<猫>



 目の前で血飛沫が上がる。
 無防備にエンヴィーに後ろを見せた――相手にとっては愛しい愛しい婚約者サマの姿、だったが――中年の男は、エンヴィーが手にした猟銃で頭を二発、打ち抜かれたのだ。
 不必要なモノを排除した後は気持ちが良い。
 ――だって綺麗なものは何でも好きだし。
 綺麗でもなく、必要ないものならこの世から消えても構わない。
「このドレスはちょっとキレイだったけどね」
 仮縫い中だとかいう純白のドレスは少しだけ血で汚れていた。
「これを着るはずだった女も、ちょっとはキレイだったかな」
 隣の部屋で仰向けに倒れているはずの女性を思い出して、エンヴィーは少し笑った。



 仕事が終わった後はたいてい闇に紛れて素早く帰るところだが、今日はなんとなく気分が良いので、大通りの真ん中を歩いてみる。
 かなりの深夜なので、街も空気もひっそりしている。
 誰もいない街は自分の物のようだ。
 弾むように走りながら通りの端まで着いた時、向こう側から金属の音がした。ガシャガシャガシャ。
 ――どこかで聞いたような?
 ひょい、と音の鳴る道を覗き込んでエンヴィーは目を見張る。
「げ」
 時期が来るまで泳がせてるつもりの錬金術師と、その弟だった。
「なんでこんな外れの街に――」
 中央に居るはずのあの二人が、最北のこの場所に向かったなんて情報は聞いていない。
「スロウスの野郎、撒かれやがったのか。そんなんだからラストに文句言われるんじゃねえか」
 さてどうしようか、なんて悠長に考えている暇もなく、足音はすぐそこまで来る。
 しょうがない、やりすごそう。
 煽っても楽しいけど、殺さずに喧嘩するって結構難しいし。
 そう結論づけると、エルリック兄弟がエンヴィーの居る道に曲がってくる寸前に、エンヴィーは黒猫に姿を変える。
 気取った足で歩いていると、ガシャガシャという音がすぐ傍で止まった。何事かと振り向いて驚く。思わず背中の毛が逆立った。
 大きな鎧が跪き、両手を広げて自分に迫っていたのだ。
「大丈夫。何もしないよ」
 やけに高い声がして、戸惑うエンヴィーの喉に鎧の指が当てられた。そのまま静かに撫でる。
 この時点でエンヴィーの選択肢はふたつだ。
 威嚇して引っ掻いて逃げる。または、懐いて構われる。
 もちろん前者で行こうと口を開きかけた時、鎧の前方から声がした。
「アル、構うな。行くぞ」
「だって兄さん」
「連れていけるわけじゃないんだから、放っといてやれ」
 二コリともせずにそう言い放たれて、ピクリとした。どこかの神経が。
 ――へーえ、放っていけるんだ。オレを置いて。
 無視されるのは好きじゃない。
 エンヴィーは鎧の脇を抜けて黒いブーツの足元に擦り寄ると一声上げた。ニャオン。そして更に頭を押し付ける。ミャー、ミャア、みゃあ。
「え、ちょ、お前……っ」
「あははは。その子、兄さんのこと好きみたいだね」
「好きみたいって言われても……」
 頭の後ろをぼりぼりと掻きながら錬金術師が困ったように呟いた。
 他人が驚いたり困っている姿がとても好きだ。それに陥れたのが自分なら尚更のこと。エンヴィーは金の髪の子供の眉根をもっと潜ませてやりたくて、するりするりとその足元を潜りながら歩けないようにした。じゃれついて離れない。そのうち、離すことを諦めた錬金術師は伸ばしていた膝を折った。その場にしゃがみこんで、エンヴィーの喉を撫でる。
「人懐っこいな、お前。どこの子?」
 横から覗き込んだ鎧が言う。
「すごく綺麗な毛並みだし、飼われてるっぽいよね」
 ――綺麗?
 言われた言葉に満足して、またニャオンと鳴いた。
 そうだろう? オレは綺麗だろう? この綺麗があれば、どこでだって生きていける。
「喜んだのかな?」
「うん。誉められたことがわかったみたいだな」
「頭いいんだねぇ、君」
 エンヴィーは差し出される手たちに、軽くじゃれついた。遊んでやるよ。サービルしてやるよ。誉めてくれたお返しに。
「わぁ可愛い」
「やめろよなー、連れていきたくなっちまうだろー」
 鎧の言った「可愛い」に反応して顔を上げた時、エンヴィーは見てしまった。連れていきたくなる、と言った錬金術師の顔を。
 困ったような、だけど嬉しそうな、ふにゃりとしたやわらかい笑顔。
 ――こんな表情もできるんだ。
 エンヴィーの心臓がトクリと跳ねた。
 鼓動はダイレクトに体全体に伝わって、猫に変えたエンヴィーの喉の動きもそれに合わせて大きくなる。
「気持ちいいのか? すっげー喉が鳴ってる」
 猫なんかに姿を変えたせいだとエンヴィーは思った。そうに決まっている。だってそうじゃなきゃ、こんな、いくら真夜中とはいえ公道の真ん中で、アスファルトに背中を押し付けて、錬金術師たちに腹を見せて撫でて貰いたがるなんて行動を、自分が取るはずがない。
 起きなければと思う心に反比例して、エンヴィーは黒い腹を二人に見せ続けた。

