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チタ州の慰霊碑のない埋葬地
収容所・埋葬地名: 第52収容所第1支部、厚労省整理番号3031
所在地: ドラビヤンナヤ
収骨状況: 日本による最初に遺骨収集が行われた埋葬地で、1991年10月7−22日
に行われ、25名の報道関係者も参加し、全56柱収集済。
埋葬地の現況: 2004年の遺族会の巡礼団でここを訪れ、何にも無い所ににわか祭壇を設け、
追悼式を行った。上の写真はその時のものを使用させて頂く。
参加者の中に此処からお遺骨の帰って来た青森の姉妹が居られた。亡くなられたのに、幸せだと云う
のは失礼ながら、此処での死亡者は全て棺に納めて埋葬され、又1991年に遺骨収集時も、棺に入
れて焼骨されたとの事。柳瀬さんと言われる軍医さんが同行され、収容時の病気や怪我、埋葬の順序
から次々に確認が進み、他の収容所では死んだら裸にして埋葬したと聞くが、上記青森の姉妹の父上
は着ている洋服の名前の刺繍から判明したそうだ。
何にも無い所、村長が案内してくれ小高い山の上に白い造花が20−30輪散らばって居るのが唯一
の目印、古い缶詰の缶が有ったと言う事は誰か墓参に来られたのであろう。
父上を私と同じシャフタマで亡くされた岩手県宮古の山下氏はこの遺骨収集に参加しその後10年続けて出掛
け、遺骨収集のベテランになられたが、本人自身の所は中々そうは行かず、これまでお預けである。
お遺骨が帰って来たり、戦友会で記念誌が出ていたり、他に比べ恵まれた方だが、やはり現地にお墓
をと願うのは私だけだろうか・・・・
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