<秘密>




 唇を塞がれた状態のままで体を固める。
 ヒール独特のコツコツと響く音は、すぐそこまで来ていた。
 エドワードが薄目を開けると、相手は心底楽しそうに目で笑っていて、その悪趣味さを雄弁に物語る。
 長い髪を引っ張ってやると、わずかに顔を顰めてそしてエドワードの体をより強く本棚の側面に押し付け、その赤いコートをすべて隠すかのように自らの体で覆った。
 部屋の中を巡廻していた足音は二人の隠れる物陰から離れていき、そして入り口の扉の開閉音のあとには鍵をかける金属音が響く。
 完全なる静寂が部屋に訪れる頃、口内を蹂躙されまくったエドワードは、相手から与えられた快感に、崩れ落ちそうになる自分の体を支えているだけで精一杯だった。
 だけど敢えて強がる。吠える。
「てめぇ、いつまでやってる気だよ……!」
 相手の胸をどついてその腕の中から逃れようとしたが、腕にはいつもの力の半分も入らない。どつくどころか反対に手を取られて、指を舐められる。
「えー。だって、おチビさんだって乗り気だったじゃない」
「誰が乗り気、」
「おとなしく身を任せてたでしょ。ついでに口も開けてくれた。舌もちょっと動かしてくれた。そーんな可愛い相手を前にキスをやめるなんて、それはいくらなんでも甲斐性ナシだと思うんだよねー」
 キスに。
 酔っていた自分の行動をいちいち挙げられて、エドワードの頬が染まる。
 それを見たエンヴィーが目を細め、至近距離で「可愛い」などとほざくものだから、余計、胸の動悸が止まらない。
 緊張や興奮なんて、エドワードの手首を掴んでいるエンヴィーはとっくの昔に気付いているだろう。もとより、静まり返った、そして天井の高いこの場所――国立中央図書館だ――では、手首の脈拍数を感じる以前に、口から飛び出しそうな心臓の音すら容易に聞こえそうではある。
 自分の手首を握るエンヴィーの冷たくて異常に白い指を凝視していたエドワードは、やがて、ひっそりと息を吐いた。
「なんでそこでため息?」
「なんでもだ」
 本当は落ち着くための深呼吸だったのだが、ため息と勘違いした野郎の手を払いのけて、エドワードは入り口の扉に向かった。もう大丈夫。足も震えてはいない。
 ドアノブに手を掛ける。開かない。さっき聞こえた通り、外から鍵が掛けられているのだ。
「やっぱり」
「なに?」
「どうすんだよ、閉じ込められちまったじゃねえか」
「しょーがないじゃん。キスしたかったんだもん」
「閉館間際に欲情すんな」
「おチビさんも」
 上半身を前に倒して、下から覗き込むような格好でエンヴィーが微笑む。なにか、余裕たっぷりの表情で。
「したかったでしょ、キス」
「な」
「久し振りだもんね」
「オレは……っ」
「会いたかったよ、おチビさん」
「……ッ」
 ずるい、とエドワードは思った。
 性格の悪さが滲み出ていそうな意地悪な顔をしているけれども、相手のそれは整っていて。
 一見、変質者と間違えそうになるほどの悪趣味な肌の露出の服を身に纏っているけど、なんだか似合うような気もしないではない。
 盛り上がりすぎでもなく、ほどよい筋肉はその服の異常さを掠めてしまうほどに綺麗だったりする。
 なによりその、独特の瞳。
 むらさき色のキャッツアイ。
 それが笑いながら自分を見るのだ。蛇に睨まれた蛙とはよく言ったものだ。確かにそんな感じ。射すくめられて動けない。そして相手はそれをわかったうえで、解きにかかる。鋭い目を、優しい声と態度でカムフラージュして。眼光の強さに心を持ってかれているうちに、体を持っていく。そして本当に、心を持っていかれる。
 顔が、全身が熱い。心臓が煩くて気が狂いそうになる。そこに声が乗せられる。
