鬼塚は数々の暗殺を請け負って剣を振るい、悉くを屠ってきた。そんな生業の報いとして賞金首となった。あまたの賞金稼ぎがその高値に飛びつき、または身内を討たれた者達が復讐を誓い、昼夜を問わず鬼塚に斬りかかっていった。しかしひとたび鬼塚が抜刀すれば、必ず相手のほうが絶命した。多対一でも例外ではない。凄まじい形相の死に顔や、並の者なら夜毎に魘されるであろう断末魔を残して、ただ屍となるだけだった。
血生臭い多くの者の末期が脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶことに鬼塚は苦悶し、悪夢に魘されて寝汗を掻かない日はなかった。もっともそれは、鬼塚と名を改めて暗殺稼業をはじめてから一月ほどのことに過ぎなかったが。鬼塚の神業の如き剣の腕に並ぶ者は空前であり絶後であると自身が気づいたからである。すなわち抜刀すれば相手は必ず滅し、自分は生き延びる。鬼塚が確信していた天賦の才だった。そしてそれは残酷なほどに確かな事実だった。
行ないの性質上、その素顔を知る者は少なかったが、姿が知れないゆえになお、人々は鬼塚を悪鬼羅刹と恐れ、妖刀に憑かれているのではないかと噂した。しかし当の鬼塚は、妖刀や名刀なるものは信じていなかったし、そういうものを佩いたことはなかった。また殺人剣は頻繁に替えた。何故なら血糊で刃が錆びてすぐに使い物にならなくなるからである。
さらに、鬼塚は常に兎を倒す獅子の剣を振るった。数年前、顔にまだ幼さが残る刺客が震える手で抜刀してきたときでさえ容赦なかった。剣の腕前は雲泥の差で、やろうと思えば嶺打ちに留め置くことも出来た筈だが、斬り捨てた。たとえ女子供であろうと、刃を向けてきたならば即座に斬った。抜刀をした時点でその者は、何処の誰でどんな理由があろうとも死ななければならなかった。命の遣り取りに明け暮れる鬼塚の正確無比なる習性だった。この狂気よって鬼塚は人を殺してこられたのだし、また、未だ殺されずに生きてこられた。
十日前に斬ったのは、鬼塚の記憶によると、たしか与四朗とかいった。本来ならばいちいち斬った者の名など覚えていないのだが、「我こそは某与四朗なり」と声高に名乗りをあげていたのと、つい最近斬ったのと、あともうひとつの理由があって覚えていた。
襲ってきた動機は、身内の仇討ちか賞金目当てか、俺の預かり知るところではないし知りたいとも思わぬ。それが殺人剣を日常的に振るう鬼塚の率直な気持ちだった。
事情は知らぬが抜刀して怒号を発しながら突進してきたので、遅疑なく返り討ちにした。
この与四朗とやらは、操の伴侶だった。斬ったときには、鬼塚はそのことを知らなかった。あとになって、きくともなく風の噂にきいた。野犬に襲われそうになった操を与四朗が助けたことが縁で、所帯を持つにまで至ったという。鬼塚がそんな馴れ初めを操の口から直接きいたとしたら、俺なら山賊どもが相手でも討ち果たせる、とでも答えて嘲ったことであろう。
鬼塚は珍しく、斬った与四朗から思いを馳せていた。といっても、殺害した事実に関してではない。そこから手繰って幼馴染みだった操の面影にである。鬼塚という男にしては、まったく珍奇な心理だった。売春婦が初恋の男を思い出すようなものである。鬼塚自身でさえ、何故今ごろあの女のことをと訝ったくらいである。
鬼塚が暗殺稼業をはじめて漸くひとりかふたりぐらい斬った頃だったか、辻で偶然、操と再会した。といっても、鬼塚ははじめ、眼でもってその姿を認めたわけではなかった。操に不意に左手首をつかまれて気づいたのである。その頃の鬼塚は、窮鼠猫を噛むが如き心持ちで人を斬っていたようなところがあって、いつ報復の刺客が襲ってくるかと神経を尖らせていた筈なのに、操の無邪気さは不思議と鬼塚の懐に溶け込んだ。
操は鬼塚に向かって、昔の名を口にした。それはもう捨てた名であると鬼塚は答えたが、その捨てたお名前しか存じ上げませんわと操は笑った。それから何処だったか、屋内に落ち着き、酒が入ったことも手伝ってか、昔話が尽きず、そのうち、操という少女は鬼塚と名乗る前の男を憎からず思っていたかもしれない、というようなことを告げられた。自分の境遇に馴染まぬなんと甘ったるい話かと、盃を呷りながら鬼塚は思った。けれどもそのとき、不覚にも心がなごんだ。この女とならばあるいは、などと馬鹿げたことを少しだけ思った。永遠の人殺しであるという自業を、刹那、忘れた。次の暗殺の仕事がなければ、もしかしたら、操とからだを寄せ合い、平凡な所帯に堕していたかもしれぬ。
