荒辞苑 た行[18]2003.1.11
| だがし・どんやがい【駄菓子問屋街】⇒日暮里菓子玩具問屋街 | |
| ちかてつ【地下鉄】⇒千代田線 ⇒日比谷線 | |
| ちよだ・せん【千代田線】荒川区中央部を縦断する営団地下鉄。荒川区で二番目の地下鉄。昭和44年(1969)12月20日に北千住〜大手町間が開通し、区内では町屋駅と西日暮里駅が開業した。ともに、京成線や国鉄(JR)との接続駅となっている。現在、千代田線の路線は綾瀬〜代々木上原間であるが、綾瀬以降はJR常磐線に、代々木上原以降は小田急線に相互乗り入れしている。特に常磐線との乗り入れでは、常磐線緩行列車は北千住より千代田線に乗り入れることになっている。(常磐線快速列車はすべて上野行き) | |
| ついん・してぃ【ツインシティ】(町)旭電化跡地にある2棟の22階建て住宅。正確には、町屋5丁目にあった交通公園及び隣接の東尾久7丁目に属した旭電化跡地、そして両者を隔てていた区道を含めた敷地に、平成10年(1998)建設された。2棟ある建物は西側が区立住宅棟(区住棟)で、東側が都営住宅棟(都住棟)となっており、敷地内に区立原公園(児童公園)が開設されている。なお、敷地の住居表示は平成9年2月1日の町界変更により、町屋5丁目に統一している。 | |
| つくば・えくすぷれす【つくばエクスプレス】荒川区内を通過する平成17年度開業予定の鉄路(旧仮称・常磐新線)。東京「秋葉原」から茨城「つくば」までの全20駅58.3kmを結ぶ。 昭和59年(1984)11月29日、荒川区長などにより「常磐方面新線」の導入要望書が運輸大臣に提出された。平成3年(1991)、沿線自治体の出資により事業主体として第三セクター 「首都圏新都市鉄道株式会社」を設立。当初、平成12年度の開業予定だったが、平成8年(1996)、 常磐新線整備計画の見直しにより開業時期を平成17年度に変更。荒川区内では、南千住駅(仮称)を設置の予定で、日比谷線・常磐線との3線統合駅を建設する。平成13年(2001)2月つくばエクスプレスと命名。 | |
| てら・の・ゆ【寺の湯】⇒尾久温泉 | |
| でるた・ぞうせんじょ【デルタ造船所】区内にあった漕艇競技用ボートレース艇の造船所。昭和3年創業以来、オリンピック、世界大会、国体、インターハイ等の各種ボートの提供を続けている。世界の最先端を行く舟艇の開発、生産、販売を行う日本国内唯一の企業。尾久橋脇、隅田川堤防に接する工場は名物風景だったが、平成12年(2000)茨城県稲敷郡新利根町の下太田第二地区工業団地に転出した。 | |
| どうかん・やま【道灌山】(西日)西日暮里駅から田端よりに連なる高台で、江戸の名所。東都名所「道灌山虫聞(むしきき)之図」(安藤広重)・東京開花狂画名所「道灌山土器(かわらけ)」・東京名所図会「道灌山」などで、いかに景勝地であったかをみることができる。筑波や日光連山を望むことができ、土器投げや虫の音を聞いたり、薬草狩りなどで賑わった。景勝地としては、次第に隣接する諏訪台に人気を奪われていった。道灌山の名は近くに出城を築いた太田道灌にちなむ。現在の開成グラウンド周辺の台地が道灌山である。戦後、縄文・弥生以降の遺跡が発見されている。 | |
| とうきょう・あらかわ・しょうねんしょうじょ・がっしょうたい【東京荒川少年少女合唱隊】区内外で活躍する合唱団。昭和40年(1965)創立で、TVアニメ「ど根性ガエル」のオープニング曲(ど根性ガエル)やTV特撮「ミラーマン」のエンディング曲(戦えミラーマン)などにも参加。創設当時から長い間、常任指揮者として活躍された故・渡邊顯麿氏は、平成元年(1989)に東京都功労者として表彰されている。タレント・芸術家の片岡鶴太郎氏は合唱隊第一期生だった。 | |
| とうきょう・けーぶる・ねっとわーく【東京ケーブルネットワーク】文京区後楽に本社をおくCATV会社。文京ケーブルネットワークとして昭和63年4月開局後、荒川区他でのサービスをねらい、現社名に変更。平成3年(1991)9月1日荒川ケーブルテレビ(荒川局)開局。コミュニティチャンネルとして、荒川区民チャンネル21chの放送を開始し、平成7年4月1日より、「こんにちは荒川区」「あらかわアラカルト」などを放送する「マイチャンネルあらかわ5ch」が運営されている。また、平成11年(1999)3月1日より行われているインターネットサービスでは、荒川区公式ホームページや区立小学校ホームページなどのプロバイダとなっている。 | |
