【震えるその肩を】…2005.09.07
 ※性的表現が含まれますので苦手な方はご注意ください。



 紫苑が犬洗いのバイトから帰ってくると、めずらしくネズミが家にいて、これはい
つものことだが夕飯のスープを作っていた。
「ただいま。今日はおやすみ?」
「ああ。もうすぐ、強い雨が降ってくるからな。客足は鈍いだろうと踏んだ支配人の
英断で急遽、休業だ」
「そうなんだ。いい匂いだね」
「先にシャワーを浴びてくるといい。上がる頃には出来てるさ」
「うん。そうする」
 紫苑はそう答えると、両脇に本が積まれた通路を通って洗面所へと移動する。なに
か、嬉しい。
「部屋が明るくて暖かいって、嬉しいことなんだ」
 それは、クロノスでもロストタウンでも当たり前のことではあったが、あの頃は『当た
り前の中の幸せ』に気づかなかったし、それについて考えようとも思わなかった。ただ
受け入れていた。幸福があることを。何の考えもなしに、得て当然の事だと思っていた。
 だけど今は知っている。部屋があたたかさをくれることがどんなに安心できるか。
迎えてもらえることが、どんなに心を弾ませるか。
 自然、笑ってしまう頬を両手で軽く叩いてシャキリとさせると、紫苑は冷と温が交
互にくるシャワーを頭から浴びた。



 どうしたんだと、聞いてもいいのだろうか。
 紫苑はベッドに座り、渡されたものに視線を注ぐ。
 本日のスープの中身。
 じゃがいも、にんじん、たまねぎ、ブロッコリー、にんにく、そして豚肉――干してい
ない、生の肉だ。
 それだけでも驚くのに、焼きたてに近いと思われる、ふかふかしたやわらかさの白
いパンまで添えられている。
「どうした。食えよ」
「あ、うん。いただきます」
「どうぞ」
 スプーンにスープを乗せて、ひとくち飲む。いつもは塩味のそれからは、わずかに
コンソメの香りと味までした。
「うまい。すごく、おいしいよ、ネズミ」
「そりゃ良かった」
 紫苑の言葉に、ネズミはほんの一瞬、ほんの少しだけ、目元を緩ませる――紫苑は
ちゃんと見て取ったけど。機嫌がいいみたいだ。隣人が嬉しいと自分も嬉しくなる。
そんなことにも、ネズミと一緒に暮らし始めて気がついた。
 なんだろう。どうして機嫌がいいのかな。どうしていつもと違う食事なんだろう。
今日は特別な日なんだろうか。
 以前、ここにいたいのならば詮索好きをなんとかしろと言われた。それでも会話を
続けていれば多少のクエスチョンは出てくるもので、紫苑は、つい、質問を投げてし
まう。そしてネズミも琴線に触れなければ大抵のことなら答えてくれるが、今回はど
うだろう。
 考えていると紫苑の膝に小ネズミが3匹寄ってきて、葡萄色の目で見上げ、匂いの
違うメニューを食べたいと訴えてきた。
「あげても?」
「いいんじゃないか」
「どれがいいかな」
「犬や猫は玉葱がだめだって言うけど、ネズミはどうだろうな」
「そうなんだ。じゃあ避けた方が無難だね」
 少し悩んでじゃがいものかけらを手のひらに乗せると、紫苑は息を吹きかけて冷ま
したそれを3匹の前に下ろす。
 途端、すぐに口をつけたり手に取ったりする小ネズミたちに、思わず笑みが零れた。
「ハムレットたちも、とてもおいしいって」
「材料がいいからな」
「きみの腕前だろう」
「――誰が作っても同じだって……っと、そういや、あんた、同じ材料で作ってパン
がすすむ美味しいスープを作ってくれたっけ」
 ニヤニヤと笑いながらスープを口に運ぶネズミに、紫苑は「謝ったじゃないか」と
口を尖らせる。
「初めてだったんだ。もう覚えた。次は、失敗しないよ」
「じゃっ、明日の夕飯はあんたが作るか?」
「いいよ。きみがうんと驚くスープを作るから」
「そいつは楽しみだ」
 ネズミはくっくっと笑うと、空になった自分の皿を置き、椅子から腰を上げた。紫
苑のスプーンを掴み、それで中身を掬って紫苑の口の中に放り込む。
「そいつらを構うのもいいけど、あんたも食べないと冷めて味が落ちるぜ」
「あ、そうだよね。せっかくのごちそうだもの。おいしいうちに食べないと」
 紫苑はツキヨが最後の小さなひとかけを手に持ち、満足した小ネズミたちが本の間
に駆けていくのを見届けてから、紫苑は自分の食事に没頭した。ほろりと崩れるじゃ
