<最高の演出>
触れるか触れないかの指先に顎から頬へとなぞられて、エドワードは思わず目を固く瞑る。
その腕は粟立っていた。
「なに? こーゆーの好き?」
「……好きじゃねえ」
「ふーん」
なにもかもわかっていて、だけどその上でクソ意地の悪い黒髪はニヤニヤと笑いながら、エドワードが反応したやり方で全身を撫で始めた。
「……っ……」
頬を。
喉を。
鎖骨やその窪み。
腋から下にライン通りに。
腹部をやわらかく撫でる。
そして指は色のついた胸部に着く。
中央で硬くなっているそれに触らないように円を描く。一周、二周、三周。数えてなどいられないほど。
「それ……やめろ……ッ」
「なんでー?」
エドワードの制止を聞くどころか、左手でもうひとつの突起の周りも巡り始める。
時々突起に掠ると、そこからどうしようもないほどの刺激が流れる。
びくびくと太腿が震え出し、エドワードはシーツを強く掴んだ。途端、その内腿に手が滑り込んできた。
「あっ」
足の付け根のやわらかい肉を丹念に擦られる。
指から解放された突起は、代わりに舌で包まれた。
「んっ……」
やわらかくて生温かい舌が全体を覆って舐めてくる。既に硬すぎるほど硬くなっている突起を舌先で上下されてエドワードの体が跳ねる。同時に反対の突起にも爪を立てられる。
「ああ……っ!」
大きく反ったエドワードの体が再度ベッドに沈むのを待って、舌が動きを再開した。
唇で軽く挟まれたと思った次の瞬間に、中から舌が伸びてきて前後左右、あらゆる方向から舐められる。
歯が生えたての獣みたいに、むず痒さを解消させるかのような甘噛みを繰り返していたと思ったら、強くきつく、吸い上げられる。
唾液で濡れたそこに息を吹きかけられただけで、エドワードは下半身に欲情を伝えた。
半勃ちだったエドワードが、完全に上を向き始める。もちろん、硬度も増している。
「は、……っ」
何分、そのままだっただろうか。余裕で二十分は経っているだろう。
執拗に胸と足と腹部だけを触る相手に、エドワードの腰は揺れ始めた。
始めは小さく。
だんだん大きく。
内腿をさする手に、自分を擦りつけたくてたまらない。
「ふ……、あ、あぁっ」
掠れるだけの声も、今ははっきりと零れ出す。
早く。はやく。はやくはやくはやくはやく。
「あっ……、んあ、あ……ぁっ」
声に艶が含まれた。誘っている。頭の奥に冷静な自分がいて「何をしているんだ」と怒りの顔を向けている。でもエドワードは止まらなかった。
胸のいたるところに唇を落としている男の綺麗な長い髪を乱暴に掴んで、だけど懇願する。
「気持ち悪ぃな、いつまでやってる! とっととイかせろよ、エンヴィー!」
乱暴な、しかも命令に近い形だが、エドワードにとっては懇願【誠意をこめて頼むこと】だ。
もちろん承知しているエンヴィーは、声を出して笑った。
「やー、もう最高、おチビさん。ていうか、気持ち悪いってなに! 失礼じゃん」
「気持ち悪いもんは悪いんだよ! ……いつもこんなことしねーくせに」
「こんなことって?」
「お前が今やってることだよ」
「だから、何されてんの?」
「……っ」
とぼけまくるエンヴィーに、エドワードは口を噤む。
ああ、本当に趣味も根性も悪過ぎる。もっとも、そんなやつに捕まってしまったのは自分なのだけれども。
エドワードは言葉を並べ立てた。順序立てて、とか、詳しく、とか、そんな風に話すのだけは避けたいと思った。
「だからッ。あちこち、触ったり……時間かけたり、とか、お前、したこと、ねーだろ……っ」
「キスもね」
言い終わらないうちにエンヴィーはエドワードの唇に唇を重ねた。
最初は羽が触れたような軽いキス。やがて長く重なり、深く重なり、舌と一緒に唾液も絡ませる。
「はぁ……っ」
「色っぽい顔するじゃない」
「るせ……ッ」
「オレに抱かれてるせい?」
「な! 抱かれてって……!」
「本当のことだろ」
反論は聞かないよ、と言ったエンヴィーはエドワードの足を大きく開かせてその間に入り込んだ。
足を開かれること。
腰を持ち上げられること。
充分今更なのだが、性器を見られているということ。
これから、とんでもないところを開かされ、エンヴィーが入ってくるということ。
それらを思ってエドワードは弱冠、体温を上げる。
エドワードが僅かに唇を噛み締めると、体を倒してきたエンヴィーにぺろりと舐められた。
「傷つくじゃん、そんなことしてたら。どーせならいっぱいイイ声、聞かせてよ」
エンヴィーが自身を数回擦ったのがわかった。
上を向いたエドワードの先端から溢れている蜜を拭う。エドワードの後ろに塗り込む。
「……っ」
熱く、硬くさせた自分をエドワードにあてがうと、受け入れられるままにゆっくりと進んだ。
