<鈍感>




 ――どうしろっていうのさ。
 エンヴィーは地に転がる体を足の裏で踏んでみる。
「う……」
「あ、生きてる」
 じっくり見てみると心臓の五センチ下ほどからの大量の出血が見とめられた。右足の負傷も激しい。
 辺りを見渡しても誰もいない。
 しばらく黙って立ってみる。
 三分、五分、七分。
 だが他の人間の気配も感じなければ、この酷い怪我をした人間を探しにくる者の姿もない。
「ヤバイよねえ」
 ――面倒くさいな。
 エンヴィーは舌打ちと共に目の前に倒れる人物を担ぎ上げると、その場から移動した。
 このままでは出血多量で命を落とす危険がある。
 普通の人間ならば助ける義理もないので放っておくが、相手はなにせエドワード・エルリック。貴重な貴重な人柱となりうる錬金術師だ。
「何でオレがこんなこと」
 身を潜めている場所に潜り込むととりあえず服を脱がせ、血止めをして、適当に包帯を巻きつかせた。



 エドワード・エルリックがはっきりと目を覚ましたのはそれから二日後だった。
 目を開けて、しばらく惚け、そして不意に起き上がろうとして、逆戻りになった。
 胸下の傷が痛んだのだろう。喉から小さく呻き声を上げながら痛みを堪えるためにシーツを掻き毟る。
 エンヴィーは傍に歩み寄って「無理はしないでよね」と声を掛けた。
「二日三日で治る怪我じゃないんだからさ。おとなしく寝ときなよ」
「お前は……っ」
「二度目まして、鋼のおチビさん。言いたいことはわかってるつもりだけど、今は何もしなくていーんじゃない? ていうか、できないだろ」
「なんで……」
「オレにもさーっぱりなんだよね」
 エンヴィーは両手を上げて見せた。降参のポーズだ。
 誰に何でやられたんだか全然わかんないけど、とにかく血まみれのあんたを発見したの。放っといても良かったんだけど、それで死なれたりしたらオレたちの計画の成功にも関わってくるし、しょうがないから手当てしてみた。
 一息にそこまで言って、だから、と、寝床の脇に置いていたパンを半分に千切ってエドワードの口に突っ込んだ。
 無理矢理詰め込まれたそれをなんとか喉に送り込むことに成功しつつも咽たエドワードの前髪を掴んだエンヴィーは、エドワードの顔を上に向かせると、やはり用意していた牛乳を流し入れる。
「う……っ」
「ちょっとぉ。噴かないでよね、汚いなぁ。栄養なんだろ、あんたたちにとってはさぁ」
「ふざ……けんな……っ、嫌いなモン、しかもこんな詰め込み方されて食えるか……!」
「ああ、そう。悪かったよ」
 口ではそう言いながらも自分の人差し指を耳に差し込んだエンヴィーは思う。
 ――本当に面倒くさい。黙っててもらうか。
 そして右手で握りこぶしを作って、エドワードの腹部に押し付ける。
 ぐ、と潰れた声を出したエドワードはやがて全身から力を抜いた。いや。意識を失った、という表現の方がきっと的確に違いない。
「はー。大人しくなった」
 人間ってうるさい。
 そう思いながら、エンヴィーはエドワードの体を再度、蒲団の中に押し込んだ。
「嫌いとか言った?」
 何がだよと思いながら、残ったパンも牛乳も捨てる。
 次に目を覚ますのは半日後くらいだろうか。
「それまでに何か探さなきゃいけないんだ。マジで面倒くさーい」
 とりあえず、果物でいいかな。
 ベッドに沈むエドワードをちらりと見てから、エンヴィーは外の闇に体を紛れ込ませた。
 果物。オレンジ、アップル、グレープ、レモン?
 何でもいいから何か用意しなくては。
 傷ついたニンゲンを生かすために。



