじゃくだった。
「ねえ、ちょっと」
 少年の母親が、家の窓から彼を呼んだ。彼は顔をしかめ、視線を天から家に向けた。
「なあに?」
「おじいちゃんのところにお見舞いに行ってきておくれ。今日中にお前に会いたいんだって」
 少年は大袈裟にうなずいた。
「うんうん、そうか。ちょっと遠くて面倒だけど、行ってあげよう。余命いくばくもない老人がかわいい孫の顔を見たくなったってんだからね」
 ロマンチストかと思えば毒舌家。こんなアンバランスとも思える性格が、少年の変人と噂される所以だった。
 祖父を憎んでいるわけではない。むしろ親愛の情が口を衝いて出てこうなる。
「縁起でもないこと言うんじゃないよ。あのひとは、あと三十年は殺しても死なないよ」
 などとにこやかに答える母親も、もちろん変人検定一級にちがいない。
「あんたは家事やら何やらで、じいちゃんを訪ねる暇もないくらい忙しそうだもんね。意図的にそんな暇をなくしているのかもしれないけど」
 少年の言い草に、母は眉を釣り上げたりはしない。むしろそんな少年の毒舌を楽しむのが日課だった。
「もし私のクローンがいたら、すぐに駆けつけさせるんだけどね」
 などと切り返したりする。
「それはどうかな? もし本当にクローンがいたら、あんたは彼女に家事をさせておいてゴロ寝を決めこむ気がするけどね」
「あはは、かもね。逆にクローンのほうがゴロ寝を決めこむかもしれないけどね」
 他人がこの奇妙なやりとりを耳にしたら、鬼子母神ならぬ奇人母子だと思うにちがいない。二人にとってはごく普通の会話なのだが。
「これ、あのひとへのお土産ね」
 母親が差し出したバスケットには、パンと葡萄酒が入っていた。少年はそれらを一瞥すると皮肉っぽく笑った。
「なんだかキリストの最後の晩餐を連想させるね。これって偶然?」
 この村の近辺では、葡萄酒とパンはごく普通の食事である。少年はもちろんそれを承知の上で、こんな毒舌を吐いているのだ。
「まあ、なんて逞しい想像力なんでしょう! あんたほどの想像力の持ち主なら、もう少し鍛えれば、このバンと葡萄酒が糞尿に見えてくるだろうね」
 少年は母親の軽妙な返答に感心した。しかし自説を譲るつもりはなかった。
「でもさ、やっぱりパンと葡萄酒はやめたほうがいいよ。想像力豊かなぼくのじいちゃんなんだから、遺伝の法則から推定すると、つい最後の晩餐を想像してしまって嘆かないとも限らない。『嫁の奴はワシが早く死ねばいいと思っておるんじゃあ!』なんてね」
「遅かれ早かれ、ひとはみんな老いて死んでゆくのよ。あのひとだけが例外ってわけにはいかないわ」
「そりゃそうだけどね。そこが人情ってものなのさ。もっとも、クリスチャンにとって最後の晩餐になぞらえられるのが、光栄なのかそうでないのかは知らないけどね」
「私も知らないけど、それよりなにより、あのひとはクリスチャンだったかしら? 案外ブッディストかもよ。もしくはイスラミアンかも」
「イスラム教徒はイスラミアンとは言わないよ」
「じゃあ、イスラミスト?」
「ちがうよ、モスレムだよ」
「モスレム? 特撮映画の怪獣みたいね」
 こうして話がずれてゆくのも、この母子の会話ではよくあることだった。
「話を戻していいかな」
 と閑話休題を持ちかけるのは、いつも少年の役目だった。彼がこう言わないと、そのうちフェルマーの最終定理についてとか、ワシントン条約に指定されているの桜の木についてとか、シャネルの碁盤(ひのきづくり)についてとかに話が飛躍しかねない。
「いつでもどうぞ。どんどん戻してちょうだい」
