<邪魔者>
久し振り、とホテルの窓を叩いた人物にエドワードは目を見張る。
だってまさか。
「この渦中に、来るとは思わなかった」
「なんで? 来たい時に来るよ。おチビさんがせっかくセントラルにいるんだし」
窓越しの会話に「入れてよ」と言われる。
どうする?
アルフォンスは病院に見舞いに行っている。もうしばらくすれば帰ってくるだろう。その時にこいつを見られるには。
つい先日、アルフォンスと軍部とリンたちでウロボロスと戦ったらしい――エドワードがアームストロングに誘拐されている間に、だ。
「入れて」
軽く叩かれた窓の振動に目の前の人物を見る。そして気づく。なにか、いつもと違うこと。
自分と相手の立場はよくわかっている。
決して馴れ合ってはいけない相手だということも。
それでもエドワードは静かに鍵を上げ、エンヴィーを室内に招き入れた。
「汚いけど、居心地はまあまあかな」
ベッドに座り、中をぐるりと見渡したエンヴィーはそう言った。
「人様の泊まってるホテルを汚ねえとか言うな」
「だって軍部御用達のホテルに比べりゃ全然ボロい方じゃん。なんでそっちにしないの?」
「……フツーのホテルがいいって言われたんだよ。お堅くない方がいいって」
「弟君? なワケないか。ああ、あの可愛い幼なじみ?」
「かわいい……?」
本気で眉間に皺を寄らせたエドワードにエンヴィーがケラケラと笑う。
「なんでそんな顔すんのさ。可愛いじゃん。金髪碧眼ってやっぱ憧れる。おまけに将来に期待が持てそうなナイスバディだし」
「意外」
「なにが」
「男にしか興味ねーのかと思ってた」
なにせエドワードに声をかけてくるくらいだ。
エンヴィーは当たり前のことのように「両方好きだよ」と答える。
男も女も若くても年寄りでも、きれいでかわいいものは、なんでも好き。
「中でもおチビさんは特別だけどねー」
エンヴィーは窓の側に立ったままのエドワードに手を伸ばす。
おいで。ここに。
エドワードはため息を吐いて窓を閉めると、エンヴィーに向かって歩いた。
手が届く距離まで来た瞬間、手首を掴まれてベッドの上に押し倒される。
「隣の部屋だっけ、ええと確か『ウィンリィ』ちゃん。聞こえるようにヤってみる?」
「バカか」
「うわ、一蹴」
いつもなら、この台詞は結構本気で、言葉と同時に手がエドワードの服を捲って生身の肌に触れる。だが、くすくすと笑う今日のエンヴィーはどこか不自然で、変に触ってくる手も、いつもはすぐ近づけてくる唇も動いてくる気配はなかった。
なにかあったのか、なんて聞けない。
それはあまりにも白々しい。
だけど優しい声を掛けることは、もっとできない。こっちだってロイも重症を負ったし、なによりハボックが――。
だけど。
そうは思うけど。
いくらなんでも。
――お互い様だ、とは言えない。
それがわかっているからエンヴィーもエドワードに何も言わないのだろう。
言われてもなにも言えない。
かといって言われないのもつらい。
――ラストが死んだよ。
そのひとことを聞きたいのか聞きたくないのか自分でもわからないまま、エドワードは、服をきつく握ってくるエンヴィーをそのままにした。
少なくとも30分は動かず、言葉も発さなかった。
沈黙を破ったのはエンヴィーだ。
「マボロシを作ってよ」
「あ?」
「ラストに、会いたいんだ」
「……マボロシとやらの成分を教えろよ、バカエンヴィー」
そしたら作ってやると言われてエンヴィーは笑った。そうだね。
「……見るだけなら、お前の『能力』の方が優秀だろーが」
「聞いたんだ」
「ああ」
失態というよりは相手が悪かったのだと思う。不思議な力でこっちの正体を見破れる人間に遭遇し、変身能力を暴かれたのは予想外の出来事だった。
