2004年8月20日(金)
我々遺児の慰霊団40名はロシアの裏玄関ハバロフスクに着いた。
外の方の心境は知る芳もない、そこで私の昨年初めて来た時に感じた事を記したメモがあるので、
それをご披露しよう。
「ハバロフスクの上空に来ると、何だか埋葬の為墓に連れて行かれるか、牢屋にでもしょっ引かれ
て行く思いだ、と言っても両方とも経験の無い事だが、良い気分ではない。兎に角、ハワイへ行く
時、ホノルルの上空から下を見下ろすのとは大違いである。」
「空港で小柄な、とても美人のガイドが迎えて呉れたが、話をするのも嫌だった。市内のホテルま
で『ここがオヤジを殺した国か』と怒り骨髄までである。夕飯もロシア料理など食えるかと息子と
日本レストランへ行ったものである。しかし1週間後にハバロフスクに帰って来た時は、「こいつ
等が悪いのではない」とトーンダウンしていた。」
私の知る父上をシベリアで亡くされた境遇の同じ方で「怨念を超えて」と言われる方が居られるが、
私はそこまで人間が出来ては居ない。
新潟空港からダリアビア航空(機材TU214、164席)でスケジュールより遅れたが、ロシア製の
「EFES」という生ぬるい缶ビールのサービスがあり呑んで居たら、1時間43分でハバロフスク
(気温は22度とのアナウンスがあり)に到着。
夕食は宿泊するインツーリストホテルの11階、去年と同じ和食「ユニハブ」で、午後9時という
のに窓から日没を見ながら、本日4回目の食事、全て和食。
両替、1ルーブル=¥3.94、
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