楽苦画飢27-舞鶴での入浴

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頭からDDTをかけられ湯船に飛び込み日本に帰った実感が湧き1945年8月7日以来首 までつかれる風呂であり思う存分手足を伸ばし3年3ヶ月のシベリアの垢を洗い落としスッ キリとした気分になった。
(楽苦我記)
12月1日早朝「日本だ」「日本だ」の声で甲板に駆け上がると、日本の山々が手に取る様 に見え既に湾内に入っているのか、船足は遅く山の上まで耕された畑が見え、松の青さが目 に滲み、箱庭の風景を眺めている様であり脳裏に焼き付いた。(中略)
「長い間ご苦労様でした」と書かれた歓迎アーチを潜り日本の土を二本足で確りと踏み日本 に帰った事を実感し、足取りも軽く舞鶴引き上げ者援護寮に向う、途中舞鶴婦人会の人が白 い割烹着の上に婦人会の襷を掛け、道の両側に並び手を叩き出迎えて呉れた、その時は何故 か目が潤んだ。
私達の導かれた所は大きな建物で土間に簀板が幾列にも長く並べられ、その上に着ている衣 服を脱ぎ所持品を置き、全裸で入浴と言われ廊下を突き進み巨大な浴場に歓声を挙げて肩ま で浸かった。日本人には風呂が一番で教習隊以来の垢、シベリアの垢をサッパリと洗い流し、 いい気持ちで上がって来るとあちら、こちらで「無い」「無い」と叫んでいる。私の「共産 党史」も無い、所持品も全部検査されて、始めに置いた位置よりずれている、誰が検査をし て取り上げたかかは入浴中であり目撃者はいない。
日本での第1夜は畳敷きの大広間であり布団が敷かれている、閲覧室には全国の空爆地の地 図が張り出されていた。(後略)