 傷も少しは癒えてきたエドワードは最初のように無茶をすることはなくなった。
 こちらの思惑がどうであれ、自分を生かそうとしているのは本当のことだと判断したらしい。
 判断したらしいもなにも、動けないのであれば何もできないけどね。どーせ。
 そう思いながらもエンヴィーは何かが癪に障っていることに気付く。
 そうして理解した。
「あ」
「なんだよ」
 人差し指で差されたエドワードが不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「わかった」
「だから何が」
「あんたが笑うからだ」
「あぁ?」
 言いたいことがさっぱり掴めずに、エドワードは尋ねるのをやめて、エンヴィーの言葉の先を待つ。
「だから、あんたが笑うからムカつくんだ」
「ムカついてんのかよ」
「ムカつくだろ。時々こっち見て、くすくす笑われたりしたらさぁ」
 なんなの。オレがなんかしてるわけ?
 喧嘩なら買うよ死なない程度に、なんて言い放ち、こぶしを握ったエンヴィーに、やっぱりエドワードは笑った。
「笑いたくもなるだろ。だってお前、すげえ変だから」
「変?」
「変。おかしい。わけわかんねえ」
 同じ意味の言葉を並べたエドワードの座るベッド脇に椅子を引き摺ると、エンヴィーはそこに腰を落ち着ける。
 おかしいなんて言われて、そのままになんてしておけない。理由を判明させたかった。
 傍に寄ってきたエンヴィーをちらりと見たエドワードは、すぐに視線を外して、ベッドサイドに置かれた小さなテーブルの上からバナナを取る。
 そして、これ、とエンヴィーに言った。
「なんでバナナなんだよ」
「おチビさんがこれが好きだって昨日言ってたんじゃん」
「だから」
「何が不満なのさ」
「不満がないのが不審なんだ」
「……何言ってんの、あんた。馬鹿じゃない?」
「……むっかつく野郎だな!」
「ムカついてんのはオレの方だって言ってんだろ!」
 ぴくりとこめかみが動いて、二人で睨みあう。逸らしたのはエドワードの方だった。必死で心を落ち着かせて先に進もうと試みる。
「オレを生かすのに、オレの好みなんか問題じゃねえだろって話だよ、あんぽんたん」
「あんぽんたんー?」
「わかれよ! なんで毎食違うもの持ってくんだよ。なんで嫌いって言ったものは二度と持ってこねーんだよ。お前らが何を狙ってんのかはわかんねえけど、やってることと今がちぐはぐで、わけわかんなくなるんだよ!」
 一息で言われてエンヴィーもようやく疑問を持った。
「だよねぇ」
「……は?」
「なんでおチビさんのために、オレは毎日食材探しに必死になってるわけ? そこらへんのもの食わせりゃいいじゃんね」
「――それはオレが言ってる」
「何やってんの、オレ」
 真顔で疑問を呟くエンヴィーに、毒気を抜かれたエドワードはやがてゲラゲラと笑い出した。
 やっぱり変。おかしすぎるぜ、お前。
 笑われて、むかついて、だけどつられるようにエンヴィーも肩を竦めた。おかしいことを認めるよ。素直にそう思う自分も不思議でならないが、目の前の金髪が揺れたり、耳に障っているような障っていないようなその笑い声をもう少し聞いていたいと思ったのだから仕方ない。
 ひとしきり笑ったエドワードは、サンキュ、と言った。
 妙に、さっぱりした表情だった。
 エンヴィーは納得する。
「出てくんだ?」
「ああ」
 短く言って、エドワードはベッドから降りると大きく伸びた。
 固まっていた手足を伸ばす。腰を捻る。
 その時走ったらしい胸の痛みにわずかに顔を顰めるが、すぐ元に戻した。ベッドの上の自分のコートを掴んで羽織る。
「世話になった。だからとりあえずは見逃してやるよ」
「そいつはどーもご親切に」
「けど、今だけだ。次に会ったらぶちのめす」
 そう言って瞳に宿した力強い意志を見て、エンヴィーの背中がぞくぞくしてくる。
 この生意気さ。荒っぽさ。
 心の奥から歓喜が湧いてきて止まらない。
 こーゆーのを、蹴飛ばして傷つけて握り潰すのってたまんないよね。
「いーんじゃない。目的一致しない同士だし」
「じゃ、そーゆーことで」
「ばいばーい」
 扉が開いて、少しの光が部屋の中に差し込み、すぐにまた閉ざされた。出ていくエドワードは振り向きさえしなかった。
 訪れたのはエンヴィーの好きな闇と静寂。
 それを楽しむように暫くの間、瞼を閉じて身を浸す。
 部屋の中にはもう、小さな寝息とか伝わってきそうな心臓の鼓動は感じられない。自分が存在する気配だけ。
 エンヴィーは、そっと目を開けて、そして心底楽しそうに笑った。
 声を上げて。
 腹を抱えて。
 だって、テーブルの上に在ったはずのバナナが消えていたのだ。
「ぶちのめすとか言いながら、持ってたんだ、バナナ!」



 変な人間。
 気になる人間。
 ぞくぞくして、わくわくさせてくれる。
 相手に興味を持つこと。
 考えてしまうこと。
 この気持ちを何て言うのか、エンヴィーにはわからなかった。
 ただ。
「楽しくなってきたよ、おチビさん」
 次に会う時を思って微笑む。