<君だから>



 エドワードは買ってきたばかりのお菓子の袋をバリバリと開けていく。そして目の
前の巨大なカゴに放り込む。大量のキャンディー、大量のマシュマロ、大量のクッ
キーに大量のチョコレート。
 両腕でもまわりきらない、いわゆる洗濯籠は、やがてお菓子で山盛りになった。
「うっし。こんなもんありゃいいだろ」
 腕を組んで満足げに頷いたエドワードはちらりと時計に目をやる。
 今日はハロウィーン、で、今は子供たちの訪問がとっくに終わったオトナの時間。
日付が変わるまであと数分という頃。多分、そろそろ来るはずだ。
 ハロウィンの習慣を覚えたエンヴィーは、『魔』にかかっているのが気にいったら
しく、自分たちの祭だと言わんばかりに毎年エドワードのもとに訪れるようになっ
た。そして『とりっくおあとりーと? え、なにもない? 残念、じゃあイタズラだ
ね、ベッドいこーか』などというお約束な展開に持っていき、朝まで行為に及んでい
きやがるので、今年こそ阻止しようと、エドワードはたくさんの『Treat』を用意し
たのだ。
「……そりゃ、キライなわけじゃ、ねーけど」
 エドワードは去年や一昨年のハロウィンを思い出し、顔を赤らめながら口を尖らせ
る。
「やりすぎなんだよ、あいつは」
 文字通り、一晩中、だった。
 しかも相手はそれほど達しないのに、エドワードだけが何度もイかされたことが非
常に面白くない。
 最後には嫌だもやめろも言えないほどに体力を失って、ただエンヴィーに求められ
るまま、動かされているだけになる。そんな疲れた体でも感度自体はなくなるどころ
か敏感になり、エンヴィーの小さな動きのひとつひとつにビクリと反応し、内部を責
めたてるエンヴィーの欲望に逐一絡む。それをまたエンヴィーが密着し、耳元で実況
するものだからたまらない。耳を塞ぎたいのに手を上げられない。耳に入ってくる言
葉の恥ずかしさ、かかる吐息の熱、エンヴィーの声であるということ。すべてに自我
がなくなる。中を犯すエンヴィーしか感じれなくなる。その頃になると抑えていた声
は喉から解放され、自分の声とは思いたくないほど淫らに部屋中に響くのだ。去年の
11月1日の朝、声が出なくなっていたエドワードにエンヴィーはニタニタと笑って「い
い声、いっぱい聞かせてくれたもんねぇ」と言い、口をぱくぱくさせるエドワードを
その腕の中に引き寄せた。
 あの時の羞恥と、そしてあたたかさが染み渡らせた充足感を悔しいほどに覚えている。
 そう。
 悔しくなるほど確かに、満足もしていたのだ。
 反面、とてもこわい。
 自分が誰かに崩されることがあるなんて思わなかった。家族、もしくは同様に想う相
手への感情とも違く、こんなに自分の理性が効かなくなる相手と場合があるなんて知
らなかった。
 だから、距離を置きたかった。理性を全面に押し出し、崩れない自分を取り戻した
かった。いつか来る日に備えて。


 カチリ、と急に音が蘇った。時計の長針が動いた音だ。カチコチと時間を刻む音も蘇
る。
 外界を遮断するほど自分の思考に溺れていたことを知ったエドワードはそれらを払う
かのように激しく頭を振った。と同時にドアが鳴る。
 コツコツ。
「来たか」
 テーブルに置いた籠を必死で持ち上げる。しまった、玄関前に置いてから中身を放
り込めばよかった。
 よろよろとふらつきながらもドアの前に立ち、カゴをドスンと下ろす。ノブを捻っ
て扉を開ける。そして現れた姿にふたりして向かい合ったまま絶句してしまった。