| とうきょう・じょし・いか・だいがく・ふぞく・だいに・びょういん【東京女子医科大学附属第二病院】(西尾)区内唯一の大学附属病院。「女子医大第二病院」として知られるこの病院を、高齢者は「女子医専」と呼ぶ。女子医大の前身・東京女子医学専門学校時代の昭和9年7月に病院が開設されたからである。尾久に開設したのは、昭和5年7月に尾久隣保館を借りて無料診療事業を行うとともに、学生の実習指導の場としていたのが縁となり、現在地に附属病院の分院として開設したことによる。平成10年6月、第三次救急センターがオープン、同年8月には外来棟が竣工し、荒川区を中心として広く地域住民の診療を担っている。 | |
| とうきょう・すたじあむ【東京スタジアム】(南)南千住にあったプロ野球のフランチャイズ球場。別名・東京球場。昭和37年(1962)、大映・永田雅一社長がパ・リーグ所属の大毎オリオンズの本拠地として開設。以降、東京オリオンズ・ロッテオリオンズが引継いだが、昭和47年(1972)、経営難により国際興業・小佐野賢治氏に経営権を委譲。しかし、小佐野氏は赤字解消の見込みなしとして同年をもって球場を閉鎖した。長い間放置され復活も検討されたが、解体のやむなきに至る。現在、南千住野球場・荒川総合スポーツセンター南千住警察署が所在している。 | |
| とでん【都電】東京都の路面電車。最盛期42系統が運行されていた。荒川区内でも5系統があった。27系統=三輪ノ橋〜赤羽(区内停留所→現荒川線の7箇所)。21系統=千住四丁目〜水天宮前(区内停留所→千住大橋・南千住六丁目・三ノ輪橋)は、昭和44年(1969)10月26日廃止。22系統=南千住〜新橋(区内停留所→南千住)は、昭和46年(1971)3月18日廃止、付属する南千住車庫も廃止。31系統=三ノ輪橋〜都庁前(区内停留所→三ノ輪橋)は、昭和44年(1969)10月26日廃止。32系統=荒川車庫前〜早稲田(区内停留所→荒川車庫前)は、全線残り、昭和47年(1972)に王子〜赤羽間を廃止短縮した27系統と、昭和49年(1974)に統合し荒川線となっている。 | |
| とでん・あらかわ・しゃこ【都電荒川車庫】(西尾)都電荒川線の車輌基地。荒川線の営業所も併設。大正2年(1913)に荒川線の前身である王子電気軌道(通称:王子電車、王電)が三ノ輪橋まで開通したのに伴い、王電船方車庫として開設された。現在、8501形・8500形・7500形・7000形の現役車輌の他、イベント用車輌の6000形(平成15年3月あらかわ遊園に移設予定)や応急車の旧7500形が各1両保存されている。また、都電全盛期の花形車であった5501形(PCCカー)も保存されている。 | |
| とでん・あらかわ・せん【都電荒川線】現存する唯一の都電。三ノ輪橋〜早稲田間全29停留所の内、12停留所が荒川区にあり、区内を横断する重要な交通機関である。車庫も区内にある。かつては42系統もの都電が運行していたが、昭和40年代のモータリゼーションによって次々と廃止され、昭和47年11月12日には27番線の一部と、32番全線を残し全廃された。両路線は一部重複していたため、実質一本化される形となった。昭和49年(1974)、「荒川線」と命名。本路線の前身は、王子電気軌道(通称:王子電車、王電)は、大正2年(1913)に三ノ輪橋まで開通した。昭和17年(1942)、戦時統制で東京市に統合され東京市電気局管轄となる。王電船方車庫も市電荒川営業所と変更された。翌18年、都制施行により、東京都交通局管轄の都電となった。 | |
| どりーむ・ごう【ドリーム号】都電車輌7500形に似せたあらかわ遊園附帯バス。平成3年(1991)4月27日、新装・あらかわ遊園オープニングで「ミニ都電」としてお披露目。同年5月8日「ドリーム号」として運行開始。外装内装とも本物に似せた20人乗りのマイクロバスである。区内の団体送迎や日祝の日暮里・南千住駅連絡バスとして、その他、遊覧・イベント用として無料運行。 | |
| とろりー・ばす【トロリーバス】区内では明治通りで運行していた軌道のない鉄道。トロリーバスは、外見上は道路上を走るバスだが、集電ポールを持ち、架線を伝わって走行する。法規上、レールの無い電車(無軌条電車)という類のれっきとした電車である。都営電車の一つとして4系統、荒川区内では2系統が存在した。(103系統=池袋駅前〜区役所前〜亀戸駅前=昭和32年1月12日〜昭和43年3月30日、104系統=池袋駅前〜三ノ輪〜浅草雷門=昭和33年9月18日〜昭和43年3月30日) | |
| とんぼ・こうえん【トンボ公園】(東尾)⇒尾久の原公園 |