荒辞苑 さ行[29]2003.1.11
| さんぱーる・あらかわ【サンパール荒川】(荒)荒川区民会館の愛称。昭和50年(1975)3月28日、旧区役所・旧区会館跡地に開館、平成4年(1992)11月1日新装オープンしている。前身の荒川区会館は、文化高揚・福祉増進を目的として、昭和29年(1954)12月にオープンしている。区役所の移転新築とともに、全面的な建替えのため、昭和46年8月末をもって閉館、現在のサンパール荒川が継承している。 | |
| しー・えー・てぃー・びー【CATV】有線放送によるケーブルテレビ網。本来は難視聴地域対策としての有線放送であるが、タウン情報をリリースする地域限定チャンネルの手段として、またインターネットの高速回線として利用されている。荒川区でも、東京ケーブルネットワークによるサービスが平成3年(1991)9月1日より、インターネットが平成11年(1999)3月1日より行われている。⇒東京ケーブルネットワーク | |
| しおいり【汐入】(南)南千住東北部で隅田川沿岸に位置する一帯。かつて隅田川の貨物車輌基地や鐘紡・大日本紡績(ユニチカ)の大工場群、そして隅田川に囲まれていたこの一帯は、陸の孤島のような交通の不便なところであった。それら工場群が進出してきた明治・大正期までは純農村でであり、また、胡粉(ごふん)の生産地として知られた。胡粉とは、あたりでとれた牡蠣がらを石臼でひいた粉で、能面などの美術品の材料として使用された。汐入の名は、荒川区内でも最も低い土地のために、潮が入ってきたことによるという。近年までは、住宅が密集し古い建物の目立つ土地であったが、白鬚西地区再開発の第二段階地区として再開発されている。 | |
| しおいり・おおはし【汐入大橋】(南)隅田川に架設予定の橋の仮称。白鬚西地区(汐入)と足立区をつなぐ。完了時期は未定である。 | |
| しおいり・の・わたし【汐入の渡し】(南)荒川区で最後まで営業していた隅田川の渡し船。現在の荒川三中裏手が渡し場だった。明治23年(1890)に正式に営業開始となっているが、明治初期より運航されていたようである。元来は対岸にあった鐘ヶ淵紡績工場の職工の交通手段として開設したといわれている。昭和41年(1966)に廃止された。 | |
| じてんしゃ・ぜい【自転車税】増収と放置自転車対策を兼ねた荒川区独自の政策(廃案)。平成12年(2000)11月30日、当時の藤枝区長より新税の構想が明らかになると、全国的な反響が巻き起こった。新税ブームのさなかにあって、1000円の購入税を放置自転車対策に当てる策は話題を呼んだが、区民・議員・業界などの反発もあって12月12日に早くも撤回した。関係筋によると、数ある案のひとつに過ぎなかったが、マスコミの注目を浴びてしまったようだ。 | |
| しもごいんでん・ばし【下御隠殿橋】(西日)日暮里駅北側の跨線橋(こせんきょう)。平成7年(1995)4月14日、新しく架け替えられた橋が開通した。この橋は日暮里駅下の低地部と諏訪台側(谷中側)を結ぶルートである。また、東北・上越・秋田・山形・長野の各新幹線、東北本線、高崎線、常磐線、その他JR線、京成線などが見下ろせる、鉄道ファンには知られた名所となっている。 | |
| じょうばん・しんせん【常磐新線】⇒つくばエクスプレス | |
| じょし・いだい・だいに・びょういん【女子医大第二病院】⇒東京女子医科大学附属第二病院 | |
| しらひげ・にし・ちく・・・略【白鬚西地区市街地再開発事業】(南)汐入地区で施行されている第二種事業。民間(個人・組合)が施行者となれる一種に対し、二種は公的機関が施行者となる。昭和44年(1969)に決定した防災拠点建設のための「江東再開発基本構想」の一貫として、白鬚地区は東地区(墨田区)・西地区(荒川区)が建設されることになった。西地区は、施行期間を昭和62年度〜平成14年度として開発中である。すでに、大工場群跡を主体とする第一段階地区が完成しつつあり、中低層の住宅棟や街路が整備され、隅田川沿岸の道路・トンネル・瑞光橋が姿をあらわしている。汐入の住宅密集地を主体とする第二段階地区の開発が続き、幼稚園・小学校・中学校と汐入大橋(仮称)の建設が予定されている。 | |
