<偽者>



 閉めたばかりのドアがまた開く。
 振り向くと、見慣れた顔があった。
 侵入者に気がつかなかった自分の注意力に心の中で驚きながら、エンヴィーが訊ねる。
「なんでここが……」
「別に。町でお前見たから」
 その格好でふらついてんだ? 目立ち過ぎ。ていうか、普通に変だった。
 そう言って、肩を竦ませた侵入者――エドワード・エルリックだ――は笑った。
 そしてドア前のエンヴィーを押し退けて室内に入る。ぐるりと見回す。
「しかもこんな普通の部屋なのな。洞窟の中とか、廃墟になった集落の一軒とか、そーゆーとこに住んでんのかと思った」
「なんで?」
「だって、お前、来る一方で、自分がどこに居るかなんて教えてくれたことねーじゃん。だから招待できないよーなとこに住み着いてんだろうなって」
 くすくす。
 エドワードが笑うその声は、昼間だというのに夜の甘さを含んでいた。
 エンヴィーは後ろ手にドアを閉め、鍵を掛けるとエドワードに近づく。
「そりゃね。一応、敵側だし、アジトが知れて軍の皆さんに押しかけられても困るし、第一、他のやつらに見つかったらやっかいじゃん」
「オレとお前が、こーゆー関係なこと?」
 するりと伸びてきた腕がエンヴィーの首に回る。エドワードが背伸びをしてキスをする。
「……どーゆー風の吹き回し?」
「あれ、知らなかった? エドワードさんはエンヴィーくんのこと、結構スキなんですよ?」
 唇を離した位置でそう言うと、にっこり笑い、エドワードはベッドに腰掛けた。
 エンヴィーにも隣に来るようにと手で支持をし、従ったエンヴィーを蒲団に埋める。馬乗りになる形を完成させると、上半身を倒してエンヴィーの顔に自分の顔を近づけて囁く。
「その『結構』がどんくらいかってーと、お前たちに、協力してもいいくらい」
「は?」
「お前と一緒に居たいから、協力する。お前たちが望むものをできるだけ練成してやるし、最後は人柱とやらになってもいい」
「……!」
「その代わり、オレをお前の一番にしろよ」
 さっきよりもゆっくり、そして深く、口付ける。
 口内に侵入させた舌でエンヴィーの歯列を割り、敏感な上顎を擦る。舌に舌を添わせて丁寧に舐め上げる。唾液を送り込む。
 一分。
 二分。
 三分。
 唾液が混じり、互いの口から水音が漏れ出したのをしばらく聞いてから、ようやく解放する。
「エンヴィー」
 優しい声で名前を呼ばれ、エンヴィーはサイドボードに置いていたナイフをエドワードの喉下に突きつけた。
「エンヴィー?」
「誰だよ、あんた」
「エドワード・エルリック」
「嘘だね」
「本当だって。鋼の、錬金術師だ。お前がいつもチビ呼ばわりする」
 チビという単語を口にした時、エドワードの額がわずかにぴくりとしたが、口に集中するエンヴィーは気付かなかった。
「あんたが、鋼のおチビさんなわけがない」
「なんで」
「おチビさんなら」
 何があろうとも、オレたちに同意するなんてことはない。
 賢者の石の練成を求める自分たちは、数多くの、そう、町のひとつやふたつなんて気にならないほど――むしろ十個くらい喜んで献上したいくらいだ――の人間の命が必要で、そんな大量殺戮を、金髪の少年が認めるわけがないのだ。
 だから今までさんざん邪魔してくれやがったんだし。
 それを「何を練成してもいい」? 「人柱になってもいい」? 挙句、「お前と一緒にいたい」? ――有り得ない。
 どっかの馬鹿の口癖を思い出す。有り得ないなんてことは有り得ない。
 兄貴分のその男はさりげに勤勉で人情家だったから、大抵、自分の努力と(驕った)魅力で事はどうにかなると信じていたのだろう。だけどエンヴィーは知っている。どうにもならないこと、変わらないことが世の中にはあるということ。
 そのひとつが、鋼の錬金術師の心変わり、だ。
 有り得るわけがない。
 強いその目。
 惹かれた存在。
 光が、闇に変わることなんて。
 手に握ったナイフに力を込めた時、部屋の中に光が走り、手の中のそれは役に立たないものとなった。刃先がぐにゃぐにゃと曲がっている。
「錬金術……」
「ちぇーっ、色仕掛けも無理か」
 エンヴィーの上になっている人物が頭をバリバリと掻きながら顔をしかめた。
「いい手だと思ったんだけどな」
「おチビさんらしくなさすぎたからね」
「見破れるほどにはオレのこと好きなんだ、お前」
「馬鹿言ってんじゃねーよ!」
 ナイフを床に捨て、芝居野郎の喉に手を伸ばす。締め付けようとしたそれを難なく交わして、エドワードはベッドから降りた。エドワードを追ったエンヴィーも手や足をそいつに伸ばす。エンヴィーの繰り出すそれらをエドワードは身軽さで避けていき、狭い部屋の中で椅子だのテーブルだのが、ガンガン倒れた。
「上手く、すれば……っ、黒幕に会えると思っ、たんだけどよ」
「もっといい手を考えるんだね」
「次は、そーする、よ」
「図々しいね。次があると思ってんの」
「あるよ、逃げるから」
「鍵は厳重に、掛かってるよ」
 よ、の音と共に最も強い一撃を加えようと捻り出したエンヴィーのキックが壁にめり込んだ。自分に返ってきた衝撃に一瞬、動きが止まる。
 それを見逃さずに、エドワードは両手をくっつけ練成光を出し、傍の壁に手のひらを当てた。
 大きな扉が登場する。
「出口が無ければ作りゃいいんだよ!」
 じゃあな、と左手を挙げると、エドワードは駆け出す。
「あんのチビ」
 すぐ遠くになる背中を見ながら、エンヴィーは振り上げた足を床に戻してベッドに座り直した。
「どーしろってんだよ、この穴」
 エドワードが作っていった扉に向かって悪態をつく。
 忌々しげに呟く言葉とは裏腹に、唇の両端は上がっていた。
 うん。そうでなくちゃ。それでこそおチビさん。
 だけど。
「嘘吐きの代償はきっちり払って貰うからね」


 ――お前と一緒にいたい。オレをお前の一番にしろよ。

 この罪深い嘘を、どうやって消化させようか。