日暮里駄菓子問屋街


1999.12.9
2001.9.4

 

(2001.9.4改訂)
 
 
 一般に駄菓子問屋街として知られる「日暮里菓子玩具問屋街(日暮里菓子玩具問屋組合)」は、アド街ック天国でも、日暮里編第1位に選出されている。(1997.8.23放映) 駄菓子などのレトロ物の注目度が高くなっていたためだが、残念ながら現在では、仲間出し(問屋の問屋)のこだま商会の他、7店舗しかない。それも、ひぐらしの里再開発事業の計画地に入ってしまったため、風前の灯火である。高層ビルも建つ予定という。その時、問屋街はどうなるのであろうか。(2001.9.4付記 再開発地区の目玉として、行政からも地下1階に入居するよう要請されているらしい。ただ、数年後のことであり、高齢に達している現経営者がこの商売を継続しているかどうか、と・・・・・ある経営者が語っていた。)
 
 初めて行く人には、意外とちっぽけな問屋街であると感じる規模であるが、その昔、上野・錦糸町とならんで3大駄菓子問屋街のひとつとして、最盛期には120店舗ほどを擁していた。しかし、街中から駄菓子屋さんが消えていったのとともに需要がなくなり、問屋街も衰退していった。昭和40年代まではまだまだ需要もあったようだ。確かに私の小学生時代(昭和40年代)は、まだあちこちで駄菓子屋さんを見ることができた。荷台に駄菓子を高く積み、日暮里から戻ってきたと聞かされた駄菓子屋の自転車の姿が今でもまぶたに焼き付いている。
 
 かつての子供たちにとっては、駄菓子屋さんは、いわばコンビニ的な存在だった。そこで、初めて買い物を経験した人も多いことだろう。やはり、少子化の影響は甚大であった。先に述べた通り、ブームで多少の駄菓子需要の回帰はあったが、大方、スーパーやコンビニでの取り扱いであったため、流通経路の異なる問屋街にとっては、メリットは思ったより少なかったらしい。(流通経路の多様化も衰退の原因と思われる。) とはいっても、町内会や文化祭・学祭などの催し物グッズとしての注目度は高いため、夏から秋にかけて、学生・主婦らが集って物色している姿を多く見ることができる。日曜日も営業しており(月曜休業)、陽気のよい日には、谷中・日暮里・根岸を散策する人がぶらりと立ち寄ることも多い。問屋であるにも関わらず、一般客(素人客と問屋側は呼ぶ。)でも購入することができる。ただし、基本は箱単位などのまとめ買いとなる。とはいっても、単品10円〜50円程度のものが多いので、駄菓子1箱でも、300円〜1000円程度で買えるものが多い。
 

   
駄菓子
 仙台駄菓子など、伝統菓子をさす場合もあるが、われわれの語る駄菓子は、代用品的なお菓子から甘納豆、はたまた漬物までとさまざまなものがあった。現在では、プチ的なお菓子のパックといったものが主体となっている。代表的なところで、「ベビースターラーメン」「うまい棒」「‘蒲焼さん太郎’などのシリーズ」、その他にも、ソースせんべいや、ふ菓子などがよく見られる。もはやこれらは、インディーズからメジャーデビューしたような存在であり、衛生的な包装で販売されている。ちょっと私の知るものとは違うなと感じるが、それは時代の流れというものかもしれない。
懐かしの駄菓子 (現在売っていないものもある。)
 
・みかんの寒天(切り分けてある)
 ・クジ付紙砂糖(正式名称は?、赤紫っぽい色の砂糖が紙に付着されている。
       当たりだと濃い色=より甘いやつがもらえる。絵が書いてあった。)
 ・試験管のような太い管に入ったゼリーもどき
       (ゼリーというより大和のりのようなヤツ) 
 ・糸引きあめ(これは今もあるかも) 
 ・小袋入りわらび餅 
 ・桜大根 
 ・すもも(これは根強く残っている)
 ・クジ引き小豆甘納豆
 
・クジ付あんこ玉・・・荒川区東尾久にある植田製菓製 
 ・なぜか最後まで1等が残っているクジ引き純チョコ 
 ・あんず棒
 ・ヨーグルト風カップ
 
・ソースせんべい用梅ジャム&みかんジャム 
   
・・・荒川区東尾久にある梅の花本舗製
 ・鈴カステラをつぶして竹串で刺したようなもの 
  などなど・・・・・・・・・・・・・・

▲梅の花本舗製の
有名な梅ジャム

実は、東尾久製品である。
 
駄菓子のネット販売●井ノ口商店・・・東日暮里にあるが、駄菓子問屋街ではない。三ノ輪の近くに所在。
 

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