「オレがセントラルに居るとあんたは他に行っちまうし、あんたがここに来てる時はオレが他に行ってるしで、全然会えないんだもん。こないだ、折角、別れ際にキスまで進んだのに。会えない間、もうずっと繰り返してた。あんたの感触。やわらかくて温かくて、なんかほんのり甘くてさ。もういっかい、ちゃんと触れたかったんだ。してみたら更に良かったし。ね、また、してもいい?」
 エンヴィーは掌でエドワードの頬を撫で、指先で唇をなぞった。
「何回でもしたい。だめ?」
「……ば……ろ……ッ」
「聞こえるように言ってよ」
 くすくす笑うエンヴィーにカチンと来て、エドワードはそっぽを向く。
「なんで言わせんだよ。言わなくたってするくせに」
「確かに言わなくてもするけどさ、でも聞きたいじゃん。オレだけおチビさんを好きって、かわいそーだから」
「お前なんか、全然かわいそーじゃねーよ」
「かわいそうだよ、好きな子にそんなこと言われてさぁ」
「なにが好きな子だ。気持ち悪ィ」
「もー。おチビさんてば、疑い深いね」
「どこをどーやったらお前を信じれるってんだ」
「どこをどーやったらオレを信じてくれるのさ?」
 口の両端を上げたエンヴィーはエドの頬を包み、顎を固定して唇を重ねる。さっきの悪戯気味のキスより、もっと真摯な気がするのは願望の入りすぎだろうか。
 重ねて、浮かせて、また重ねて、軽く吸って。
 そうして深く合わせた。舌を絡めて。唾液も絡めて。
 長い長いキスから解放された後、すっかり暗くなった館内に、エドワードの吐き捨てるような声が響いた。
「すればいいだろ、何回でも何でも!」
 それに驚いたのはエンヴィーの方だ。そう来るとは思ってもいなかった。一応、確認する。
「それは、先に進んじゃってもいいって……」
「やるんならさっさとやれ!」
 男らしくも自らコートを脱ぎ始めたエドワードに、エンヴィーは腹を抱えて笑った。
「それでこそ、おチビさん」
「うるさい。お前も脱げ」
「もちろん。……優しくするからね」
「うるせえ!」
 紅潮する頬も、痛みを堪える声も、苦しげに、だけどそのうち色気を含んで耳に届く荒い息も、誰にも渡さない。自分のものだと、エンヴィーは強く強く、エドワードの体を抱き締めた。
 エンヴィーの手に収められたエドワードは一回目の欲望を吐き出して、呼吸を整える間も持たれないままに、激しく突き上げられるその摩擦と圧迫に、間もなく二回目の絶頂も向かえた。エンヴィーもエドワードが達する時の強い締め付けによって、限界が近かった自分を、エドワードに埋めた奥の奥でゆっくりと解放させた。



 気を飛ばすようにその場で眠ってしまった後、鳥の囀る声で目が覚める。隣の人間が起きた気配にエンヴィーも目を覚ましてにっこりと笑う。
「おはよう、おチビさん」
 だが、返されたのは昨夜のムードのかけらもない言葉。いや、コトの名残は確かに在ったけれど。
「うっせぇ。痛ぇ」
「そりゃまあ、入ったんだから」
「入ったとか言うな!」
「じゃあ突っ込んだ?」
「同じだろ、馬鹿!」
「馬鹿ってひっどー。二百年生きてきて初めてだよ、そんなこと言われたの」
 ケラケラと楽しげなエンヴィーを睨みつつも、エドワードはホッとする。
 こいつは、ちゃんとわかってくれてる。
 口の悪い、そして素直になれない自分の言葉を額面通りに受け取ってがっかりするような、そんな生易しいやつじゃない。
 それが憎たらしいこともあるが、でも、今日は嬉しい。
 だって、そりゃ、やっぱり、シタ後だし。
 初めてだったし。
 恥ずかしいし。
 素直になるなんて高度な技は、とてもじゃないけど使えそうにないから。
 伸びをして、その辺に散らかった衣服を身につけて、普通を装って、相手との会話を試みた。
「もう朝だな」
「だね。帰る?」
「ああ。アル、心配してるだろうし」
「まーた、弟くん? まったく妬けちゃうね。いつでもアルアルってさぁ」
「兄弟なんだ。当たり前だろ」
