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| かつて荒川区を象徴する存在だったさまざまなもの。時代とともにその姿も大きく変わった。 |
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荒川遊園地→あらかわ遊園
現在、あらかわ遊園と表示される唯一の区立遊園地は1986年〜91年にかけて全面改装し、さらにファミリー志向の強い遊園地となった。園内の観覧車は高さ10mから30mと本格的なものとなった。低学年以下の家族連れに相変わらず大人気であるが、大人に人気の釣堀も健在である。なお、従来の敷地以外にも拡大し、都電停留所(旧・西尾久七丁目、現・荒川遊園地前)に通じる道に面して、子供プールやスポーツハウス(温水プール等)が設けられている。
[消えたもの]飛行塔・フジ山・大温室など
アラカワシティ・シンキング(あらかわ遊園・考)
●写真:あらかわ遊園正門前 |
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東京球場→荒川総合スポーツセンター・南千住野球場他
1962年に大毎オリオンズ(後、東京、ロッテに継承)のホームスタジアムとして開場したが、赤字続きのため1972年に閉鎖された。京成線に乗ると、ナイターの光が冠のように輝いてみえた光景が懐かしい。正門前には、当時のエース3本柱(木樽・成田・小山)の大きなパネルが掲げられていた。球場の経営権は最後の年(1972年)の夏に大映から国際興業に移り、閉鎖を決めた小佐野賢治氏は、当時のロッテに売却を持ちかけたが、不調に終わったのである。その後10年近く放置されるままとなり荒れ放題となってしまった。再びフランチャイズ化する案が大々的に新聞報道されたが、その荒れ具合により無理と判断され解体された。
現在は、都営住宅・南千住警察署・南千住野球場・荒川総合スポーツセンターが所在する。
●写真:荒川総合スポーツセンター |
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町屋火葬場→町屋斎場
火葬場という名称はよい印象がないため、現在は町屋斎場と称している。かつては、建物・煙突ともに不気味な様相で、まさに忌避したい存在だった。煙突から排出される煙も独特の臭気を漂わせる迷惑施設と認識されていた。そんな斎場も、平成に入ってすっかり変わった。緑に囲まれた建物は、地味なホテルといったところか(?)。煙突の姿もなく、臭気も感じない。喪服姿がなければ、火葬場だとは思えない。いや葬儀場だとは思っても最早、火葬場とは感じないだろう。
アラカワシティ・シンキング(町屋斎場)
●写真:町屋斎場 |
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旭電化工業→都立尾久の原公園・都立保健科学大学
町工場の街・荒川区を代表する大工場があるゆえに、初空襲の被害を被った。軍事標的となるほど重要な工場として存在した旭電化は、1979年にその大半の撤退を開始した。土壌処理後の1985年に、東京都に跡地が引き継がれた。現在、跡地の西半分に都立保健科学大学が開設され、下水道浄化センターの設置が計画されている。また、東半分は都立尾久の原公園として開放されている。隣接する旧交通公園跡地には高層ビルが建ち、広大な公園、緑の続く大学前の歩道には、旭電化があったころの面影はない。延々と続いた工場のコンクリート壁、極端に狭い歩道があったのがウソのようである。
アラカワシティ・シンキング(尾久の原公園)
●写真:都立尾久の原公園
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銭湯→今も多くが残っているが・・・
昭和35年頃に94軒を擁していた荒川区の銭湯は、時代の流れとともに減少していったが、それでも、昭和63年には、まだ84軒が残っていた。しかし、平成に入ってから廃業が相次いでいる。わずか14年の間に実に29軒が消え(平成14年・2002.5.1現在) 56軒の営業となっている。(途中、一増)
人口密集度の高い荒川区は、銭湯の密集度も高く一万人当たりの銭湯数が都内第1位であり、銭湯王国を誇ってきたが、行く末が心配である。
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ボウリング場→いろいろ
昭和40年代に一世を風靡したボウリング場は、そのほとんどが姿を消している。
●東武ボウル・・・閉鎖した後、東武ストアがオープンし、一度ボウリング場としても復活したが、東武ストアの閉店とともに、ライオンズプラザに建替えられた。
●セキネプラザ・・・創価学会荒川池田文化会館が後継。
●アミーボウル・・・区内で一番レーン数の多かったのがココ。五月人形の吉徳大光流通センターとして、建物は健在。
●荒川パレスボウル・・・区内唯一のボウリング場として現在も営業している。 |
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都立荒川産院→空き地
子供達の多かった時代の象徴的な荒川産院は、少子化の流れとともにその役目を終えた。(平成6年12月休止) 跡地には病院建設などの案もあるようだが、まだ未定である。 |
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