「おじいちゃんが何教徒であってもさ、つまりたとえ鰯の頭教徒であったとしてもってことだけど、少しでも死を連想させる可能性があるのなら、パンと葡萄酒は避けたほうがベターだと思うよ」
「でも本人は、パンをよこせとわめいてるわよ」
「だったらケーキを食べさせればいいじゃない。葡萄酒はやめてシャンパンに」
 パンよりもケーキのほうが、そして葡萄酒よりもシャンパンのほうが高価である。つまり少年は祖父のために、より上等なお土産を携えることに成功したのだった。
 少年は小屋から手綱を引いた。その先には、愛馬ならぬ愛トナカイがいた。少年はその巨躯の背に飛び乗ると、慣れた手つきで、バスケットを片手にトナカイを走らせた。

 雪が舞う道をいくらか進んだところで、少年が質問した。
「あとどれくらい?」
 それにトナカイが人語で答えた。
「あと約5マイル、もしくは約8キロメートルですね」
 少年はちっとも驚かない。当然である。最初からトナカイに話しかけているのだから。
「ちがうちがう。ぼくが尋ねたのは、キミがあとどれくらいで空を飛べるようになるかってことだよ」
 トナカイの顔色が、気象庁に指摘されてもおかしくないほど曇った。
「あ、そのことですか…。来年のクリスマスまでには飛びたいと思っています。申し訳ないです。先代は生まれて5年で飛べるようになったっていうのに、あっしときたら、7年経ってもまだ地上を走ってる始末で……」
「まあ、成長には個体差があるからね。そう気にすることはないよ」
「そう言ってもらえると気が楽になります」
 雪はふるふる、トナカイゆくゆく。道々、少年の腹はぐうぐう。バスケットのパンをもぐもぐ。葡萄酒ちびちび。「全部食ってしまいさえしなければよかよか」と少年は自らのつまみ食いを正当化した。

 祖父の家は巨大なかまくらだった。頼朝とは関係ない。
 少年の祖父は実は神聖なる存在なので、あまり俗物と比較したくはないのだが、あえてそれをやってしまうならば、そのかまくらは東京ドームの半分の半分くらいの大きさだった。関西人や九州男児や道民その他を無視した極めてローカルな比喩であることは言うまでもない。
 通称「北の最果ての地点」略して「北極」に住んでいるので、かまくらが溶けることもなく、そこに常住できてしまうのだ。
 少年はトナカイから降りると、入口の見当たらない、かまくらというよりは雪山のような物体の前に仁王立ちになって叫んだ。
「イジジソクロケア!」
 決して逆に唱えてはいけない呪文によって、かまくらはパックリと入り口を開いた。少年が入ると、自然と入り口が閉じて、また元の雪山のような姿となった。
 室内では、ぬしがベッドでふとんに包まっていた。
「じいちゃん、調子はどうだい?」
 祖父はふとんに閉じこもったまま笑顔で答えた。
「おお、よう来てくれたのう」
 少年は首をかしげた。
「あれ? じいちゃん、随分と声がしわがれてるね」
「ゲホゲホ。風邪をひいちまったんじゃよ」
「いくら寒さに強い一族だからって、年中真冬のこんなクソ寒い山奥に住んでりゃ無理もないよ。引っ越せば?」
「考えとくよ。バナナで釘が打てないような暑い所はお断りじゃがな」
 だったら引っ越さなくてもいいよ、てゆーかそんな物件ここ以外にあるもんかと耳元で言ってやろうとして、少年は祖父の耳がけっこう大きいのに気がついた。
「あれ? じいちゃん、耳が大きいね」
「お前の声がよく聞こえるようにじゃよ」
「あ、そう。耳糞がほじりやすいようにかと思った。あれ? 目も大きいね」
「おまえの顔がよく見えるようにじゃよ」
「ふーん。臨死体験をして驚いたまま固まったのかと思った。あれ? 口も大きいね」