「そーお?」
 エンヴィーは自分の「兄弟」たちを瞬間浮かべて舌を出す。あんなやつらに『心配』なんてされた日には熱を出してぶっ倒れそうなほど気持ちが悪い。
「ま、それぞれだよね」
「?」
「いーのいーの。それより帰れる? 送ってあげよーか?」
「結構」
「意地張らなくていーのに」
「張る! そんな露出狂みてーな格好の奴の隣で歩けるか!」
 オレもヘンタイの仲間だと思われるじゃねぇか。
 そんな憎まれ口――真実だけど――を叩くと「ひっどー」と、やっぱりケラケラ笑ったエンヴィーは、いつのまにか裸から“露出狂みたいな格好”に戻っていて、身近な窓をガラリと開けて乗り上げると、じゃあね、と手を振った。
「ありがとう、おチビさん。またしようね」
「会おうが先だろ、ケダモノ!」
「あはははは、どっちでも一緒じゃん」
「一緒じゃねーよ!」
「一緒だってば」
「違う!」
 最後まで、大声出して、言い合って。
 露出狂の出て行った窓をエドワードはしばらく見つめ続けた。
「さて、と」
 やがて、窓の鍵を閉め、外側に近くて人気の無い道に面した壁に向かう。
 両手で輪を作り壁から扉を練成すると、そのドアを開いて外に出た。壁を元通りにして、空を見上げる。
 そこには、眩しい太陽と、曇ひとつない青空。
 路地から表通りに向かう途中、服屋のショーウィンドウに映った自分の姿を見てエドワードは激しく赤面した。
 前髪は変に流れているし、後ろの三つ編みはほぼ解けかけている。まるで昨夜の行為の激しさをそのまま表しているようだった。
 慌てて結い直す。整える。
 朝を向かえたばかりの町は活気に満ちていて、それもなんだかいたたまれなかった。
 だって自分は、これからホテルに帰って、本格的に寝るのだ。
 数時間前までは、この、今、動いている皆が寝ていた間中起きていて、気になるというか、実は結構かなり好きなんだけど、な相手と、相手と――。
 ――やっちゃったんだよな。
 自然、顔が緩んでしまって困った。
 やべぇ。
 こんなんじゃアルにすぐバレちまう。
 顔を戻し、昨夜不在の上手い言い訳を考えなくては。
 かなりの痛みと、つじつま合わせの手間と引き換えの、確かな幸福感を抱えながら、エドワードはリザーブしていたホテルへと歩いた。
 ――もう、兄さんてば連絡くらいしなよ。
 そう言って怒る弟の声を思って、現実の世界に意識を戻しながら。




「探したわよ」
 寝ぐらにしている部屋の前には黒い影がふたつあって。
 その奇妙さにエンヴィーは首を捻る。
「うっわー、なんかすっごい『朝』ってもんが似合わないね、ラストもグラトニーも」
「あんただってそうでしょう」
「そうかなぁ」
「……あら。ご機嫌じゃない?」
 長い付き合いともなると、声音の変化を見落としてはくれないらしい。昨日までとは違うエンヴィーの昂揚に気付いたラストが、探るようにエンヴィーをを見た。
「なにかあった?」
 誤魔化せるものでもないし、誤魔化すものでもないし。
 エンヴィーはコクリと頷いてみせる。
「まあね」
「なに?」
 興味深そうに視線を向けてくるラストを交わし、グラトニーにじゃれつきながらエンヴィーは口の前で人差し指を立てた。
 ついでにウィンクも。
「――秘密」



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DR○AMS COME TRUEの「うれしはずかし朝帰り」を久し振りに聴いて、
「エンエドだ…!」と悶えてしまったくらいに病気は進行しているみたいです。
可哀相すぎる、自分が……(涙)←夢を見すぎて。だって『うれしはっずかっし
あっさがえり〜ママに(アル&ラスト)会うまで落ち着かなくちゃ〜♪』だもん!(笑)。
ね、エンエドにぴったり!!(…)。