デブへの道
1990年結婚し幸福が増すごとに体重も増し、1994年に長年愛したタバコに別れを告げると
体重は更に増し、1995年頃には72kgまでに、、、、、
ベルトの穴が足りなくなった時、さすがに「うっ、こりゃいかん」とダイエットを決意。
がしかし2年あまり空しく時だけが過ぎ、やがて健診の結果の紙に『高脂血症』の烙印が押された。ダイエットへの道
1997年頃、とりあえずトレーニング施設のある公共体育館に行き始める。
腕立て、腹筋、等を少々、走るのはど〜も時間の無駄のような気がして却下。
それでも間食を控えたり、食事の量を減らすとかしてるうちに1年くらい後には3kg程減の68kgに。
マッチョへの道
1998年ダイエット目的で始めた筋トレにいつしかずっぽりハマり、スポーツジムに入会。
ベンチプレス、ベントオーバーローイングモーション、トライセップスエクステンション、、、、etc
自分をいじめるのがこんなに楽しいなんて・・・・・・
その頃、舟木誠勝(プロレスラー)著『ハイブリッド肉体改造』なる本に出会い、食生活の改善
を妻の協力で始める。
ツナ、チキン、ブロッコリー、納豆、海草、、、etc
高たんぱく低カロリー、ミネラル重視の食事に。
有酸素運動の大切さも知り、トレッドミルで走るようになる。
おかげで体重は64kg前後(体脂肪14%)にまで絞られ、朝夕、洗面所の鏡の前でポーズを
とってしまうまもがいた。
ジョガーへの道
1997年ダイエットに目覚めた頃、ほとんど走ってないのに無謀にも『かなざわ市民マラソン』
5kmの部に生まれて初めて出場。
タイムは25分41秒だったが、苦しくて苦しくてそれしか憶えていない。
もう2度と出ないでおこうと思った。
1998年トレーニンジムの人達に誘われ『能越道開通記念マラソン』5kmの部に出場。
タイムは25分39秒で、この時はトレッドミルではあるが少し走ってたので初めての時
よりは楽に走れたような気がする。
でもやっぱり走るのは好きではなかった。
1999年夏、娘のラジオ体操の付き合いで神社までの往復2kmを走るようになる。
(娘は自転車)
この頃から「うん?走るのってわりかし楽しいじゃん??」と思えるようになり、トレッドミルより
外をジョギングする日が増え、距離もだんだん長く走るようになる。
ランナーへの道
2000年3月、『金沢ロードレース』10kmの部に出場。
自分としては初めて本格的にレースに出る気がした。
目標タイム50分、、、、初めて体験する10kmは長かった。
しかし不思議と沿道で声援してくれる人達の顔がはっきり見えて「頑張れ」「頑張って」
の声がとても心地良かった。
途中で、頭の中ではどからともなく『ロッキーのテーマ♪』が流れてきて体が少し軽くなった
ような気がしたのは今思うと初めて味わったランナーズハイだったのかもしれない。
そしてゴール、、、タイムは49分45秒で目標達成!!
ランナー まも 誕生の瞬間であった。
サブフォーへの道(※サブフォーとはフルマラソンを4時間内で走る事)
10km、ハーフの大会をいくつか経た後、2001年10月『大町アルプスマラソン』でいよいよ
念願のフルマラソンに挑戦・・・・がしかし、結果は4時間08分で惨敗。けれども、42.195km
を走り切った感動は、、、感動は、、、、、、(とーてい、言葉では語れない)
そしてその翌月2001年11月『福知山マラソン』にて3時間45分50秒で晴れてサブフォー
達成!!更なる努力を胸に誓った まも であった。
サブサーティーへの道(※サブサーティーとはフルマラソンを3時間30分内で走る事)
直前に風邪をひいてしまった2002年4月『長野マラソン』・・・惜しくも3時間32分40秒。
そこで右腸脛靭帯を故障してしまい、3週間後の『金沢マラソンに挑戦』の50kmに出場し
更に左膝まで故障してしまった。それから練習後のストレッチ、足のケアーの大切さを知り、
そのことに気を使いつつ月間150〜250km程度の練習をしてきたところ
同年11月『金沢市民マラソン』で10kmを40分21秒の自己ベスト更新。
それに気を良くして挑んだ同年同月『九頭竜マラソン』で晴天、低温、無風の好状況の中
念願のサブサーティーを達成!!ついでに20分まで切る3時間19分49秒でゴール。
翌2003年2月『木津川マラソン』で3時間18分08秒で更に自己ベスト更新!!
いよいよ次に狙うわサブスリー・・・・更なる努力を胸に誓った まも であった。
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