「え……」
「……あ」
 お互い、ぽかりと口を開ける。
 目にした物が信じられない。
 それでもなんとか先に言葉を発したのはエンヴィーだった。
「それ、オレにくれるの?」
 思わずうっかり首を縦に振る。と、相手はいつもの無遠慮さを取り戻し、エドワー
ドに飛びついてきた。
「うっわー、初めてじゃない? おチビさんが歓迎してくれるなんてさあ!」
「か、歓迎じゃねえだろ! ハロウィンのお菓子は『これをやるからとっとと帰れ!』
だ!!」
「またまた照れちゃってー」
「照れてねえ!」
 エドワードは張りついてくる腕を首から剥がすと手を伸ばしてエンヴィーの後ろの
ドアを閉めた。
「近所メーワクだろーが、この非常識野郎」
「隣もその隣も明かりついてなかったよ。いないんじゃない?」
「バカ! 寝てんだろーが!」
 つまんない折角のハロウィンなのに、と言うので、夜通し楽しむ祭じゃねえだろと
返す。ふーん、と今ひとつ納得していない様子だったが、エンヴィーはすぐに、別な
方向へ不満を吐き出した。
「こんな格好までしてきたのに、またヒジョーシキって言われるなんて思わなかっ
た」
 もっとも『変態』じゃないだけマシなのかもしれないけど。
 カゴの中からキャンディーを掴み口の中に入れながら部屋の奥に向かって歩いてい
たエンヴィーは、振り返ってそう笑った。
 確かに、今のエンヴィーの姿を見て、変態とか露出狂なんていつもの言葉は出て来
ない。長い髪を後ろでスッキリと束ね、黒いハイネックの薄手のセーターに黒皮のパ
ンツ、黒の革靴に、黒のコートという、いたって普通の格好だ。意外すぎて言葉も出
なかった。
 エドワードはまじまじとエンヴィーを眺める。
「どんな心境の変化だ?」
「だって仮装の日だろ。オレたちの場合、逆にこーゆー人間っぽいカッコの方が仮装
になると思ったし、いっつもおチビさんに変態って言われてムカついてたから、そう
言われないよーにしてみよっかって思って。……成功だったみたいだね」
 エンヴィーはベッドに腰掛けて足を組み、エドワードを見て唇の端を上げた。
 成功どころじゃない。
 ふつーの姿に少し驚いたなんてものじゃない。
 それが意外に本気に普通で、挙句、ちょっと(どころじゃなく)似合っていて見惚
れてしまったなんて、決して自分からは言わないが、真実だった。
 返ってこない返事こそエドワードの返事だと受け取ったエンヴィーは、エドワード
に手招きする。
「おいで」
 魔力の篭もった言葉。逆らえない。
 エドワードはあやつり人形のように言葉通りにエンヴィーの前に歩いていく。
 やられたなと思った。せっかく張ったお菓子のバリケードはまったく意味がなかっ
た。簡単に壊された。そしてこの体も壊されるのだろう。いつもどおり。
 エドワードは自然に歯を食いしばっていた。なのに、与えられたのは激しいキスで
も強引な押し倒しでもなく、ただ、やさしい抱擁。
「え」
 ふわりと包まれ、みっともないほど狼狽する。
「な、なんだよ、なんかおかしいぞ、お前」
 その時、妙な考えが頭を過ぎった。
 もしかして。もしかすると、いや、結構な確率で。
 エドワードは機械鎧の腕でエンヴィーの体を押し返し、ふたりの間に距離を取った。
 突然けわしくなったエドワードの目つきと行動に、エンヴィーが両手を上げる。
「なに? 今日は戦うつもり、ないけど」
 その穏やかさに、エドワードは更に身構えた。
 ちがう。やっぱり、ちがう。あいつなら、こんなことやられた日には言葉が穏やか
だったとしても、目が即行で殺気立つはずだ。
「お前、エンヴィーじゃねえな?」
 静かに、だけど強い語調で問うたエドワードに、目の前の男は目を見開いた。