もう三桁は人を斬っているであろう鬼塚は、独りで思い返しつつ、苦笑し、舌打ちをした。若かったからとはいえ、なんと間の抜けた時を過ごしたことか。
あれから十年近く過ぎた。そして数日前に、操の伴侶である男を、それとは知らずに斬った。もっとも、精密な殺人の作法を刻まれた鬼塚の剣が、抜刀した刺客を生かしておくことなど有り得ぬ。操の伴侶であろうとなかろうと、それを鬼塚が知ろうと知るまいと、刃向かった時点でその者の死は無情にも決定する。
鬼塚は、昔日の操に拘泥している己を感じていた。
淡い恋の物語か。
否。鬼塚は独り首を振る。いっそ恋と言い切れるなら、あまりにも簡潔で、極めて苦々しく自らに怒髪を逆立てるほど軟弱なことではあるが、まだ享けようがある。恋焦がれて剣に障るほどともなれば、攫ってその柔肌を飽きるまで抱けば良い。邪魔する輩は血祭りにあげれば良い。
そんなことではない。
操はあの日、鬼塚の手首をいとも簡単につかんだ。その頃の鬼塚は確かに今ほどの腕前ではなかったが、それでも並の刺客なら容易に討ち果たせるほどであった。そんな剣客の懐に、あの女は当然のように滑り込んだ。しかもその温もりは左手首に点った。鬼塚の利き腕である。操がそれを意図したかどうかまでは知れぬが。剣を振るって向かってくれば容赦なく斬って捨てるように出来上がっている自分の左腕が、この女の掌に対してはあっさりと手首を捉まえられた。手首という深い部分にまで達せられた。
もっと驚愕して然るべきことだった。
与四朗とやらを斬ったことには寸毫の悔いも無い。降り懸る火の粉を払わんとして木石を滅しただけのことである。寧ろ微塵の快さすら感じていたかもしれぬ。与四朗という名がなんとなく気に食わぬのだ。だからそれはそれでよい。だが、この男を屠ったことによって操が新たな刺客となりうることに、鬼塚は何やら形にならぬ気持ちが込み上げてくるのを感じた。
恋や憐憫などではないはずだ。
では、…恐怖か。
鬼塚は瞼を閉じる。
あの女が、あのときのごとき無邪気さで以て間合いを詰めてきたなら、十年前の鬼塚とはちがうが、あるいは、やはり左手首をその掌で包まれることを許してしまうかもしれぬ。一抹の、一抹の不安がよぎる。他の女との閨でさえ常に刺客であるやもしれぬと猜疑して抱いていた鬼塚の四肢が、この女にだけは身構えられなかった。万一、万が一の話だが、鬼塚の知る限り最も高等な武器である無邪気さを放っていた操が、それで以て鬼塚の懐に潜り込み、その刹那、復讐心に煽られた殺意を解き放つことができたならば、鬼塚の胸板に手持の鋭利な得物を突き立てるのは容易にちがいない。
鬼塚の双肩が、俄かにびくりと動いた。
操はあの日、捨てた名前しか存じませんわと笑った。なにゆえ名を改めたかと、鬼塚に尋ねることはしなかった。知りたく思うのが自然ではあるまいか。それをきかずにいたとなると、あるいは既に鬼塚の所業を…知っていたのか。知っていてあの無邪気な後光を纏っていられたのか。もしそうであるとすれば、操は、無敗を誇る殺人剣士を倒す可能性のある唯一の刺客である。
あるいは、操が殺意を剥き出しにして斬りかかってきたとしても、鬼塚は抜刀できぬかもしれぬ。そうならば、不覚にも操に惚れていたことになる。女への思い如きに剣が封じられるとは屈辱ではあるが、ただ、懐に入られて討たれるよりは、体躯を投げ出し、惚れたが負けと大義名分をつけて斬られてやるほうが、面目としては幾分ましかもしれぬ。鬼塚は別段、死は恐れるところのものではなかったが、剣を交えんとして敗れることだけは我慢ならなかった。それが、神仙の域の剣によって鬼塚の心のなかで肥大していた矜持である。あの女が、ふたたび懐に入ってこられるだけの無邪気さを、時の流れにも揺るがず、しかも伴侶を殺された今でも厳然と持ち合わせている化け物であるならば、果たし合いを放棄して命をくれてやるしかあるまい。そうではなく、あの無邪気さを失った只の俗物に堕しておれば、やはり血肉となっている習性に従い、遅疑なくその華奢なからだを叩き斬らればならぬ。今まで振るってきた剣に賭けて、刃向かうならばそうあらねばならぬ。刃向かうならば。
著作:妄言王