「それはな…おまえを食べられるようにじゃ!」
 と叫ぶと祖父はふとんを撥ね退け、少年に襲いかからんばかりの勢いで外に飛び出し、自動ドアのように勝手に開いた出入り口から外へ出て、表で待機していたトナカイの手綱をぐいぐいとひっぱりこんできた。 「うまそうじゃのう」
 祖父は少年が持っていたバスケットの中身を一瞥して首を振った。
「こいつのほうがいい。ステーキが食いたいんじゃ」
 トナカイは主人の祖父に食用として捕獲されたことに驚き、逃げようとしたが、もう出入り口は完全に閉まっている。祖父が出入り口付近に立つか、彼の一族が呪文を唱えないと開かない。トナカイは口をパクパクさせている。ようにしか祖父には見えなかった。このトナカイの声は、主人である少年にしか聞こえないのだ。少年にはちゃんと「何ぬかしてやがるこのクソジジイ! 蹴殺すぞワレ!」と絶叫する彼の肉声が伝わっていた。
 少年は首を振って祖父に答えた。
「じいちゃん、ダメだよ。彼を食われたらぼくの交通手段が無くなっちゃう」
「そんならわけない。ワシのトナカイをくれてやろう」
「そんなことするくらいだったら、そのトナカイを食えば?」
「ん? おお、そうか。そうしよう、そうしよう」
 祖父は無邪気に小躍りしたが、ふと手足を止め、無念そうにつぶやいた。
「…あ、しまった。奴は去年食ってしまったんじゃった」
 祖父は肩を落として、貝に閉じこもるヤドカリのように、そそくさとふとんにもぐりこんでしまった。
「奴には悪いことしたのう。いきなり発狂してこっちが食われそうになったから食い返した。正当防衛といえば正当防衛なんじゃが、長年の相棒をこともあろうにバター焼きに……嗚呼、トナカイはもう食いとうない」
 少年は祖父の懺悔と悔恨と急激な食欲減退にかけるべき言葉も見つからず、頭をポリポリ掻きながら、ふくらんだふとんに別件を話しかけた。
「ねえじいちゃん、ぼくになにか用事でもあったんじゃなかったの?」
 祖父はそれを聞くなり「おお、そうじゃった」と破顔一笑して、ふたたびふとんから這い出てきた。そして何の脈絡もなく少年に尋ねた。
「おまえはサンタクロースというものを知っておるか?」
 少年は鼻で笑って毒づいた。
「おじいちゃん、あんまり馬鹿なこと言わないでよ」
「む、さてはおまえ、サンタクロースを信じておらんな?」
「当然でしょ。『子供だまし』って言葉があるけど、いまどき、そんなの子供だってだまされないよ。つまりぼくもだまされないってこと」
 祖父は溜め息を吐いた。
「雪が三度の飯より好きで、トナカイと話せるおまえにすら信じられんとは、サンタクロースも地に墜ちたもんじゃのう」
 少年は訝った。
「どうしたのじいちゃん、たかがサンタクロースのことでそんなに落ち込まなくてもいいじゃない」  祖父は苦笑した。
「他人事ならそう言っておれるが、なにしろワシ自身のことじゃからな」
 突然の告白に、少年は祖父の痴呆を疑いつつも確認した。
「え? それってつまり…おじいちゃんがサンタクロースってこと?」
「そうじゃよ」
「実在してるわりには認知度が低いんだね」
 少年の皮肉に、カミングアウト・サンタクロースは一気にまくし立てた。
「ワシはな、ワシの存在を信じてくれている子供のところにしか行きたくないんじゃ。そういう経営方針…まあ、ボランティアというか趣味だったんじゃが、とにかくそういう方針でやっておったら、いつのまにか架空の人物にされてしまった。シャーロック・ホームズ君の住所宛てには、毎年何百通もの捜査依頼の手紙が舞い込むというのに、このワシのところには一通も来ん。のみならず、目立ちたがりやの馬鹿な人間どもが、『私が本物のサンタだよ』などと偽善面してしゃしゃり出てきて、俗なプレゼントを渡して処理してしまう。『私が本物のホームズだ』などと秀才面した偽者が現れたりはしないから、ホームズ君が羨ましいよ」
