カオスから見た時間の矢

田崎秀一著『カオスから見た時間の矢』(講談社・ブルーバックス)の要点整理
1.ボルツマンが可逆な分子の衝突過程から気体の不可逆変化を説明。

2.ロシュミットはこれに対して、変化後の状態からすべての分子が逆の速度で運動すれば、分子はそれまでの過程を逆にたどって元に戻るはず、と批判。

3.ツェルメロは、ポアンカレの回帰定理【いくつかの物体が有限の大きさの空間内で運動するとき、十分長い時間のうちには元の状態に近い状態に何度も戻ってくる】を有限の容器の中を動き回っている分子集団に適用し、よほど特殊な状態から出発しない限り、分子集団は何度も初めの状態に近い状態に戻るはず、と批判。

4.ボルツマンはこれらの批判に対して反駁。
●熱平衡と逆の方向に向かうような初期状態の実現は極めて稀。

●回帰時間>>宇宙の年齢だから、初期状態への回帰を観察することは実際上不可能。

5.しかし、新技術の発達により、スピン・エコー現象の実現【原子核スピンと呼ばれる微視的運動を巨視的な規模で反転させること】が可能となった。
 ∴原子・分子運動の反転実現性・可逆性が検証。
(感想)
核磁気共鳴【スピン運動で微小磁石化した原子核が横磁力による揺さぶりを受け、その回転軸が傾けられる現象】から逆立ち独楽を連想した。原理は同じか。

6. 原子・分子運動の反転実現性・可逆性にもかかわらず、孤立した物体の状態が一方向的に熱平衡状態に向かって変わっていくのはなぜか。
●孤立した物体の微視的状態は、およそ6×(10の19乗)もの次元をもつ空間の中の、全エネルギーが一定の面の一点で表されるが、巨視的状態は、その定エネルギー面上に分布する実現可能な点が集まって形成される雲【ギッブス集団】で表される。

●微視的状態を表す点は可逆的に運動するが、巨視的状態を表す雲は不可逆的にその形を変化させていき、それに「時間の矢」が刻まれていく。
<感想>
最も簡単な例として、ひとつの物体において、分子Aの状態と分子Bとの状態が入れ換われば、微視的状態は変わったことになるけれども巨視的状態は変わらない―そういうことを言っているのか。
『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」を連想した。
確かに、自分の肉体も、これを構成する原子は常に入れ替わっているのに、全体は老化という不可逆変化を遂げていく。
仏教は、この宇宙の階層構造的在り方を「空」といい、その中に見る不可逆性を「諸行無常」といっているではないだろうか。

●巨視的状態を表す雲たるギッブス集団が不可逆的にその形を変化させていくのは、原子・分子運動のカオス性【衝突の初期条件のわずかな差が大きく違う運動を引き起こす】による。
また、ギッブス集団が形を変化させていく様子は多重パイこね変換によるシミュレーションで確認することができる。

●原子・分子の反転実現性が認められても拡散現象が初期状態【反フィック状態】に戻らないのは、反フィック状態がちょっとした乱れに「弱い」からであり、理論的には存在するのだが実現はされない。
<感想>
この「弱い」というのは、「区別しない2個のさいころを振った場合に、両方も1の目が出る事象は、1と6の目が出る事象よりも起こりにくい」というのと、その本質的な意味は同じか。

●なお、ポアンカレの回帰定理は、その証明から、運動する一点にしか適用できないものであり、ギッブス集団を構成するすべての点が同時に最初の位置に戻ることを保証するものではない。

<第1回読み終わり:2013.2.23>

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