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収容当初は石油缶にコーリヤン(高粱)めし、樽にはスープだけの食事だった。
春はタンポポが咲き花をただ眺め感傷にふけっていた。
(抑留記)
「めし上げ」が伝達されると週番下士官に各小隊のめし上げ当番兵が、炊事場へ引率されて行く。
めしもスープも樽で受領しゼムリャンカの外でめし樽、スープ樽を並べ月明かりにより、
週番下士官、炊事当番立会いのもと目見当で分けられ、更にゼムリャンカ内で各分隊に
分けられる。
飯盒の蓋に汁と掛盒(おかずいれ)にめしで、食べる時はすっかり冷えている。
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