がいもも、たっぷりの甘さのにんじんやたまねぎも、歯ごたえのいいブロッコリーの
茎も、噛むと肉汁が溢れる豚肉も、そしてそれらの味が混ざり、ひとつにまとめあげ
るスープも、すべてに満足する。
 スープの1滴も残らないほどにきれいにたいらげ――慢性的に空腹を覚える西ブロッ
クでは当たり前のことだけど――た。
「ごちそうさま」
「まだ、ある」
「え」
 ほら、と言われて反射的に両手を前に出した紫苑の手の中に、ネズミは赤い色をバ
ラバラと降らせた。
 それはひとつだったりふたつだったり、時にはみっつ連なったりする果物で。
「チェリー」
「好きなんだろ」
「好物だけど」
 ネズミは紫苑の手の中からひとつ、それを摘むと口の中に入れる。そして、おれも
だ、と言った。
「おれも、4年前、あんたに貰ったケーキがあまりにうまかったから、中に入ってた
これまで好きになった」
「……あ」
 紫苑は思い当たる。
 外は風が強かった。雨はこれから降るという。この時期、幾度となく訪れる自然現
象と、ネズミの不可解だった行動に、季節を、日にちを思い出す。
 ――もしかして今日は。
 それならばと、甘い考えも頭を過ぎる。少し躊躇った後、紫苑は試みた。甘えを言
葉に代えたのだ。
「ネズミ」
「うん?」
「両手が塞がっていたら、食べられない」
 ネズミは黙って紫苑をみつめ、絡ませていた視線を逸らして椅子を後ろに引いた。
立ち上がり、歩き出す。紫苑の前まで。
 きれいな指先で紫苑の手の中のチェリーを取って、さっきと同じように自分の口の
中に放り込む。さっきと違ったのは、その後、紫苑にも小さくて赤くて丸くて甘い果
物を分けてくれたことだ。口移しによって。
 やわらかい唇が重なり、紫苑の唇にチェリーが当てられる。紫苑が口を開くと、
チェリーを奥に運ぶため、ネズミの舌も一緒に入り込んでくる。丸い実は紫苑の舌の
上に置いたままで、舌裏をさらりと舐め、上顎、内頬、歯列の裏と、あらゆるところ
に舌を這わせていく。どちらの唾液とも判断つかないものが紫苑の唇の端から零れた
頃、ネズミは紫苑の舌先に乗っていたチェリーを更に奥に押しやって、紫苑の舌先に
自分の同じ物をつけた。
 背中にピリっとしたものが流れる。
 やがてそれはきつく吸われ、甘噛みされる。何度も繰り返される。
 心臓が大きな鼓動に変わる。体中の血が熱くなり、紫苑の下半身に集中し始める。
 ――だめだ。
 紫苑は顔はネズミに預けたまま体を捩じって、手の中のものを枕の横、シーツの上
に静かに置いた。空いた両手でネズミの体を抱きしめ、右手をシャツの裾から侵入さ
せる。脇腹をなぞると、ネズミが唇を離して笑った。
「なに?」
「いや。あんた、4年前もこうやって熱を計ってたなって。今思うと、けっこうエッチな
計り方だよな」
「だって、あれは、きみが被さってきたから動けなくて、それに体が熱かったし、確
かめようと思って、」
 顔を赤くしながらの紫苑の弁解をネズミは遮る。
「今日は、あんたの方が熱い」
 人の悪い笑みのくせに、どうしようもなく惹きつける、そんな顔で微笑まれ、紫苑
はネズミを自分の上に引き込んだ。ベッドに倒れ、体を入れ替えると夢中でネズミの
体をまさぐる。
 衝動が体を動かし、紫苑とネズミの住む小さな部屋の中に、熱い吐息が充満する。



 誘いの言葉をかけられるなんて、思ってもみなかった。
 いつもストレートな紫苑にしては、なかなかに遠まわしな誘い方だ。
 ――ネズミ。両手が塞がっていたら、食べられない。
 一瞬、普通の要求かと思った。だが、紫苑の目に宿る強い意志に、そうではないこ
とを悟る。
 紫苑と体を重ねるのは、はっきり言って、かなりきつい。物理的にはもちろんだが、
それよりも精神的に追い詰められる。だけど拒むことができない。紫苑に求められる
まま、体を明け渡してしまう。
「……っ」
 長いキスだけで息が上がり始める。
 無知なくせに記憶力も応用力も有り、無駄に器用な指先は、交わるたびにネズミの
弱いところを確実に覚え、捉えていく。
 紫苑の唇がうなじに触れ、同時に脇腹を探る。鎖骨を噛みながら太腿に指先を当て
ていく。
 付け根のギリギリの辺りを何度もやさしく愛撫されるのは、直接、性器を嬲られる