 祖父の真顔での言い分に、少年は「ふーん…」と漏らし、心ならずも話を合わせてしまった。
「そう言えば、ホームズさんって消息不明なんだよね? 今どこで何をしてるのかな? それとももう死んじゃったのかな?」
 少年の質問に、今度はサンタクロースが鼻で笑う番だった。
「ホームズ? おまえ、そんなものの存在を信じとるのか? そんなこと、他言するんじゃないぞ。笑われてしまうぞい」
 だったらホームズを君付けで呼ぶなよ、と少年は思ったが、自分もさん付けで呼んでしまったので、目糞は鼻糞を笑えなかった。
「でもさ、サンタクロースは存在するなんて他言したら、もっと笑われると思うんだけどね」
 少年の正当な、そして精一杯の突っ込みにも、自称サンタは平然としている。
「それは世間のほうが無知なんじゃよ。本人がこうして力説するのじゃから、これ以上に確実な話があるもんかい。そうじゃろ?」
「うん…」
 彼の真剣な眼差しに気圧されて、少年はついうなずいてしまった。これって既にマインドコントロールにかかってるのだろうか? などと思いながら。
「あのさ、素朴な疑問なんだけど、サンタがたった一人で、しかもクリスマスの一夜だけで、世界中の子供たちにプレゼントを配って回るってのは、どう考えても物理的に不可能だと思うんだけどね」
 祖父サンタはこともなげに答えた。
「なんという愚問じゃ。サンタクロースともあろうものが時空を超えることくらいできんでどうする」 「…あ。そんなことができてしまうの?」
「当然じゃ。何しろ神の一種なんじゃからのう」
 少年は、もとから丸い目をさらに目を丸くした。
「え? サンタって神だったの?」
「人間だと思ったのかね?」
「いや、人間にしてはちょっと変かなあとは思ってたけど…」
 いつのまにやら、サンタの存在を信じさせられつつある少年だった。
 祖父はそれを感じ取ったらしく、満足げである。
「実はのう、今日はおまえにサンタクロースの道具を譲り渡そうと思ってな、それで来てもらったんじゃ。わしも年じゃしな、そろそろ引退を考えておるんじゃよ」
 少年は「食いしん坊の上にホラ吹きのジジイかてめえは!」と咆哮してやまないトナカイの首筋を撫でながら、ここにいるとキミの血圧が上がるからと言い聞かせ、呪文を唱えて出入り口を開くと、ふたたび表で待機させた。
「サンタの道具って何?」
「おまえはすでにトナカイと真っ赤な衣裳は持っておるから、あと足りないものと言えば、わかるじゃろう?」
「うーん…ソリ?」
「ソリじゃと? あっても支障はないが、なくても支障はない」
「あ、そう。じゃあ…白いあごひげ?」
「なぬ? あごひげじゃと? 子供のおまえがそんなものを生やしておったら、不気味でしかたないわい」 「それもそうだね。じゃあ…袋?」
「うむ、やっとわかったか」
 サンタは枕の下から、薄汚れて黄色くなっている布切れを取り出して少年に手渡した。今にも異臭を放ちそうな色合いだ。たぶん元は白かったのだろう。
「うわっ、何このボロキレ?」
 サンタは口をとがらせた。
「無礼者。これこそ畏くもサンタクロースの頭陀袋じゃぞ。大黒天の頭陀袋と同じくらい高尚で、しかも使い勝手のよい代物じゃ。そもそも、袋のないサンタなんぞ……」
 袋のないサンタなんぞポケットのないネコ型ロボットも同然、と言いたかったのだが、彼が例の青ダヌキを知っているわけがないので、実際にはそれに類したことを言った。