 腹を往復する手が気持ち良い。 
 じゃれる自分を見る目がヤサシイ。
 ごろんごろんと寝転がってみせる度に笑う、その顔がもっと見たい。

 ちょっといい加減にしてよ。
 背中が土埃で汚れるだろう。
 全然美しくない。こんな行為。

 矛盾する思考は相手のせいだと思った。
 錬金術師がいつもと違うカオをこんなにも簡単に見せ付けてくれているから、自分の調子も崩れるのだ。
 エンヴィーの知っている『鋼』なんていかつい二つ名の持ち主は、面白くなさそーな仏頂面や怒りを隠さない目を持って、口汚い言葉を喋る人間で、無防備な笑顔なんて決して見せたことなんか――あ。
 ふとした悪戯を思いつく。
 エンヴィーは四つ足の全てをアスファルトに下ろすと立ち上がり、路地裏に向かって走った。暗闇に紛れる。
 後ろでは「兄さんが乱暴に触るから」「オ、オレのせいかよ」とかいう会話が聞こえる。
 兄弟からだいぶ離れたと判断するとエンヴィーは変身を解く。
 愛用している黒髪の少年の姿になると、建物を大きく回りながら再度走った。兄弟が歩くあの大通りまでもう一度、出るために。
 コツコツという小さな足音と、ガシャガシャという大きな足音と。
 後方から聞こえるふたつを聞いてから、エンヴィーは二人の視界に入るであろう家の門の上に腰掛けた。
 通り過ぎるかと思った寸前、ぎくっとしたように錬金術師が振り向いた。
 ああ良かった、気付いてくれて。声を掛けなきゃいけないかと思ったよ。
「兄さん?」
 兄の視線の先を見た弟も、闇に同化しているエンヴィーに気付くと空手の構えを取った。 
「お前、なんで、こんなとこに……っ」
 言葉を口にしたのは錬金術師。
 ギリッと睨まれて、エンヴィーは肩を竦める。
「知り合いに会ったらまず挨拶でしょ、鋼のおチビさん」
「てめェなんかと悠長に挨拶なんてするかよ……!」
 きつい口調と眼差しと生意気な雰囲気は嫌いじゃない。むしろ好きだ。そのギリギリとした空気に背中から全身にゾクゾクとしたものが通り抜ける。そしてそのゾクゾクを味わいながら相手を追い詰めるのがエンヴィーにとって最も楽しいことなのだ。
 だが、今日は満足行かなかった。
「やだなあ、おチビさんてば。二重人格者みたい」
「はぁ!?」
「さっきまでイイ顔してたのにね」
「何言ってんだかわかんねーよ!」
「おもしろくない」
 猫なんかじゃなく、自分の姿――とはいえ、これも偽りの姿だけど――に向けて欲しかったのだ。機嫌も悪くないみたいだし、向けてくれるかなと思ったのだ。やわらかい声、やわらかい顔、やわらかい手。きれいな、笑顔。
 それなのに。
「きっつい声、きっつい目、おまけに戦闘態勢入っちゃってるその右手」
 鋭い刃物に変形している錬金術師の右の機械鎧を見て、エンヴィーは大げさにため息を吐く。
「シラケちゃったな」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、かかって来いよ!」
 エンヴィーが繰り返して息を吐いた時、鋭く変形した鋼鉄が目の前に振り下ろされる。後ろに飛んで難なく交わす。それから「さてどうしよう」と唇を舐めた。
 このまま帰ってもいいけれど、折角やる気になっている錬金術師をそのままにしておくのも可哀相というものだろう。自身のモヤモヤもくすぶっているままだし。
「掃わせてもらおうかな。ちょーっと怪我させるくらいならいいよね、きっと」
「ふざけんな!」
 軽い言葉に血を沸騰させた錬金術師が襲いかかってくるのを受け止めながら、エンヴィーはにやりと笑った。
「仕掛けてきたのはそっちだからね」
 ――重症にさせられても文句言わないで。
 戦いながら、本気で思う。
 鎧の攻撃を交わしながら、小さい体を地面に叩きつけたり、腹を直接殴ったり、足を振り下ろしたりするたびに思う。
 ――やっぱり、苦しむ顔っていいよねぇ。
 人間の造る表情の中でもキレイなものだと思う。だって正直でまっすぐで取り繕いようのない、イイものではないか。
 なのに、なぜ。
 笑ッタ顔ガ見タイナンテ、思ッタンダロウ。



 胸に潜むその思いの名前は『  』




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「猫」というより、25題の方の「嫉妬」の方が近いかもー。
何を書きたかったのかあやふやですみません;;
途中から軌道を修正できなくなったので、流れのままに(いい加減)。