「科学の哲学」整理ノート
〜柳瀬睦男著『科学の哲学』(岩波新書)を読んで〜
T.ものの変化 自然科学の問い=@物とは何か。A変化とは何か(運動の法則)。⇔不変なものとは何か(保存の法則)。 |
U.エネルギー 1.現代物理学=エネルギーの学問 @物の本質=エネルギー A変化=エネルギーがいろいろな状態に変わること。 B不変なもの=エネルギー 2.エネルギーの形 @力学的エネルギー(熱的エネルギーを含む。) A電磁気的エネルギー B物質 3.物理法則 @古典力学 A電磁気学 B相対性理論 C量子力学 →エネルギーが各適用限界のひとつの目安。 4.生物 熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に反する現象の不思議。 |
V.科学と方法 1.諸科学の方法論 実在論、唯物弁証法的哲学=共通のリアリズム・常識に近い立場⇔実証主義、実存主義、観念論 2.物理学の方法と法則 1)第一段階=観測・実験(結果の予測に基づくデザイン)…生のデータ 2)第二段階=現象論的法則(例:ケプラーの法則) 3)第三段階=本質的法則(例:ニュートンの万有引力の法則) @予測・推古 A数量的・精密的…日常経験で見出される法則との違い 3.科学における数学の役割 @抽象的数量の関数関係として記述。→個々のデータでは得られなかった情報が得られる。 ●図形→量的記述(代数的数式への変換)も可能。 ●ベクトル→多くの情報を1つの表現で表せる。 ●複素数→実数だけでは見えなかったことが見える。 ●微積分→微分方程式による解析。 ●確率→確からしさ(非数学的概念)の数学化。 A図形=トポロジカルな人間の思考方法としての効用。現象論的法則の発見段階で重要な役割を果たす。 |
W.論理と言葉 科学理論の構築=@データ+A数学+B言葉による論理(推論) ※B→全段階で使用。 ●推論=演繹+帰納→日常言語では矛盾もあり。…概念の曖昧さ、立場の相違など。 ●言語→日常言語から科学言語へ(ウイ-ン学派、マッハ)。 →失敗(自由に変えることのできる柔軟な言葉が必要)。 ●数学=演繹 自然科学=演繹+帰納→公理系は閉じない。 →論理実証主義(日常言語を分析し、その論理で自然科学の理論を解明)× ●命題の真偽=@懐疑的立場、不可知論的立場 A知識・真理は獲得可能な命題であると考える立場 ●数学基礎論=@論理主義(数学=論理)…バートランド・ラッセル A直観主義(数学=基礎は直観にあり。)…ブラウアー、ハイティング B形式主義(数学=構造・形式のみが問題。)…ヒルベルト→今日の立場 ●日常言語=二値論理 →記述不能な命題の存在(例:量子力学・不確定性原理、心理学・夢) →三値・多値・無限値論理の必要性 →しかし、最後の一番の基礎にあるのは日常言語、即ち二値論理であることに留意。 |
X.存在的真理 1.真理 @事象に関する真理=存在的真理 調べ方(実証)…現象との一致→いつでもどこでも正確に成り立つことをどうして保証できるか。 ●実験に際しての自然科学者の基本的態度=自然法則の普遍性を信じる立場(素朴実在論の立場) A論理的な真理=トートロジィー 2.自然法則の「原理」 @矛盾の原理=●存在的な意味での矛盾 ●論理的な意味での矛盾 A因果性の原理=ある結果があれば、必ず原因がある。(存在的真理に関する原理) B斉一性の原理=いつでもどこでも真(論理的な真理の場合、明らか)…J・S・ミルが提唱 3.各種立場と原理との関係 @経験論的な立場(イギリスの経験論) =真理という問題を正面から扱わない立場 真理とは現象の一致。実在論で問題にする背後の原理は無意味。⇔大陸の合理主義的立場 *論理実証主義的立場=19C終わり頃、ウイーン学派が経験論的な立場を極端に推進。 ●矛盾の原理→論理○、存在× ●因果性の原理→× ●斉一性の原理→○ A懐疑主義=原理を全然認めない立場 →考える「私」は自明。 →感覚自体の原因はどこにあるか。 →全て自分の中にあり。=唯我論、独我論 しかし、実生活との論理的矛盾が生じるはず。 B不可知論=命題が真であることを知ることができない。知る方法がない。 →ある命題については、認めた方がよいと思われる。 4.先験的な総合判断はあるか(存在的真理の絶対的保証は可能か) (1)内容 ●先験的=経験に先立つ。経験によらない。 ●総合的=主語から述語が分析によって出てこない。⇔分析的 ●判断=命題 カント→合理主義(デカルト)と経験論(ベーコン)の総合。 →哲学の中にはない(形而上学はない)。 →数学・自然科学の命題にはある。…ニュートン力学の絶対性信仰。今日においては認められない。 (2)自然法則の「原理」は総合的か? @矛盾律・因果律→意見が分かれる。*矛盾律は分析的か。しかし、トートロジィーということになって問題? A斉一性の原理→総合的 (3)実在論の立場 @自分の自我を認めること。 A目に見えるものだけでなく、目に見えないものも含めて、自分自身の体と外界を認めること。 →一番健全な態度と思われる。 |