よりも辛い。
「っ」
 鎖骨を噛んでいた唇が、標的を胸の尖りに替えた。
 小さく起ち上がるそれを唇で挟み、舌で包む。太腿を撫でていた指は、もう片方の
尖りに添えられ、押し潰したり転がしたりを執拗に繰り返す。
「……ぁ……っ」
 尖らせた舌先がネズミの突起を前後に押し倒した。やわらかくねっとりしたものが
胸の上で動く、いや、胸を動かされる感覚に、尖りからネズミの体全体にじんじんと
甘く痺れる快感が広まっていく。
 ネズミは紫苑に手を伸ばし、下着の中を探った。
 指に握ると息を呑む音が耳の傍で聞こえる。
 奮えながら大きくなるそれに、「ずいぶん、溜まってたみたいだな」と言いながら
手を上下させると、紫苑の頬が、さっと朱く染まった。
 本気で恥じているらしいその顔に、ネズミは少しだけ余裕を取り戻す。そうだ。経
験値が違うのだ。翻弄されてばかりいるわけにいかない。
 揶揄を含ませながら、やさしくささやく。
「若いんだ。当たり前のことなんだから、恥ずかしくなんてないさ」
 その年で枯れてる方が問題有りだと言ってやると、口を塞がれた。
「ムードを出したいんだから、黙っててよ、ネズミ」
「そいつは失礼」
 肩を竦めると、まだ目元を赤くしたままの紫苑の顔が近づく。重ねるだけの稚拙な
口付けから、明確な意思を持って欲情を煽るキスへと変化していく。
 キスは嫌いじゃない。だけど、紫苑のキスは苦手だ。
 懸命さに引き摺られる。求められるたびに、それ以上の強さで相手を求める自分を
引っ張り出される。目の前の体に縋りたくなってくる。
「ネズミ」
 小さな声で呼ばれるたび、理性が音を立てて崩れそうだった。
「ふ……」
 後ろを探られる。紫苑の長い指が、入り口を探り始める。たっぷりの唾液で慣らし
た指が徐々に体の奥に入り込み、入った先で暴れていく。
 襞をかき回され、快感に直結する箇所を丹念に指で撫でられる。
 上がりそうになる声を、ネズミは必死で抑えた。
 3本に増やされた指は、抜き差しを続けられるうちにスムーズになった。比例し
て、ネズミを襲う快楽も強まる。紫苑を受け入れたくてたまらない。だけどそんなこ
とは言えないから我慢する。別なことを考えようとするたび、瞼の裏に浮かんでくる
のは今まで紫苑が自分に向けて言った数々の恥ずかしい愛の言葉で、思い出して達し
そうになり、ネズミは体の下のシーツを強く握った。
「いい、かな」
 欲情と興奮を込めた声で紫苑が問いかける。大丈夫。まだ笑える。
 ネズミは紫苑の腕をそっと掴んだ。
「つらいんだろ。いいぜ。いつでも」
「ありがとう」
 こんな状況できく「ありがとう」は何か変だと思うけれど、紫苑らしいとも思う。
 ネズミは解放が近いことに内心、安堵の息を吐きながら、入りやすいようにと腰を
上げた。
 濡れたものが後ろに当たる。おそらく、自分の先から溢れた精液を自身に纏わせた
のだろう。滑りの力を借りて、ゆっくりと紫苑が入ってくる。
「……う、あ……!」
 さすがに、声が上がった。いっぱいに広げられた入り口が辛いと悲鳴を上げてい
る。
「ごめん」
 最初のうちは、だいじょうぶかと問い掛けられていた質問が、今はない。だいじょ
うぶなわけないだろうそんなものが入ってるんだぞと、ネズミがその度に厭味を言っ
てきたからだ。それに、だいじょうぶじゃないと言われたとしても、紫苑だって自分
を止められないことを理解したようだ。
 紫苑の動きが止まる。根本まで入ったのだ。ネズミの入り口は最大限に開かれる。
そこは異物の侵入に激痛を訴えてくるが、反対に、ネズミの内部は紫苑の抜き差しを
受けて、溶け始める。
 入り口に引き戻されたり、また奥まで貫かれていくうちに、紫苑を魅惑的に包み込
む。
「は……っ、あ、ふ……」
 動きに合わせ、紫苑の口から声が漏れ始める。
 紫苑の顎を伝う汗が、ネズミの顔に落ちてくる。もうそろそろだ。もう少しで。
「ネ、ズミ……ッ」
 激しい摩擦と共に、紫苑が目を閉じる。性器からの刺激に集中する。
「紫苑」
 ネズミは指を伸ばして紫苑の汗を拭った。
 紫苑の腕が背中に回る。密着も挿入も深まる。
「ネズミ」
「ああ。おれも、イきそうだ」
