荒辞苑 は行[15]2003.1.11

  はけた・しょうがっこう【峡田小学校】(南)荒川区成立時の合併旧4町の一つ三河島町地区最初の公立小学校。現在の荒川・町屋地区にある小学校(ナンバースクール)のルーツである。明治16年(1883)8月23日、三河島地区の村(旧三河島村・町屋村)を学区として開校した。校名は、江戸時代に三河島附近が上野の東叡山寛永寺の寺領となっており、峡田領と称したことにちなんでいる。後の第一峡田小であるが、平成5年3月31日に廃校となっている。(同時に八峡も廃校し新たな峡田小がスタートしている。)
  はしば・の・わたし【橋場の渡し】(南)白鬚橋付近にあった隅田川の渡し船。別名「白鬚の渡し」。「江戸名所図会」によれば、かつては「隅田川の渡し」と呼ばれていたようである。「伊勢物語」の在原業平が渡ったところという説もある。大正3年(1914)に白鬚橋株式会社によって有料の木橋が架けられると、急速に衰退し廃止された。
  はちまん・じんじゃ【八幡神社】(西尾)⇒尾久八幡神社
  はなのき・ばし【花の木橋】(荒)かつて藍染川にかかっていた橋。現在は、尾竹橋通りと京成線の交差点名として残っている。京成線は高架線だが、その脇の道路がかつての藍染川である。昭和35年(1960)に川は暗渠となった。⇒藍染川
  はぶたえ・だんご【羽二重団子】(東日)数多くの文学作品に登場する江戸時代創業の老舗。根岸、芋坂の『羽二重団子』は、文政2年(1819)創業の藤の木茶屋をはじまりとする。夏目漱石の『我輩は猫である』や正岡子規の『道灌山』などにも登場している。羽二重の名はそのきめ細かさを表現したもの。独特な扁平の団子である。
  ひがしおぐ【東尾久】現行の7行政区画名の一つ。昭和39年7月1日施行の尾久地区における街区方式・住居表示に伴い誕生。荒川区成立時の合併旧4町の一つである尾久町の東部地域を主体として、日暮里町の一部、三河島町の一部にて成立した。一丁目〜八丁目で構成。
  ひがしにっぽり【東日暮里】現行の7行政区画名の一つ。昭和41年3月1日施行の日暮里地区における街区方式・住居表示に伴い誕生。荒川区成立時の合併旧4町の一つである日暮里町の東部地域を主体として、南千住町の一部、三河島町の一部にて成立した。一丁目〜六丁目で構成。
  ひがしにっぽり・ごちょうめ・ちく・・・略【東日暮里五丁目地区市街地再開発事業】(東日)同潤会鶯谷アパート跡の再開発。東日暮里五丁目地区市街地再開発事業(平成4年8月準備組合設立、平成8年9月組合設立認可)により、同潤会アパート(昭和4年完成)を含む周辺を再開発し、平成13年(2001)、28階建て高層ビル「リーデンスタワー」が建てられた。
  ひぐらし・しょうがっこう【日暮小学校】(西日)荒川区成立時の合併旧4町の一つ日暮里町地区最初の公立小学校。現在、日暮里地区にある小学校(ナンバースクールやひぐらし小など)のルーツである。明治18年(1885)6月29日、日暮里地区の村(日暮里村・谷中村・谷中本村)を学区として開校した。現在の第一日暮里小学校。
  ひぐらし・の・さと・ちく・・・略【ひぐらしの里地区市街地再開発事業】(西日)日暮里駅前西側の再開発。西地区と中央地区、北地区からなる。日暮里舎人線の開通や成田新高速鉄道による成田空港までの所要時間短縮などとあわせ、発展が期待される。交番周辺をエリアとする西地区には、25階/B3階(2005年竣工予定)、駄菓子問屋街周辺をエリアとする中央地区に41階/B3階(2005年竣工予定)、その北側の北地区には33階/B3階(2007年竣工予定)の高層ビルがお目見えする。
  ひびや・せん【日比谷線】荒川区東部を縦断する営団地下鉄。荒川区内を通過する初めての地下鉄として、昭和36年(1961)3月28日に南千住〜仲御徒町間で開業、南千住駅を開設した。現在、日比谷線の路線は北千住〜中目黒間であるが、北千住以遠は東武鉄道伊勢崎線に、中目黒以遠は東急東横線に相互乗り入れしている。
  ひまわり【ひまわり】谷中銀座を舞台にしたNHK朝の連続ドラマ。松嶋菜々子主演で平成8年(1996)4月1日〜10月5日放映。日暮里駅より南西の高台側にある谷中銀座は、荒川区西日暮里と台東区谷中にまたがる。
  ひろば・かん【ひろば館】荒川区立の公民館的施設。昭和60年2月、「効率的な荒川区政をすすめる懇談会」により「区民ひろば構想」が区長に提言され、平成元年(1989)4月、それまでの児童館・老人福祉館・社会教育館・出張所付属集会室を再編した「ひろば館」がスタートした。それぞれ利用者が限定されがちだったのを広く利用できるようにしたことと、児童と高齢者との交流などを目的としての措置である。南千住・荒川・町屋・日暮里・尾久の各地域振興課によって管理運営されている。
  ふじみ・ざか【富士見坂】(西日)現在でも富士山を眺めることのできる「富士見坂」。富士見坂は、富士山を見ることのできる坂として各所に存在したが、建物の密集化や大型化により、本当に見ることのできる坂は、都内ではここだけになってしまった。諏訪台の浄光寺を背にして、ゆっくりと下る120mほどの坂である。しかし、最近、前方にマンションが建設され、富士山の左側を三分の一ほど覆ってしまったのが残念である。別名「花見坂」ともいうが、「妙隆寺坂」とも言う。花見の寺と呼ばれた妙隆寺は、残念なことにいまはもう無い。
  ほけん・かがく・だいがく【保健科学大学】(東尾)旭電化跡地に開学した荒川区唯一の大学(都立)。昭和61年(1986)、東京都立医療技術短期大学として電化跡地西側に開設。平成10年(1998)より四年制大学に移行し校名を変更した。2002年現在、看護学科・理学療法学科・作業療法学科・放射線学科から構成される。