「でも空っぽじゃないか。中身はどうするの? まさか自分で調達しろって?」
「そんなことでは、この頭陀袋の意味がないわい。好きなものを念じて袋に手を突っ込めば何でも出てくるんじゃよ」
 少年は興味を覚えた。
「何でも?」
「うむ」
 少年は思いっきり俗なことを尋ねた。
「お金も出せるの?」
「当たり前じゃ。ただし、あんまり景気よく出しすぎると経済を混乱させるので注意せねばならん。よって頭の悪い奴にこの頭陀袋は渡せん」
「つまりぼくが賢いと見込んだってこと?」
「ワシの孫じゃからな」
 本気で孫を見込んでいたというよりは、自分の遺伝子の受け継ぐ孫が阿呆であるとは思いたくないという要素のほうが強かったのだが、そのことは黙っていた。
 ちなみに、サンタクロースの子すなわち少年の父は、サンタクロースの遺伝子には関係ない。なにしろ少年の母は、かの有名な処女受胎をしたのだから。
 サンタは説明を続けた。
「この頭陀袋とて万能ではない。出せない物もある。ユニコーン、ペガサス、竜、麒麟、ネッシー、愛など、架空の存在はどうがんばっても出てこん。無い袖は振れぬ。しかし逆に、空飛ぶトナカイ、オニババア、ケダモノ、悪魔など、実在するものは出てきてしまうから、まちがってもそんな厄介なものは召喚せんことじゃ」
 少年はうなずいた。
「それから、頭陀袋の有効期間は一人につき三十年。毎年クリスマスの日にだけ効力を発揮する。ちなみにワシは、ついさっき三十年目の効力を使った」
「え? さっき? …あ」
 少年は今日がクリスマスであることを思い出した。
「ちなみに何を出したの?」
 サンタはふとんを手で軽くたたいて答えた。
「これじゃよ」
「え? 他には?」
「いまのところ、これだけじゃよ」
「随分とひかえめなんだね」
「三十年も使っておれば、もうたいていの物は出し尽くしてしまったからのう」
 そんなものなのかもしれない。だからこそ、子供たちに無償でプレゼントを与えるボランティアなんかをやる気にもなったのだろう。
「あれ? そうい言えば、子供たちへのプレゼントは今年はやらないの?」
「やったとも。去年にな」
「え? 去年じゃなくて今年のことをきいてるんだけど」
「去年のうちに時空を超えて、今年の分もプレゼントしておいたんじゃよ」
「…ふーん、ややこしいね」
 タイムパラドックスについて触れると頭がパンクするのは目にみえているので、少年はそれ以上は突っ込まなかった。それよりも、頭陀袋の力を見てみたかった。
「試しになにか出してみてよ」
 少年のリクエストにサンタはちょっと考えた。
「そうじゃのう…トナカイでも出そうかのう。腹も減ったことじゃし」
 え? と少年が思っているうちにサンタは袋に手を突っ込み、見事、トナカイの角をつかんで本体を引っ張り出した。
「おお、うまそうじゃのう。バター焼きにして食らうとしよう」
 ついさっきまで祖父が持ち合わせていた「過去に相棒をバター焼きにして食らってしまった悔恨」は、復活した食欲によって、あっさりと呑み込まれてしまったらしい。
「ふざけんな、このクソジジイ!」
 というトナカイの罵声は少年にしか聞き取れなかった。そう、サンタが引き出したのは、表に待機させていたはずの愛トナカイだった。
「…じいちゃん、そいつはぼくのトナカイだよ」
「おお、そうかい。うまそうじゃのう」
「…褒めてくれるのは嬉しいけどね、食われちゃったらぼく困るんだよ。どうしてもトナカイが食いたいなら、別の奴を出して食ってくれないかな」
「それは無理じゃ」
「なんでさ?」
「一人が同じ種類のものは二度と出せんのじゃ」
