つまらぬ斬殺


「酷い…」
 夥しい血潮に彩られた肉塊を辛うじて正視しながら、片瀬は呻くように呟いた。
「うむ…」
 氷見山は仏頂面で赤黒く染まったものを見据えていた。
 沖田は無言のまま顔面蒼白で、二人の後方で小刻みに震えていた。柄の先に鈴でも付ければよく鳴ったことであろう。斬殺死体に催したらしく、辻に胃の中の物を吐いた。普段であればこの後輩の体たらくを叱責するところだが、このときばかりは片瀬も氷見山もこれを捨て置いた。二人とも、今はこの弱輩者などを構う気になれなかった。
 発するべき言葉も見つからない。片瀬は佩いている刀の柄[つか]を固く握り締めたまま、氷見山は帯刀している束に肘を据えたまま、暫く屍のそばに佇んでいた。沖田は青白い顔で目を背けていた。
 この屍は今朝、沖田が発見した。彼は非番だったが、第一発見者であった。彼の悲鳴で、近くを巡察していた二名が駆けつけたのである。
 身元調査の必要は無かった。三人ともよく見知った顔だからである。斬殺されていたのは、彼らが所属する「帝都剣隊」の隊長芹澤だった。
 近頃、然程広大でもない帝都で血生臭い辻斬りが多発していた。有力な官僚や財界人の首が路傍に転がっていたこともあったし、芸妓の顔が石榴のように割られていたこともあった。帝都政権の一部の上層部は隊を無能と評し、帝都の庶民は無用の長物であると噂した。しかしそれでも隊が存続できたのは、芹澤の剣の腕が数十を相手取っても一歩も引けを取らぬほど獰猛であったこと、そして隊長が芸妓やその他の類いを上層部に抱かせたり、帝都の商人らから徴収していた「巡察料」の一部を贈賄したりしていたからである。片瀬も氷見山もその事情は知っていたが、その努力に感服することはあっても、軽蔑することはなかった。二人とも、この隊が己の生きる道であると思っていたし、芹澤が掲げていた「帝都の浄化」の為にも不可欠な組織だと確信していたからである。
 漸く隊の悪い噂が鎮静しかかった折の、隊長の死である。隊の存続を快く思っていない連中が刺客を放ったのであろう。
「仇を討たねば…」
 片瀬は漸くそう言い放つと、氷見山の横顔を見遣った。
 彼は尚も物言わぬ先輩を見据えていた。
「芹澤さんを弔うには、犯人の血しかありえませんよね」
「無論だ。しかし、あわよくば生け捕りにしたほうが良い」
「馬鹿な」
 片瀬は副隊長の氷見山に対して思わず無礼な言葉を口走ってしまったが、それを取り消さなかった。
「即、斬るべきです。理由なんか関係ない」
 片瀬は本当にそう思っていた。所謂「正当防衛」であったとしても、だ。
「いや、生け捕りが好ましい。拷問でじわじわとなぶり殺しにできるではないか」
 氷見山の言葉に、片瀬は息を呑んだ。そして満足して肯いた。
 そこへ、二人の後方で黙っていた沖田がこう漏らした。
「う、討てるでしょうか?」
 片瀬は瞳孔を広げて沖田を振り返った。
「どういう意味だ?」
 片瀬の静かな怒気を感じたのか、沖田は恐る恐る説明した。
「隊長を相手にここまで無数に斬り込んでいるのですから、言わば化け物級です。それに、犯人を捜すにしても、怨恨の心当たりは多すぎて…」
「黙れ」
 黙らなければ勘気の抜刀で以て沖田を切り捨てたかもしれない。どうしてこんな腑抜けを入隊されたのだろうか。片瀬は尊敬していた故人の不可解な人選に、未だ怪訝だった。芹澤と沖田は衆道の仲なのであろうとの噂すら流れたが、百歩譲ってそれが事実だとしても、やはり疑念が残る。閨で金品をねだるのとはわけがちがう。
「それでは貴様は、隊長の死は血で償わなくても良いと抜かすか」
