『イカの哲学』整理ノート
〜中沢新一・波多野一郎著『イカの哲学』(集英社新書)を読んで〜

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◆本書を読んで考えたこと
(1)小さな生物の中に実に巧妙な仕組み、能力を発見して驚くことがあるが、
   これは生命と知性が本質的に同じものであることを意味しているのだと思う。
   我々は日常意識している知性を主体と捉え、その外側にあるものは全て知性の対象物たる客体と捉えているが、
   実は地球全体(もしかすると大宇宙全体)に生命という知性のネットワークが構成されており(仏教の如来とはこれを言うのだろう)、
   我々が主体として捉えている知性は、そのうちの、意識という光が当たったほんの一点に過ぎないのであって、
   他のほとんどの知性は無意識という闇の中に潜在しているということであろう。
   (自分の心臓を適切に動かす知性ですら意識の外なのだから。)
   そして、自分が主体として捉えている知性と全く同質の知性が、どんな小さな生あるものにも宿っているという事実
   これを心底認知することこそがその実存を感知するということなのだろうと思う。
(2)しかし、一番切実な問題は全人類が小さな生あるものの実存を感知するにはどうしたらよいか、という点であるが、
  『イカの哲学』はその具体的な方策について何も提言していない。
  それはおそらく、 『イカの哲学』の思想は波多野氏が極限体験を経て思索し続けたからこそ観じ得た一つの宗教的真理であり、
  これまで優れた宗教家が到達した境地の追体験ともいうべきものであって、
  これを出版した目的は世界平和の鍵がそこにあるという真実そのものを、真理降臨の確信の下に伝えることにあったからだと思う。

 

◆整理ノート
1.『イカの哲学』の要旨
(1)経緯
  ・プラグマティズム=バースに始まり、デューイの指導と活動によりアメリカ独自の哲学として華々しく展開。
  [⇔ヘーゲル哲学=日本の全体主義者、右翼の国粋主義者の理論的支柱]
 →波多野一郎氏は特攻隊、シベリア抑留の極限体験を経て、アメリカの力量と可能性を見極めるため、渡米。
  スタンフォード大学大学院で哲学を専攻。
  カリフォルニア州の漁港モントレーでのアルバイトでイカの箱詰め作業を行う日々の中、思想の閃光が走る。
(2)世界平和の鍵は何か。
  ・戦争の原因=思想(〜イズム)の相違。しかし、それ自体には実存はない。
  ・アメリカ文明、ソ連共産主義=人間中心主義(ヒューマニズム)→理論的に弱く、動物と人間を区別する境界線があいまい。
  ・仏教の根本教理=地上の生きとし生けるものに対する深い憐みの念(大慈悲)→人間の最も崇高な知恵
  ・小さな生あるものの実存を感知→異国に住む人の実存を知覚。お互いの実存に触れ合い、認め合う。→世界平和の実現。
   思想・感情の伝達+当事者の体から出てくる直観が必要。   
2.『イカの哲学』の思想 〜中沢新一氏の分析〜
(1)生命の深みで戦争と平和を考える。
生命活動=知性(無意識の知性)
 →合理的な思考から見ると矛盾のるつぼ。原理的に「戦争」と酷似。しかし、これが知性の原初的な働き。
 →この真実を認めない限り、本物の平和学は構築できない。
●20世紀思想家ジョルジュ・バタイユ
 ・生命の本質=1)自分を非連続的な個体として維持しようとする面(免疫機構)≡「平常態」
           2)非連続であることを自分から壊して連続性の中に溶け込んでいこうとする面(生殖)≡「エロティシズム態」
 ・ホモサピエンス→生命の奥深くにセットされている知性能力が脳内で活動する流動的知性として
             DNAの規制を逃れて自由に活動できる(e.g.人類言語の比喩能力)。
           1)「平常態」=無意識の内部にセットされた言語構造によって
                    生命的自己は「私」という幻想の主体に姿を変える。→社会を構築。
           2)「エロティシズム態」=性愛、宗教(愛、慈悲)、芸術、戦争→戦争は本来狩猟の延長上のもの。
●戦争と平和
 ・戦争の原理およびその反対の平和の原理
 →「エロティシズム態」から生まれ出るもの。[バタイユは「エロティシズム態」から発生する平和の原理を見落としている。]
  ∴国家以前のプリミティブ戦争では敵を殲滅するまで攻撃することはなかった。
 ・戦争の変質→国家がその領土・権力の維持・拡大のために人類の心の構造に根ざす戦争の原理を利用(約13000年前〜)。
           近代戦争は科学技術の発達とともに兵士同士の距離を遠ざけるとともに、
           以前とは比較にならないほどの悲惨な死を招いている。
         →戦争本来のエロティシズムとしての本質から大きく逸脱。
         →歯止めのかからない超戦争へ移行する危険性。
 ・二種類の平和=1)「平常態」の平和
              →労働が作り出した美しい世界を破壊するとの理由で戦争を否定。
               掟・法により人々の心の中にエロティシズムが働き出すのを抑制・排除。社会を安定化。
            2)「エロティシズム態」の平和
             →エロティシズムの原理をネガティブな形でしか実現していないとの理由で戦争を否定。[1)よりはるかに根源的]  
               戦争へ向かおうとする生命の衝動を愛や慈悲につくりかえる。
             →他の生命への共感(実存主義)
(2)実存主義から物象化思考への危険 〜超狩猟と超戦争〜
 ・狩猟採集社会→実存主義(=他の生命を「心」を持った存在として捉える見方)。神話は実存思考の表現。 
 ・新石器革命(狩猟から農業への転換)→物象化思考(この世界にあるものをただの対象やただのモノとして捉える考え方)へ。 
 ・資本主義・貨幣経済→近代漁法(一網打尽の投網漁法)=超狩猟→獲物の実存無視へ。
    ↓↑<同一構造>
 ・原子物理学の進歩→核兵器の開発=超戦争→敵の実存無視。 
(3)超平和の思想 〜日本の進むべき道〜  
 ・日本→核兵器を使用され、完全な形の超戦争を体験し唯一の国。
     →軍事力と政治力で平常態の平和を維持する機構は超戦争に対して無力。超戦争に対峙する超平和の思想の確立が必要。 
     →日本国憲法第九条=超平和の概念。
     →『イカの哲学』の思想こそが超平和の思想。
      平常態の平和を維持するために戦争に反対するというレベルを超え、戦争を発生させる人類の「心」の基底部分に立って、
      核兵器使用という形の超戦争の現実にも立ち向かうことのできる、もっとも堅固な土台の上に立つ平和思想を模索。
(4)平和学とエコロジー  
 ・『イカの哲学』の思想=平和学の堅固な土台→エコロジーにも通じる。
 ・エコロジーと平和学→同じ根から成長する2本の思想の樹木。