「…ふーん。しかもその袋、無から有を取り出せるわけじゃないんだね」
「当たり前じゃ」
「だんだん不便なもののように思えてきた」
「なんじゃ、要らんのか?」
「いや、そうは言わないけど…試しに使ってみてもいい?」
 と少年は袋を受け取ろうとしたが、サンタは首を振った。
「ダメじゃダメじゃ。その頭陀袋は、手にした者に試練を課すんじゃ。それをクリアしたとき、初めて使えるようになる」
「試練?」
「そうじゃ。頭陀袋を手にした年のクリスマスの日に…つまり今日ということじゃが、出会った三人の願いを無条件で聞き届けてやること、それが試練じゃ。もちろん、その願いを叶えるために頭陀袋の能力を使うことができる」
 少年の高笑いがこだました。
「わっはっは! 簡単すぎるじゃないか。何でも出せる袋が使えるならさ」
「そうじゃろうな。ただし探し出すのがちと大変じゃ」
「探し出す? 何を?」
「願いを持っている奴をじゃ。クリスマスが終わる前に三人見つけんと、その頭陀袋の効力は永久に現れんぞ」
「ゲッ! それを早く言ってくれよ」
 少年は薄汚くてペッチャンコの頭陀袋をひったくるように受け取ると、トナカイの背に飛び乗った。
「適当に走ってくれ。願い事を持っていそうな奴を探すんだ」
 と命じた直後、少年はちょっとした名案を思い付いた。
「トナカイ、ちょっと走るの待って。…おじいちゃん、なんか願い事ない?」
「あるわけないじゃろう。さっき言った通り、三十年もその頭陀袋と付き合ってきたんじゃし」
「あ。まあ、そりゃそうなんだろうけど、そこをなんとか」
「ないもんはないのう」
「ちぇっ」
 少年はあきらめてトナカイを走らせようとしたが、またちょっとした名案を思い付いた。
「ねえトナカイ、なんか願い事……」
「畜生の願い事は叶えても無効じゃぞ」
「ちくしょー」
 少年は今度こそあきらめて出入り口を開き、トナカイを発進させた。

 夜の雪のなか、あてもなく愛トナカイを馳せていると、薄光の街灯に映えた色白い肌の少女がバスケットを持って立っていた。彼女は蚊が密談をしているかのような小声で何か言っているようだった。
「よし、第一ターゲット発見!」
 少年は少女の物憂い顔に、きっと何かを欲しているだろうと確信し、トナカイを彼女の間近に横づけして声をかけた。
「突然だけどキミに朗報だよ。といっても新興宗教とか怪しげな勧誘なんかじゃないからね。何か願い事があったら、遠慮なく言ってよ。ぼくが叶えてあげるから」
 少女は相変わらず、針を地面に落としたような小声を発している。
「え? なに?」
 トナカイから降りてみて、やっと彼女の声が聞き取れた。
「マッチを…買ってください…」
 見ると、彼女が手にしているバスケットには、売るほどたくさんのマッチが入っていた。実際に売っているみたいだけど。つまり彼女は、マッチ売りの少女らしい。
「キミ、バカだねえ。そんな小汚いマッチなんか売れるもんかい。ライターならともかく」
 少年が思ったままを口にすると、少女は困惑した表情で答えた。
「ライターなんて高級なもの持っていません…」
「あ、そう。つまりライターが大量に欲しいんだね。まかせなさい!」
 少年は「大量のライター出ろ、大量のライター出ろ」と念じながら頭陀袋に手を突っ込んだ。手応えがあったので口を広げると、無数のライターが洪水のように溢れてきて小山を築いた。
「どうだい、これだけありゃ十分でしょ。よし、ひとつめの願いはクリアだ。じゃあね」
 少年は意気揚々とトナカイに飛び乗ると、さっさと立ち去った。
 取り残された少女は、独りつぶやいた。