 ベッドに突っ伏していつまでもいつまでも大笑いしているエンヴィーの頭を左手で
殴る。うるせえ。
「いた……! 相変わらず乱暴者なんだから、おチビさんてば」
「やかましい。相変わらずな行動を取らなかったお前が悪ィんだろ、この場合」
 涙を浮かべてまで笑い続けるエンヴィーに一瞥をくれてやると、エドワードはベッ
ドの縁に腰掛けた。ああ、そーですね。お前はオレの知ってる気にくわないあのヤ
ローで間違いはねーですよ。ほんっと、ムカつくわ、マジで。
「怒んないでよ」
「じゃあ笑い止め」
「だって面白いんだもん、おチビさんの思考。オレならともかく、なんでオレ以外の
ヤツが変身できるとか思ってんの、バカだねえ」
 その言葉にカチンときた。大きな声で怒鳴る。
「変身じゃねえよ!」
 発された声の真剣さに、エンヴィーは崩していた顔を戻した。寝そべったまま、エ
ドワードの手首を掴む。
「――どうしたのさ。あんた、なんか変だ」
 エンヴィーが身を起こす。偽者だと疑って、だけどそれは変身や変装じゃなくて、
冗談や思いつきではなく、突きつけられた視線から張り詰めるくらいの緊張が伝わる
ほどに真剣にそう思い込んで……?
 なぜかと考えたとき、ひとつのことに思い当たる。
 正直、自分も驚いた、自分たちの死と復活に関して。
「そうか」
 小さく呟く。
「グリードの野郎が、あんたんとこのお仲間に入ったところを見てたんだっけ?」
「グリードじゃねえよ」
 オレの知ってるグリードじゃねえ。
 言い切ったエドワードに、エンヴィーも黙る。
 長い沈黙のあと、エンヴィーは「基本の人格は同じっぽいけど」と言ってみた。
「自分勝手なところも傲慢なところも偉そうなところもムカつくところも変わりなし」
 わざと明るい声を出す。
 エンヴィーの明るい声の裏にある暗さをエドワードも嗅ぎ取っていて、だから「ほ
ら」とだけ言った。
「やっぱ、お前も違うって思ってんじゃねえか」
「……」
 グリードはグリードだったけど、どこかが違った。
 細胞に染み込んでいるらしい自分たちの関係性は変わらないようで、なにか懐かし
いと思ったし、今エドワードに言ったように「やっぱり気に入らない」とは思ったけ
ど、ムカつき具合が自分の知っているグリードのそれとは違った気がした。
 死なんてないと思っていた。
 父がいる限り、核が残っている限り、自分たちは何度だって修復し、蘇る。
 だけど。
 グリードだけどグリードじゃなかった。
 知らない生き物だった。
 あれがグリードだからその程度の思いで済んだが、ラストならどう思っただろう。
ラストであってラストじゃないものを、それまでのラストだと思って対せるだろうか。
 同時に、自分がアレだったらとも思った。
 グリードは記憶がないようだった。自分という自我があるだけ。つまり、目の前で
むっつりと不機嫌そうに黙り込んでいる相手と交わした言葉や行動のすべてを忘れて
しまう、なかったことになるということ。
「オレは」
「オレは?」
 静かに息を吐き、そして大きく酸素を吸い込んだエドワードはエンヴィーの手を払
うと振り向き、勢いよくエンヴィーに体当たりをぶちかました。シーツの上に押し付
け、ついでに自分の唇で相手の唇を奪う。
「オレは、今のお前しか知らねーからな!」
「は?」
「言動のひとつひとつにイチイチ頭くるし、スケベだし、変態だし、趣味悪いし、妙
なことも悪さもいろいろすっけど、それでもなんでか憎みきれねえお前しか知らねえ
んだからな!」
 エドワードの言葉がエンヴィーの頭に、胸に、こだまする。
 お前がお前じゃなくなったら、お前はオレの知らないやつだ。
 それは。
「オレしか、好きじゃないってこと?」
 自惚れんな、の返答に、エンヴィーは顔を緩ませた。

 グリードのように、ラストのように、命を失わない。守り通す。
 そして願わくば。
 できるだけの時を、この小さい人間と過ごせますように。
 尽きるときは、復活が果たせないほど根本的なところから滅することができますよ
うに。

「くだらないミスはしないよ」
 エンヴィーはエドワードの耳元で囁き、その耳に誓いのキスを送った。




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途中で主題を失った気がします…が、まあいいか(…)。
復活しても違う人格、ということにびっくりして以来、書きたかったものです。
私はウロボロスたちが好きだし、ラストに生き返って欲しかったけど
あのラストにならないのならそれは意味があるんだろうかとか真剣に悩んでしまいました。
エンヴィーがそうなったら泣いちゃいそーだし(や、きっと、そのエンヴィーもエンヴィーで
好きだとは思うけれども!)。

エンエド的には絶対NG!ということで(笑)今のエンヴィーが、できる限り
現役の悪の華でいられることを願います。