「そ、そんなことは申しておりませぬ」
 沖田は見苦しいほどに震え、土下座して許しを乞うた。
「わたくしの怯懦の成せる妄言でございました。何卒、何卒お許しを…」
 その場はそれで収まった。
 しかしそれから一月ほど過ぎた頃、片瀬はこの収めた筈の鞘を抛つことになる。
 ある刺客を、氷見山副隊長の指揮の下、片瀬・沖田が包囲した。芹澤を斬った犯人ではないことは明白だった。片瀬は熟練の剣で、板前が魚を捌くかのような鮮やかさで始末した。
 そのとき、氷見山は牽制の意味で抜刀していたが、沖田はただ立っていただけであった。それが過日の弱腰発言と、隊長斬殺の犯人の目星が全くつかないことが相俟って、片瀬の心の澱が止めど無く溜まっていたものとともに破裂した。
「抜け!」
 片瀬はこの場で沖田を討ち果たすべく抜刀した。
 気に入らぬ。気に入らぬのだ。その華奢な体躯も、白き顔も、お飾りのように佩きこなされていない刀も、男色で芹澤隊長に取り入ったらしいことも。隊長の他に、彼を無礼討ちにして咎める先輩は居るまい。
「抜いて良いのか?」
 沖田の声色が変わった。
「芹澤の後を追いたいなら抜くがな」
 片瀬はその凄まじい殺気に驚愕したが、確信もした。
 隊長を殺したのはこいつだ。
「死ね!」
 片瀬は沖田に斬りかかっていったが、剣先が彼に届くことはなかった。
「副…隊長…」
 背後から袈裟懸けに斬られ、片瀬は絶命した。
 氷見山は沖田を見遣った。彼は薄く笑っている。
「あんたが斬らなくても、俺様には妖刀があるんだから返り討ちに出来たのに」
「あまりに背後ががら空きだったのでな。衝動的に殺ってしまった」
 氷見山は片瀬の屍を見下して冷笑した。
「可哀相な奴だよ、こいつも。芹澤がおまえに乗り換えさえしなければ幸せだったんだろうがな」
 クックック、と含み笑いが後に続いた。
「沖田、世話になったな」
「『なった』? 過去形だな」
「用は済んだから、お前も死ね」
 沖田は奇声じみた声を放って笑った。
「ひゃひゃひゃひゃ! 貴様、俺に勝てるのか? こっちには芹澤から奪った妖刀があるんだぜ」
 芹澤が無敵を誇り、また沖田に容易に斬殺された理由は、隊員たちでさえ殆ど知らない「秘密の妖刀」の一振にあった。それを沖田に教えたのは氷見山だった。
「その為に、己の意志を殺して尻を貸す屈辱にも耐えたか。涙ぐましいな」
 氷見山は鼻で笑って痰を吐いた。
「臭いんだよ。早くあの世に行って、また芹澤に可愛がってもらえ」
「ぶち殺してやる!」
 沖田は抜刀したが、天に振りかざしたまま動かない。
「ぬう…!」
 氷見山は悠々と背を向けた。
「言わなかったが、その妖刀は元々俺の血肉の一部だ。手にした者の体躯を自由に操れる」
 ふざけた妖刀だ。沖田は苦笑した。
 そして以下のことを憶測した。
 氷見山もあるいは芹澤と寝たのか。しかも沖田とは違い、自らの恋慕に突き動かされて。だから彼に無敵の剣を与えた。そしてその強烈な思いゆえに容易に憎悪に転じ、本人と恋敵を次々と屠ったか。
 …つまらぬ。なんとつまらぬ顛末であることか。たかが色恋の、しかも男色の嫉妬か。馬鹿馬鹿しい。こんな些事に妖刀を持ち出すか。望めば、為政者を脅して世を裏で糸引くこともできように。阿呆め。
 妖刀を回収しないのは、誰か次に拾った者を、新しい犬とする為か。
 沖田が手にした妖刀は、自らの意志とは無関係に己の頸をゆっくりと刎ねた。


著作:妄言王

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