「あの…マッチを買って欲しかったんですけど…。というか…お金が…」

 少し吹雪いてきた。
 トナカイの行く先に、なにやら殺気立った連中が五十人ほど行進していた。近づきがたい雰囲気ではあったが、この天候では他の人に会うのも困難だろうと観念して、連中のリーダーらしき中年男に声をかけた。 「えー、突然だけど朗報だよ。もし何か願い事があったら……」
 中年男は少年を睨みつけた。
「馬上より呼ばわるとは無礼な」
「え? 馬上? こいつは馬じゃなくてトナカイなんだけど」
「やかましい! 通常なれば無礼討ちも辞さぬところではあるが、今宵は斯様な些事に関わっておる猶予はない」
 奇妙な喋りかたをするおっさんだなと思いながらも、少年はなおも話しかけた。どうも切羽詰まっているように見えたからである。願い事を叶える第二ターゲットは彼で決まりのようだ。
「どうしてもあなたのお力になりたいんですけどね」
 すると中年男は感激した様子で叫んだ。
「おお、まことか! 何者かは存ぜぬが、ご助力痛み入る。されば吉良上野介殿の御首頂戴仕るの儀、我らと共に」
 少年には、彼が何を言っているのかさっぱりわからない。
「は? よしよしうえのかいでん? ごくびいただきのせしるのぎ? それ、言語ですか?」
 トナカイが説明した。
「ご主人、キラコウズケノスケドノのミシルシチョウダイツカマツルのギ、ですよ。つまり、キラコウズケノスケという人の首をちょんぎる、つまり殺すってことですわなあ、それをいっしょに手伝ってくれ、ですと」
 少年は狼狽した。
「ななな…! なんだこいつら? 集団テロか?」
「みたいっす」
「うーん…そういう願いはちょっときけないなあ」
「ということは、サンタクロースの頭陀袋はあきらめないといけませんね」
 トナカイの冷然たる一言に、少年は悩み始めた。
「うっ! うーん…うーん…うーん…」
「野糞ですか?」
「ちがうわい! うーん…うーん…うーん…よし、わかった! 手伝ったろやないかい!」
 殺る気らしい。
「え? コロシに手を貸すんですか?」
「ふひゃひゃ! サンタクロースはぼくの代より血染めの悪魔一族として名を馳せるであろう!」
「はあ…」
 人間の欲望って恐ろしいね、と思うトナカイだった。
「…で、そのキラ株漬けのすけってのは、どこにいるんですか?」
 少年は、中年男――読者諸賢は既におわかりかと思うが――大石内蔵助に尋ねた。
「株漬けのすけではない、上野介だ。この先の邸におる」
「了解っ! ではお先に失礼!」
 少年はトナカイを馳せさせた。

 それらしき邸を見つけると、少年はトナカイの前足で門を蹴破らせて乱入した。
「キラさん! キラさんいる? 悪いけど死んでもらうよ!」
 その声にひとりの老人が震えながら逃げようとするのを、少年は見逃さなかった。トナカイを全速力で駆けさせて彼の真横につけ、急激に停止したので、積雪がしぶきとなって老人の顔面にぶっかかった。
「ひ、ひいい、冷たや!」
「あんた、キラさんか?」
「む? ち、ちがうちがう、ただの老いぼれじゃ」
「なら、なんで逃げた?」
「ぬしの形相が悪鬼羅刹の如しだからじゃ」
「五十人くらいでキラを殺そうとしてる集団について心当たりないかい?」
「ししし…知らぬ! 全然まったく少しも微塵も知らぬ!」
「キラって馬鹿だよねえ。あったま悪すぎ。脳みそが糠漬けなのかもね」
「な、なんじゃと、この無礼者め!」
「やっぱりあんたがキラだったか」
「し、しまったぁぁぁぁ…!」
 少年はトナカイに吉良を踏み潰させるため、手綱で操って彼の前足を高々と上げさせた。
「ひいい! い、命ばかりはお助けをををを!」