 そう告げてやると、紫苑が頬を緩ませた。解放が近い。意識も飛び始める頃だ。
 紫苑がますます強く腰を押し付けてくる。
 そこでようやくネズミは、紫苑の体に腕を回し、その肩に縋った。
 中は紫苑自身に擦られ、外ではぴったりとくっついた体に擦られる。前と後ろと両
方で感じる悦楽を追いながら、今日も、あの言葉を聞いた。
 目を閉じる。
「好きだよ、ネズミ……!」
 達する時の、紫苑の癖だった。
 好きだよネズミ。きみが好きだ。愛している。その時々で言葉は変わりながらも、
込められるものは変わらない。恥ずかしくも、心地良い言葉。そして体から得られる
快感よりも、その台詞にネズミは欲情を煽られ、内部に注がれる紫苑を感じながら、
自分も紫苑の腹部に精液を吐き出すのだ。



 ありがとう。
 荒い息の下から紫苑はそっと告げる。
「なにが」
「ぼくの誕生日を、覚えててくれて。そればかりか、祝ってまでくれた」
「……まっ、忘れられる日じゃないしな」
「そうだね」
 9月7日は、紫苑の誕生日であり、ふたりが出会い、互いに強く惹かれ、その後の人
生を変えた、運命の日だ。
 紫苑はネズミの左肩を見る。あの日の怪我の跡が残る、左肩。紫苑が、初めて触れ
た他人の体である証拠の手術痕も、刻まれたままだった。
 紫苑は指でそれを撫で、そして口付けた。その行為にネズミの体が僅かに震える。
「なんだよ」
「なんでもないよ」
 この体に、こんな傷を、もう増やしたくないだけ。いや、増やさない。できる限りで、
守っていきたい。
 紫苑は枕もとに転がしていたチェリーを取って、ネズミの口に入れた。
「運動の後は糖分を取らなくちゃ」
 ネズミが笑う。
「息が切れてんのはあんただろ」
 3連のチェリーを選んで紫苑に向ける。
「口、開けろよ」
 紫苑がおとなしく口を開くと3連のチェリーどころか、他にも5、6個放り込まれた。
 喉に詰まりそうになって、紫苑が咽る。
「ひどいよ、ネズミ!」
「素直に人を信じるとそういう目に遭うんだ」
「わかったよ。もうネズミなんて信じない」
「そうそう。それが1番ですよ、殿下」
 チェリーに手を伸ばしながらネズミが言う。
「そういえば紫苑、知ってるか。口の中で枝を結べれば、キスが上手いって言うんだ
と」
「枝を?」
 紫苑は口の中から出したそれを見つめ、指でしならせ、手を使って軽く結んだ。
「ああ、丁度良い柔らかさと強度があるから、結ぶこと自体は簡単なんだ。だけど、
指があるから楽なのであって、舌だけでどうやってできるんだろう」
「こうやるんだよ」
 ネズミは紫苑の顔を自分に向かせると、唇を重ねた。
 紫苑の舌を絡め取りながら、器用に舌を動かしていく。
 普通にするキスとは違う動きに紫苑が戸惑っている間に、ネズミの唇は離れ、紫苑
の舌の上には苦いなにかが乗せられた。指で取る。
 それは単純ではない結びになったチェリーの枝で。
「すごい」
「上手いもんだろ?」
「キスが? 結ぶのが?」
「どっちも」 
「確かにね」
「あんたにはできないだろ」
「多分。でも練習すれば、できるようになるかな」
「何百回と繰り返したら、もしかしたら」
 紫苑をからかいながら優位に立っていたネズミは、続いた言葉で追いつかれた。
「それは、何百回も、きみにキスをしていいってことだよね」
「は?」
「練習には相手が必要じゃないか。そして、ぼくにはきみしかいないし」
「ちょ、ちょっと待て、紫苑」
「待たない。じゃっ、1回目ね」
 嬉々として仕掛けられたキスに、ネズミは逆転されたことを知る。
 紫苑から、体に力が入らないほどに深くて熱いキスをされ、しかも、口の中に残さ
れたのは、さっき自分が紫苑の口内に残したよりも複雑な結びをしたチェリーの枝
だったのだ。
「……ほんと、無駄に器用だな」
 そんな言葉は、負け惜しみにしかならないのである。



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 紫苑、ハッピーバースデーv 
 ようやくシオネズサイトですと胸を張って言えるものが書けました(笑)。




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