「ぁぁ……ッ」
纏わる襞を掻き分けるように奥まで押し込まれる。
入り込む度に圧迫される内部に息もできない。
エンヴィーを受け入れて。締め付けて、そして摩擦が始まる。
最悪だ、とエドワードは思った。
突き上げられる激しさや、奥に当たるエンヴィーの先の感触とか、そんなものには慣れたつもりだった。
『勝手に抱きに来るからしょうがない』
『だから、好きなようにさせてやるんだ』
そんな言葉で自分をガードしていた。
なのに今日は。
「あっ、ああ、あ、あっ!」
長かった前戯や、背中を撫でる優しい手や、熱く抱き締めてくる腕に、調子が狂う。
セーブできない。どこででも相手を感じることができる。
エンヴィーの大きさに広がったそこを指でなぞられて、呑み込んでいることを意識させられた。
「……んっ……」
繋がっている箇所を中心にして、快感が背骨を伝い、いや、外側より内側から来ているのかもしれない。とにかく、脳に響く。
不規則なリズムで揺すられながら、エドワードの手が自身を触る。上下に扱き出す。
エンヴィーが入ってきたら下へ。引いたら上へ。同じ速さで動かす。
「っ……ふ……」
「感じてる? おチビさん?」
その問いには、零れ出る嬌声に少しだけ甘さを含めることで返してやる。
エンヴィーが何か呟いた。
聞こえなかったそれに、閉じていた瞼を開ける。相手の口元を見て、そしてエドワードは激しく狼狽した。
「や……」
「 」
エンヴィーは繰り返す。優しく。
「やだ、やめろ」
自身から手を離し、離したそれで再度、シーツを握り締めた。体を捻って枕に顔を埋める。そんなエドワードにエンヴィーは笑った。
「やめない。だって可愛いもん」
「おかしい。なんだよ、お前。今日、おかしすぎる」
「そ?」
エンヴィーは目を細めて、肩を震わせるエドワードを見た。手を重ね、エドワードの指の間に自分の指を割り込ませて、シーツに奪われたエドワードの手を奪回する。エドワードの体に自分の体を被せて密着すると、繋がっている箇所だけゆっくり動かした。奥の深いところで細かく揺らすだけの。
そして近くなったエドワードの耳に息と共に、ひとつの言葉を吹き込む。
「やめろ」
「……ー……」
「いやだ」
「……ド」
「……やだって」
囁く度にエンヴィーの腹部に当たるエドワードの先の分泌が多くなる。全体が大きく膨れた。もう一歩。
エンヴィーは殊更やさしい音で言った。
「好きだよ」
エドワードは眉間に皺を寄せた。
「好きだよ、エドワード」
繰り返す。
「エドが好き」
「――……っ!」
名前モ、ソノ言葉モ、一度ダッテ口ニシタコト、ナカッタクセニ――。
言葉に導かれるように、エドワードは自身を解き放った。
熱いものが体の中から出たというのに内部は冷めない。
「あ、あっああっ」
エンヴィーの言葉と出入りに、その夜、何回達したのか、意識が飛んだエドワードにはもうわからなかった。
「やーすっきりしたねぇ」
「そりゃ、あれだけヤればな」
「出した回数はおチビさんの方が多いはずだけど?」
「誰が豆粒どチビだ!」
いつも通りの呼び名に戻ったことに内心ホッとしながら、エドワードはエンヴィーを睨む。
「やだなー。そこまで言ってないじゃん」
「ってことは似たようなことは思ってんだな?」
「あらー、すさんじゃって。身長低いと卑屈になるね」
「うるせぇ!」
軽口を叩く相手にも、それを難なく返す自分にも安心する。うん。昨夜の乱れは引き摺ってはいない。
起きた後にもやられたら、本当に理性というものを無くしそうで怖かったのだ。
名前を呼ばれることが、あんなにも意識を飛ばすことに繋がるだなんて思わなかった。
相手はいつも、おチビさん、とだけ言ってたから。名前を知っていたことに驚いた。覚えていたことに驚いた。何より、それが激しく恥ずかしいと思うほどに嬉しかった自分に驚いた。
なんだろう、この気持ちは。
蒲団に包まって思いに耽っていたエドワードは、エンヴィーが起き上がってベッドから出たことに気付かなかった。
「おチビさん」
声に顔を上げる。より先に、部屋中に漲った殺気に身構えた。
「エンヴィー?」
いつの間にかエンヴィーは、いつもの趣味の悪い服を身につけて、そこに立っている。全身から負の空気。
エンヴィーはエドワードの服を放った。
「早く着なよ。その間くらいは待っててあげるし」
「なに……」
「ああ、でも、待つのってそんなに得意じゃないから、できるだけさっさとしてくれる?」
「……」
エドワードは言われた通りに服を着た。逆らってはいけないと思ったわけじゃない。そうしろ、という声が自分の中に聞こえたのだ。
