慰霊巡拝の旅6-チェレンホーボ墓地

 



2004年8月22日(日)
気候は、夜窓を開けて寝るぐらいだが、朝方冷える。7時のTVで19度と出ていた。昼間は日本 の9月下旬から10月始めの気候だろうか。
この日はイルクーツクから西へ140キロのチェレンホーブォに向った。途中15台のキャンピングカー の大軍団を追い越したが、これは北京からパリまで行くのだそうだ。ロシアの汚いトイレ問題も これで解決すれる訳だ。
チェレンホーブォ市役所を訪問、日曜日にも関わらず市長さんは我々の訪問を出迎えてくれた、 TVの取材もあり、先ず孤児院を訪れた。150人の孤児が居るそうだが、今夏休み、夏休みでも帰る 所のない子供達に歌などで歓迎された。我々は日本から持参した衣類や文房具を贈った。
チェレンホーボの抑留者は炭坑で石炭を掘らされたとのこと。町の中心地からバスで20分ぐらい の場所、小高いところで遠くに町を見下ろせた。遺骨収集は済んでいる。(601名中590柱)
墓碑は民間建立の物があり、現地の人が集まって来た、墓守をしてくれている人も来た、若者が お花を持って来て呉れ、個人追悼式を行った。
ここで長崎から参加の方の供養も行った、彼は大きい声で「お父さん、おやじー」と呼んだ、我 々も貰い泣きした。しかし父上の亡くなられたのは、タンボフ州でモスクワの近く、ここはロシ アの地ではあるが、距離的には日本の長崎方がうんと近い。それでも、声が聞こえてくれと祈る のみだった。