あらかわ遊園設立経緯についての記述 |
失火により操業停止した広岡氏の煉瓦工場跡地に開園しましたが、広岡氏主導の個人経営なのか、王子電気軌道による設立とするのかの相違が見られます。また、区の刊行物関係では、広岡幾次郎と記述されていますが、他のものでは、広岡勘兵衛となっています。この両者は同一人物なのか、別人なのかを含め、一番信頼できる説がどれか、今のところ私にはわかりません。一般には、当時に近い資料が信用できるような気もしますが、古い文献は意外とあいまいな記述が多かったり、あきらかな記述ミスがあったりします。古老の証言も必ずしも正しい考証に基づかず、思い違いであることも多いようです。逆に新たな資料の発見があって、最近の方が正しい文献である場合があります。 |
新興の尾久町 下谷新聞社・北豊島支局篇 大正12年(1923) |
廣岡勘兵衛翁・・・氏・・・氏等が尽力の結果・・・創設したもので *この資料の時点で広岡氏存命中。 |
尾久要覧 藤城定吉 大正14年(1925) |
廣岡勘兵衛氏・・・氏・・・氏等の尽力により・・・開園の式を挙げたのである。 *この資料の時点で広岡氏存命中。 |
新修荒川区史(下) 東京都荒川区 昭和30年(1955) |
王子電気軌道会社により開園され・・・ |
増補荒川区土木誌 荒川区役所土木課・荒川区役所 昭和33年(1958) |
広岡(幾次郎・・・前述)氏は・・・王子電気軌道株式会社の社長であった金光庸夫氏の援助を得て・・・広岡氏個人の経営のもとに・・・・誕生をみたのである。・・・広岡氏歿して後、・・・昭和7年遊園の経営一切は王子電気軌道株式会社の手に委ねられ・・・ |
増補荒川区郷土史年表 荒川区役所・ 昭和37年(1962) |
王子電気軌道株式会社経営の・・・開園された。 |
荒川区土木誌 荒川区役所土木部・荒川区役所 昭和46年(1971) |
広岡(幾次郎・・・前述)氏は・・・王子電気軌道株式会社の社長であった金光庸夫氏の援助を得て・・・広岡氏個人の経営のもとに・・・・誕生をみたのである。・・・広岡氏死して後、・・・昭和7年迄、遊園の経営は一時、王子電気軌道株式会社の手に委ねられ・・・ |
隅田川とその両岸・補遺(下巻) 豊島寛彰・芳洲書院 昭和50年・1975 |
王子電気軌道株式会社(社長金光庸夫氏)がここに目をつけ、広岡氏の援助を得て荒川遊園を造った・・・・ その後昭和7年に広岡氏が歿してからは、実権は大株主である王子電気株式会社に移り、個人経営から会社経営に代わった。 |
写真で見る荒川区の史蹟めぐり 高田隆成・荒川史談会 昭和52年・1977 |
王子電気軌道株式会社によって開園されたのです。 |
荒川区史(下) 東京都荒川区 平成元年・1989 |
広岡幾次郎が・・・個人経営で始めた・・・ |
東京史跡ガイド18 荒川区史跡散歩(改訂) 高田隆成・荒川史談会・学生社 平成4年・1992 |
王子電気軌道株式会社が・・・着目して・・・開園した。 昭和7年、広岡勘兵衛の死後、王子電気軌道株式会社の経営となり・・・・ |
王子電気軌道株式会社 二十五年史 竹谷爲次郎 昭和10年・1935 |
大正11年・・・乗客誘致の目的を以て、沿線尾久町王子煉瓦株式会社経営のあら川遊園と提携したり。 |
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