 その声にトナカイは足を止めた。
「おいトナカイ、どうした、さっさと踏み潰せ」
 少年の命令にもトナカイの足は動かなかった。といっても彼は畜生、仏心を起こしたわけではない。あくまで少年の利益を再優先に考える、優秀な下僕である。
「でもこの人、いま『い、命ばかりはお助けをををを!』と言いましたよ。これって三人目の願い事に当たるんじゃないですかね?」
「…あ」
 たしかにその通りにちがいなかった。
 少年は腕組みをして考えこんだ。
「あの集団テロのおっさんの願いを叶えてこのじいさんを殺せばこのじいさんの願い事を無視したことになるし、このじいさんの願いを叶えて命を助けるとあのおっさんの願いを無視することになるし…弱ったな」  トナカイがまたしても助言した。
「正確には、あの集団テロのボスはこのじいさんの生首が欲しいみたいですけどね」
「…あ、そうか。じゃあこの頭陀袋から、本物そっくりのじいさんの生首の模型を出せばいいのか」
 少年が念じながら袋に手を突っ込んで引っ張り出すと、本物と見まちがえるほどの吉良の生首、その髪の毛をつかんでいた。
「ギャー! 気持ち悪う!」
 と思わず投げ捨ててしまったほどである。
 そこへ大石たちの怒声が轟いた。
「吉良殿はいずこ! 吉良殿はいずこ!」
 間近まで迫っている。
「ここでおっさんとじいさんを会わせるのはまずいな。じいさん、どっかに隠れ…るところもないか。…あ、そうだ、とりあえずこの中に入ってろ」
 少年はトナカイから飛び降り、小柄な吉良本人を頭陀袋に押し込んだ。  その直後、大石の一団が現れた。そして少年が投げ捨てた生首(模型)を見つけるや、問い質した。
「…ん? ややっ! おお! 貴公、吉良殿を討ち果たしてござるか!」
「え? ええ、オサルです」
 四十七士は感激し、勝鬨を上げて満足げに去って行った。偽の吉良の首級を持って。

 少年は頭陀袋に手を突っ込んだ。
「おい、じいさん、もう出てきていいぞ」
 しかしいくら袋をまさぐっても吉良は出てこなかった。強く念じてもたたいても揉んでも絞ってもくすぐってもなだめてもすかしても脅しても踏みつけても、やっぱりだめだった。
「ま、試練は無事にクリアしたんだし、細かいことは気にしないでおこう」
 少年はあっさりと吉良をあきらめると、新生サンタクロースとなった記念として、試しに好物の抹茶ケーキを出してみることにした。しかし、これまたいくら念じても出てこない。
「おっかしいなあ…」
 少年は舌打ちをしてトナカイに乗ると、かまくらに戻り、ふとんで寝ている元サンタを揺り起こした。
「ねえ、じいちゃん」
「むにゃむにゃ…おかわり…」
「じいちゃん、寝ぼけてないできいてよ。ちゃんと三人の願いごとを叶えたのに、袋から何にも出てこないよ」
 祖父はふとんから這い出し、ペッタンコの頭陀袋を少年から受け取って首をかしげた。
「それは奇妙じゃのう。まだクリスマスは終わっておらんし…。まさかと思うが、袋の中に何か入れておらんじゃろうな?」
「え?」
 少年の表情が固まった。
「何か入れたりしたら、詰まってしまってもう二度と使い物にならなくなるぞい。うっかり言い忘れておったが、何でも出せる袋に何かを入れようとする馬鹿もおるまいて」

 サンタクロース家に伝わる家宝は、こうして「ただの薄汚いボロキレ」だけになってしまった。
 「空飛ぶトナカイ」も、結局死ぬまで飛ぶことはなく、その子孫は飛ぶどころかしゃべることすらなかった。


著作:妄言王

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