| しらひげ・の・わたし【白鬚の渡し】(南)⇒橋場の渡し | |
| しらひげ・ばし【白鬚橋】(南)隅田川にかかる区内最下流部の橋。墨田・台東区との区界に架かる明治通りの橋。このあたりでは「橋場の渡し」(渡し舟)が通行の手段となっていたが、大正3年(1914)、白鬚橋株式会社によって通行有料の木橋が架けられた。震災後の大正14年(1925)、東京府によって買収され、昭和6年(1931)に現・鉄橋となった。白鬚の名は、墨田区の白鬚神社にちなんだもの。 | |
| しん・みかわしま・えき【新三河島駅】(西日)京成電鉄の駅。昭和6年(1931)12月に京成線青砥〜日暮里間が開通し新三河島駅が開業した。京成線が明治通りと交差する地点に所在。町屋と日暮里の間にある。 | |
| しん・わたし【新渡し】(町)尾竹橋より約500m上流にあった隅田川の渡し船。明治後期から昭和の初めにかけて使われていた。足立区の西新井大師への参詣客が多く利用していたが、昭和9年(1934)に尾竹橋が架橋され廃止されるに至った。新渡しの名は、下流の「お茶屋の渡し」に対して、新しくできた渡しであるからという。渡し場は、旧尾竹橋中学校跡より西側、町屋5丁目と6丁目との境界のところにあった。 | |
| ずいこう・せき【瑞光石】(南)素盞雄神社にある石神。素盞雄神社が創建したと伝える延暦14年(795)、荊石が光り、翁の姿をしたニ神(素盞雄神社の神)が現れたという。この石を「瑞光」と称した。現在も境内にあるこの石の塚を「古塚」と呼んだことから、この近くを小塚原(こづかっぱら)というようになったともいう。なお、旧南千住町の公立小学校の名前もこの「瑞光」にちなんでいる。 | |
| ずいこう・しょうがっこう【瑞光小学校】(南)荒川区成立時の合併旧4町の一つ南千住町地区最初の公立小学校。現在、南千住地区にある小学校・瑞光ナンバースクールのルーツである。明治20年(1887)12月15日、南千住地区町村の二つの学区(千住南組+三ノ輪村、地方橋場町+地方今戸町+地方山谷町・・・今戸と山谷は現台東区)の共同の公立学校として開校した。瑞光の名は地域の氏神・素盞雄神社の瑞光殿(瑞光石を祀る拝殿)にちなみ命名されている。。 | |
| すいじん・おおはし【水神大橋】(南)隅田川にかかる区内上流部から五番目の橋。平成元年(1989)に完成し、4年より歩行者のみ通行可、8年7月10日より自動車も通行可能となった。白鬚西地区(汐入)と東地区(墨田区)をつなぐ。水神大橋の名前は、隅田川神社が隅田川の総鎮守として、明治初期まで水神社・水神宮と呼ばれていたこと、付近に「水神の渡し」(渡し舟)があったことにちなんだものである。 | |
| すいじん・の・わたし【水神の渡し】(南)水神大橋付近にあった隅田川の渡し船。明治中期以降昭和前期頃まで営業された。対岸の隅田川神社(水神宮・水神社)への参詣客が多く利用した。 | |
| すーぱー・ていぼう【スーパー堤防】耐久性にすぐれた緩傾斜式堤防。近年、この形式の堤防に更新されつつある。荒川等の河川では、この堤防の耐久性に視点をおいた評価が目立つが、隅田川では、その親水性に視点をおいた評価が優先されている。スーパー堤防は緩傾斜であるため、従来のものより体積も大きく抵抗性も低いため、大洪水が発生して川の水位が堤防の高さを越えても決壊しない。堤防の高さの約30倍の広い幅をもつ安全な堤防である。隅田川では、従来の閉鎖的無機質的なコンクリート護岸(カミソリ堤防)を廃し、人々と隅田川の豊かな関係を回復するための土と緑の堤防事業(スーパー堤防事業)≠ニして位置付けられている。あらかわ遊園前(平成7年、建設省の手づくり故郷賞受賞)及びアクロシティ前は完成済。 | |
