2000.6.19

あらかわ遊園


 荒川区立あらかわ遊園は藤堂和泉守の屋敷跡にあります。明治時代には、煉瓦工場が操業していましたが、失火による操業停止後に、経営者だった広岡勘兵衛氏らによって、大正11年(1922)5月1日、あら川遊園が設立されました。遊園地開園に際して煉瓦塀をつくったといわれていますが、今でも周辺に当時の煉瓦塀が一部残っています。広岡氏の死去後は、王子電気軌道株式会社によって経営されました。もともと広岡氏が開設した時から王子電車とのからみを意識して作った郊外行楽施設でした。(開設にあたっては王子電車の社長もからんでいるようです。) また、当時、尾久周辺ではなんとラジウム鉱泉が発見され(大正3年・1914)、不老閣・保生園・大河亭・小泉館・清遊館などがつぎつぎと開業していました。あらかわ遊園は芸妓屋や料理屋でにぎわう花街近くのプレイスポットだったのでしょうね。施設も、滝・池・築山・橋・展望塔・竜宮殿、はたまた大浴場などがあって、おとなのための遊園地、あるいはヘルスセンターに近いものだったと言えます。戦時中に高射砲が配備されるなどして荒れ果てました。荒川区立の遊園地となったのは、昭和25年(1950)のことです。その後、遊園地らしい乗り物などが設置されましたが、入り口を入ってすぐの池や橋は往年のあら川遊園を彷彿させるものがありました。私が幼かった頃(昭和40年代)は、門を入ってまっすぐ奥に行ったところ左手に、大人用のプールと飛行塔(結構怖かった!)がありました。また、観月橋を越えたあたりに大温室があり、そばの売店では、アイスキャンディーを売っていました。その先に豆汽車・ミニモノレール・ロックンロール・ゲームセンター、そして観覧車を越えると広場があったと記憶しています。(あってるかな?) 昭和61年から平成3年にわたって大改装しすっかり様相を変え、今や幼児に大人気のレジャー施設として知られています。小さい子でも安心の遊具や小動物園、芝生広場、徒歩池、プールなどがあります。

 現在のあらかわ遊園には、都電の停留所までの通りに面して、グラウンド・スポーツハウス・子供用プールといった施設があります。このうち、停留所傍のグラウンドは、かつては上尾久グラウンドと呼ばれていました。なお、大正14年(1925)発行の「尾久要覧」に、荒川遊園地前停留所側の尾久グラウンドの記述がありますが、これは上尾久グラウンドとは別のもので、停留所南側に広がる広大なグラウンドでした。その尾久グラウンドに関する記述では、「東京野球倶楽部が・・・運動奨励の意味において、同好会員を募り・・・大正11年・・・開場式を行ったもので理想的の野球場である。」と記されています。発会式当日の初試合では、文部省次官の始球式があったということです。

[第1期・大正〜昭和初期のあら川遊園]
 東京市郊外のプレイスポットとして栄えていた尾久町を代表するヘルスセンターで、「城北の名園」として知られた。大正時代の看板の内容がなかなか興味深い。
     
東京に最も近き避暑地  山水木石園内貳(二)萬坪完備
  暑さ知らずの仙境  凉味萬斛、風景絶佳
  有名なるあら川大瀧あり  安全飛行塔數十臺(数十台)建設


  諸設備・○角力(すもう)土俵の開放 ○運動機械器具完備 ○安全遊泳 
       場の開放 ○各種珍奇動物沢山 ○演芸場連日開場 ○日本
       料理部の大設備 ○入浴随意 ○洋食部の改善 ○各売店の
       安価提供 ○大納涼台の完備 ○??及び水上自転車                     
       ○遊覧モーターボート運転 ○専属写真部の設備あり 
・・・なんか、すごい! 
( ??のところは読取れず。)

●荒川(現・隅田川)からの全景 <開園当時> ●あら川大滝?   <開園当時>

arayu-6.jpg (10642 バイト)

arayu-7.jpg (16280 バイト)

●第二余興場 <開園当時>

●竜宮殿の展望塔    <開園当時> 

arayu-8.jpg (12348 バイト)
            

arayu-9.jpg (12014 バイト)
    
塔は開園翌年の関東大震災で倒壊したらしい。
手前の橋は観月橋である。            

●あら川遊園の全景<昭和初期>・・・大半が池だ。

arayu-5m.jpg (25673 バイト)


[第2期・戦後の区立荒川遊園]
準備中 

[第3期・平成の区立あらかわ遊園(現況)]
●今では、こどものプレイランド ●池や橋付近は第1期・2期を偲ばせる。

arayu-1m.jpg (17490 バイト)

arayu-2m.jpg (27976 バイト)

●煉瓦塀は今も見られる。
arayu-2m.jpg (27976 バイト)   現在のあらかわ遊園に関する詳細は→hp.gif (1721 バイト)

[年譜] 開設の経緯には、資料によって相違がある。
明治5年(1872) 石神仲衛門氏が、藤堂和泉守高虎の屋敷跡に煉瓦工場設立。後、鳥井氏に譲渡。
明治28年(1895) 広岡氏に煉瓦工場譲渡したが、後年、出火により焼失した。
大正11年(1895) 広岡勘兵衛氏らが、個人経営の遊園地として「あら川遊園」を開設。大正年間の「尾久要覧」や「新興の尾久町」では、「荒川遊園地」と称されているが、当時の写真・看板の表記は「あら川遊園」のようである。
昭和7年(1932) 広岡氏没後、経営難にあった遊園地の経営が王子電気軌道に。
昭和16年(1941) 遊園内に高射砲設置。荒廃地と化す。
昭和18年(1943) 王子電車が東京都電気局(現在は交通局)に併合され、遊園地は王子電車の電気事業とともに関東配電(現・東京電力)に移管された。
昭和21年(1946) 遊園地敷地が東京都都市計画の緑地帯建設指定区域となる。
昭和24年(1949) 東京都と関東配電との賃貸契約により、区立児童遊園となる。
昭和25年(1950) 都市計画荒川公園として指定され、区立荒川遊園として開園。
昭和28年(1953) 都有地としての買収がはじまり、昭和32年までに買収完了。
昭和42年(1967) 本格的温室設置。(現存せず)
昭和61年(1986) 全面的な改装に入る。
平成3年(1991) 全面改造を終え、新装オーフ゜ンする。
平成5年(1993) あらかわ遊園スポーツハウスがオープン。
平成6年(1994) あらかわ遊園地下駐車場がオープン。

●アド街ック天国的・荒川区へ戻る