服を着て、心を整えて、エンヴィーを正面から見ようとした時、影が動いた。咄嗟に避ける。飛んできたのはエンヴィーの拳。
「エ……」
「なかなか楽しかったよ。恋人ごっこも」
当たらなかったこぶしに首を捻りながら、エンヴィーは手足を回し始めた。おそらく、準備体操のつもりだろう。
「でももうオシマイ。集めて来いって命令なんだ」
「集める?」
「やだなぁ、忘れちゃったの? オレ、ちゃんと言ったよね。あんたは人柱なんだって」
――あれ? あんたに向けて言ったんじゃなかったんだっけ? まあ、いいか。
自問自答で結論を出したエンヴィーは説明の先に進んだ。
「いよいよオレたちの目的が達せられる時が来たってわけ。だから、あんたとか、焔の大佐とか、マルコーとか、各地に散らばった人柱たちを回収しなきゃなんないの。あ、そーいや、おチビさんの弟と師匠もリストに加えられてたよ?」
「な……っ」
「オレたち、そんなに人数いないからさ、そんなに手間かけないで次の人間んとこ行かなきゃいけないんだけど、おとなしく来る?」
「誰が……!」
「だよねぇ」
エンヴィーは大げさに肩を竦めた。
そして今度は足を振り上げる。
「じゃ、実力行使だ。掛かっておいで、おチビさん」
言うが早いか、エンヴィーは一気に間合いを詰めてエドワードの懐に潜り込む。右手で腹部を殴り、倒れてきたところに膝をお見舞いする。小さな声を上げてうずくまるエドワードの顔を蹴り上げた。
「ぐ……っ」
「張り合いないじゃん。いつもの威勢はどこ行ったのさ? 優しくしたのがいけなかった? そーゆー方が人間は憎しみ覚えるんだってラストが言ってたからそーしたんだけど、もしかしてデマ? くそ。余計な手間かけちゃったじゃん。あとでオバハンとっちめないと。んー、そうだな。あんたを回収し終わったら、次は弟んとこ行こうかな。そしたらやる気出る?」
「か……勝手なこと、言ってんじゃねーよ……!」
「お、いい目。そうそうできるじゃん」
でもまだ足りない。
呟いたエンヴィーは足元のエドワードをもう一度蹴ると、考え込む。
なにか。怒りのスイッチを入れれる方法。
そして思い浮かぶ。
エンヴィーはしゃがみ込んで、エドワードの三つ編みを持ち上げた。顔を覗き込む。
「ヒューズ中佐って知ってる?」
「は?」
「知ってるだろ? ああ、階級ちがうか。殉職で准将になったんだっけ」
捕まれた髪からエンヴィーの手を払ってエドワードは態勢を立て直した。エンヴィーが何を言いたいのかわからない。真意も掴めない。今はただ聞くだけだ。
「あれね」
暗闇の中に溶け込んだような人物が、ゆっくりと唇を動かした。残忍な笑みを浮かべながら告げる。
「あの人を殺したの、オレ」
長い沈黙の後、エドワードがやっと口にした言葉は、
「……嘘、だろ……?」
だった。
「あ、やだなー。オレってあんたの中でそんなにイイ人になってんの? 何でもやるよ、オレは。命令だしね」
中佐に恨みも目的もなかったんだけど、と、目を見開いたまま身動ぎすらできないエドワードにエンヴィーは続けた。
「頭が良い人って、変なとこに変なタイミングで気付くからマズイよね。今だったら知られてもなんともなかったんだけどさ、あの時はヤバかったから死んで貰った」
エドワードの中で映像が無数に浮かぶ。
いつも。いつもいつもいつも自分たち兄弟を気にかけてくれたマース・ヒューズの姿。ことあるごとに見せられた、彼が大事にしていた家族の写真。葬式に参列できなかったどころか、その死さえもしばらく知らなかった自分を恨んだこと。
初めて会った時の目の前の相手の危険さ。魂だけとはいえ、命を懇願する相手を何の躊躇いもなく殺したこと。敵であるということ。むかついたこと。無理矢理犯された時の、赤い映像。
そしてセピアの映像も。幾度となく自分の前に飄々と現われる相手に毒気を抜かれた。話をするようになって、憎めなくなって、幾度となく体を委ねて。
たくさんの相反する映像があらわれる。イメージがまとまらない。
「なに、お前、冗談……」
「まだ信じないの? しょーがないなぁ」
キスをされるのかと思うほどの近さまで顔を寄せられ、そして囁かれた。
――中佐の、最後の言葉を教えようか?
ひどく顔を歪めて言ったよ。やりきれないように。
「“くそったれ”」
「やめろ!」
エンヴィーの左頬を刃物が掠めた。
エドワードの右手は戦闘の意思を表す、鋭利な刃物に変わっている。
頬から流れる血を指で拭って、エンヴィーは口の両端を上げた。思いきり。
――そうこなくちゃ。
「でも顔はやめてよね。自慢なんだから」
「……っるせえ……っ」
「その意気」
紫の瞳は、昨夜の甘さなんかどこにもなく、ただ獲物を狙う蛇の色になっていた。
さあ。
「命のやり取りを始めようか」