ホムンクルスであるということを知られているということは、ちゃんとした人間ではないと知られているということだ。
人間であるということにラストほど拘ったことも願ったこともないが、それでも、再生能力以外の『人外』の力がエドワードにばれてしまったことは、なんとなく胸が痛い。
「マルコーさんを、どこにやった? 何を企んでる?」
「色気ないなぁ」
ベッドの上、重なって抱き合っているってのに。
「内緒」
エンヴィーがエドワードからそっと離れる。
その際、小さく「ありがとう」とだけ言われてエドワードは唇を噛んだ。
なんで。
そんなエドワードに気づいて、エンヴィーが笑顔で訊ねる。
「なにか言いたそう?」
その顔を見て、エドワードは大きく肩を落とした。
なにが『なにか言いたそう?』だ。エンヴィーは『なにを言われても聞かないけどね』と訊ねる前から既に答えを出していたのだ。
おかげで迷っていた心も決まる。不満と望みを言える。
「大事な人を亡くして悲しむ気持ちがあるなら、もうやめろよ」
目の前の相手に特別な負の感情があるわけではない――そりゃいきなり蹴られた初対面を帳消しにできるわけではないが。
それどころかこうして気まぐれに会いに来る相手を部屋の中に入れ、精神的にも肉体的にも自分の中に受け入れてしまったほどに、恋情だってある。できることなら――もう多分に遅いが――敵対なんてしたくない。
エンヴィーはエドワードに向かって嬉しそうに微笑むと、もう一度「ありがと」と言った。次に「無理だよ」とも。
時代はもう動いている。
エドワードは好きだけど、それ以外の人間は別にどうでもいい。自分には関係無い。馬鹿で愚かで面白い、自分たちの目的ための単なるコマだ。
コマなんかよりもお父様の方が、もっともっと大事。その人が願うなら、どんなことにでも協力する。
「バカ」
「かな」
「アホだ」
「そうかもね」
「どうしようもねえ」
「そんな気がしてきた」
「……大バカ野郎」
「ありがとう」
「罵られてんだよ」
「やー、なんか嬉しいから」
元気出た。
そう言ってエンヴィーはエドワードの上から退くと、入ってきた窓に向かった。眼下の街を見ると、少し遠くに鎧の姿。
「弟君も帰ってきたみたいだし、オレ、そろそろ行くね」
「……ああ」
引き止めても無駄――この部屋を出ていくことにではなく――だと悟ったエドワードは投げやりに機械鎧の手を振る。
「じゃあまた」
「相容れないなら来んな」
「しょうがないじゃん、好きなんだもん」
エドワードが最後に呟いた「バカか」はエンヴィーに届いたのか届かなかったのか。
纏った黒衣と露出した肌の白を器用に夕闇の中に紛れ込ませ、エンヴィーは姿を消した。
エドワードに会って落ち着いた。
エンヴィーな夕と夜の間を走りながら今後のことを考える。
ラストの『核』は手に入れた。
マルコーに力を注がせて、できるだけ早く、そして慎重に事を進めよう。
戦いの指揮はラースが取っている。
ラースのまどろっこしい戦い方は好きじゃない。一緒の仕事をあてがわれなくて良かった。だけど。
「やっぱりさっさと殺すべきだと思うんだよね」
焔の大佐は。
人柱候補だと見逃していたから今回の事態になった。そのことは忘れない。
「邪魔だよ、絶対」
だけど。
ロイ・マスタングよりも邪魔な存在を、エンヴィーは知っている。
それを自分が振り払えないことも。
「おチビさん」
その存在を呼んで、思い浮かべ、安心する。
自分の中に芽生えた心が、なによりも愛しくて、そして邪魔で仕方がない。
いつかきっと足元を掬われる。
それでも。
「好きだよ」
離せない想いは本物。