| すさのお・じんじゃ【素盞雄神社】(南)区内最多の氏子を有する神社。汐入・白鬚地区を除く南千住や旧三河島町地区の町屋・荒川全域や東西日暮里の一部の氏神である。境内の「瑞光石」の放つ光の中からあらわれた翁(ニ神=素盞雄命・事代主命)を祀る。神域はかつて「あすかの森」と呼ばれ、神社も明治までは(千住)天王社と呼称した。延暦14年(795)の創建であるという。 | |
| すみだ・がわ【隅田川】⇒荒川@ | |
| すみだがわ・えき【隅田川駅】(南)有数の貨物専門駅。歴史は古く、明治29年(1896)12月25日に、南千住駅とともに開設された。全国の貨物の集散地として知られた。引き込み線が無数に広がる広大な敷地は、北部の汐入地区を「陸の孤島」とするほどであった。民営の日本鉄道、国鉄時代を経て、現在は、JR貨物の駅となっている。船運にも恵まれた好立地であったが、鉄道貨物の衰退により大幅な縮小が進み、再開発の対象地となっている。 | |
| すみだ・がわ・の・わたし【隅田川の渡し】(南)⇒橋場の渡し | |
| すわ・じんじゃ【諏方神社】(西日)西日暮里の大半と東日暮里の一部の氏神。もともとは、かつての新堀村・谷中村の総鎮守である。祭神は信州諏訪神社と同じ建御名方命(たけみなかたのみこと)で、創建は元久2年(1205)、豊島左衛門尉経泰によると伝えられている。後に太田道灌によって江戸の出城とした際に、城内の鎮守として祀られている。氏子域は台東区谷中地区にかかる。 | |
| すわだい【諏訪台】(西日)西日暮里駅から日暮里駅にかけての高台。安藤広重の名所江戸百景「日暮里寺院の林泉」・「日暮里諏訪の台」などでも取り上げられているように、江戸時代そして明治時代にかけての景勝地である。青雲寺・修性院などが「花見寺」と称され、桜やつつじで知られたことは、前者の作品であらわされ、日光の山々や筑波山までが望めたことは、後者の作品に示されている。高台からの土器投げも田端よりの道灌山より諏訪台の方が有名になっていった。 | |
| せんい・とんや・がい【繊維問屋街】(東日)⇒日暮里繊維街 | |
| せんじゅ・おおはし【千住大橋】(南)隅田川にかかる区内上流部から四番目の橋。隅田川で一番最初に架設され(文禄3年・1595)大橋と呼ばれたが、両国橋の完成後は、千住の大橋と呼称されるようになった。現在の橋は昭和2年(1927)に架設されたもので、昭和48年(1973)に副橋・新千住大橋が上り専用として架設されたのにともない、下り専用となった。また、昭和44年(1969)10月26日まで、都電の21系統がこの橋を渡る姿が見られた。 | |
| せんたー・まちや【センターまちや】(荒)町屋駅前の22階建て高層ビル。平成8年(1996)、町屋駅前中央地区市街地再開発事業により建設された。地上22階・地下2階建てで、地下には町屋駅前駐輪施設を、また3・4階には多目的ホール・スタジオ等を設置したムーブ町屋がある。上層は東京都住宅供給公社の賃貸住宅。今川焼きの博多屋・割烹のお多福などが所在した都電停留所脇を再開発してできたビルで、博多屋・お多福ともセンターまちやの地下1階に入居している。各種テナントも入居。地下鉄町屋駅0番出口を新設している。 | |
| せんとう【銭湯】公衆浴場の俗称で、荒川区は有数の銭湯密度を誇る。都内の銭湯数は2000年現在で約1300軒、2002年12月では1172軒と最盛期の昭和45年(1970)頃の半数以下となっている。内風呂の普及や人口構造の変化といった影響によるものだが、バブル期の地上げで一気に減少した。その中で比較的高齢者が多い荒川区では、減少率が低い方で、結果、人口1万人あたりの銭湯数がダントツの1位となっている。2002.12.1現在で52軒の銭湯が営業している。 |