「人生の多面性」から
ちょっぴり宗教的な思索に耽ってみました。
人生は本来多面性を持っているのですが、これにはただひとつ例外があります。
人間の現実社会においては、どんな方向から見ても全く救いのない最悪の状況というのがあります。
いわば人生のブラックホールです。それは人間として絶対に越えてはならない一線を越えてしまったとき、
取り返しのつかない究極の悪手を打ってしまったときです。
これにだけは絶対足を踏み入れてはいけないし、子供たちにもそのことをしっかり教えていかなければ
ならないと思います。
余談ですが、私は「南無阿弥陀仏」っていうのはそういうことなんだと理解しています。
人間はそれぞれ自分の持つ因縁から生じる結果は甘んじて受け入れなければならないし、それから
逃げることは絶対にできない、というのがお釈迦様のおっしゃる因果の法則です。
しかし、究極の悪業からは何としても脱出しなければいけない。それが、人間の悲願です。そこに現れた
スパー・スターが彼の阿弥陀如来なのです。
原則的にはお釈迦様の発見された因果の法則を打ち破ることはできないのですが、この仏様は
究極の悪業やそれに繋がる虞のある業に対してはこれを断ち切ってしまう凄い力を持っておられるのです。
非科学的だ、なんて思ってはいけません。何せ、人間の思議を超えた、不可思議な存在なのですから。
自分の心の中に悪魔の姿を見たら、とにかく、阿弥陀如来の存在を信じて一心に「南無阿弥陀仏」と念じなさい。
そうすれば、その瞬間にもう貴方は救われている、というわけです。
これが、親鸞聖人のおっしゃる悪人正機説の私的解釈です。
歎異抄の有名な一節「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」というのがそれです。
「悪人」=「悪業を持つ者」で、それは自分であるかもしれないわけです。
こういう教育が今失われている気がします。だから、駄目なんだと思います。