【歯形(アベハル)】…2005.5.9




 球数制限はもとより、あらゆる時と場面に置いて自分の体を重んじる人が、久し振りに自分から誘ってきた――というより、そういう人だからこそ誘われた時しかできない。
 ――お前の家とオレの家、どっちがいい。
 あまりにそっけない誘いだったので、少し追い詰めたくなって「なにするんですか」と、すっとぼけて聞いてみる。すると、みるみるうちに顔を朱に染めて「決まってんだろ」と小さく怒鳴り返された。始めからそんな顔で来てくれればこんな意地悪しないのに。
 どっちがいいかと聞いてくるということは、向こうの家族の帰りも微妙なのだろう。隆也の家は両親の帰りは早くはない方だが問題は弟の存在で、しかも結構元希に懐いているので、いるとやっかいだったりしないこともない。
 その時はその時かと考えて、じゃあオレん家に来ますかと訊ねると、元希はぱあっと表情を明るくして「おう」と頷いた。
 そして「バリバリやっからな!」なんて大声で叫んで腕を捲り上げる。既に誰もいないグラウンドとはいえ、隆也の方がぎくりとして辺りを見渡す。
 この人の羞恥心というものがいつどこで出て、どんなタイミングで引っ込むのか、まるでわからない。



 弟はまだ帰宅していなかった。在宅する者がいないと告げる、靴のない玄関に元希がホッと一息つくのが聞こえる。
 無言のまま自室に向かって、電気をつけ、ドアを閉めると同時に元希の腕を引いて下から唇を合わせた。舌を差し入れ、その甘さに元希が酔うのを見計らって、そのまま絨毯に押し倒す。
「ベッド……」
「後で。最初はココがいいです」
 そう囁いて元希を解いていくと、赤くした目元を背けながら「しょうがねェなァ」と承諾してくれた。
 無駄な肉のついていない胸や腹を擦り、こんな時でもなければ触れない左腕の内側に吸い付いて、元希と自分の精液とで後ろが充分潤った頃、隆也は元希の片足を肩に担ぎ上げる。
 開いたそこに自分を押し当て、先走りを塗り込んで数度往復させてから、ゆっくりと内部に押し入った。
「う、あ……っ!」
 狭いそこは隆也を取り込みながらも痛いほどに締めつけてくる。隆也の固さと大きさに慣れ、締めつけが少し緩むのを待ってから前後に動き始める。
「……っ、あ、ああっ」
 一旦抜いて、ガラステーブルに掴まるよう元希に指示を出して改めて後ろから攻めている最中に、階下で玄関が開く音がした。弟が帰ってきたのだ。
「ただいま。あれ、元希さん、来てんの?」
「勉強中ー。邪魔すんなよ」
「しねーよ! メシどーする?」
 弟の問いに隆也はちらりと時計を見る。
「8時くれーかな」
 一時間後の時間を言うと「了解」と返ってきて、テレビがつけられた音が聞こえる。
「――あの音量なら向こうには聞こえませんよ」
「……っせえ……ッ」
「じゃあ我慢してください」
「っ」
 止めていた動きを再開させた。元希の腰を掴んで、大きく自身を出し入れさせる。その度に揺れ動く不安定なテーブルの上に上半身を乗せ、その端を指で掴む元希が懸命に声を押し殺していて、滅多に見られない苦しげな表情に煽られて、隆也は思うままにその体を貪った。同時に果てた後、キスをねだってきた元希に応え、今度はベッドに移動する。スプリングの音を気にしていたのは最初だけで、後半はかなりぶっとびながら行為に耽った。声を出せない分、いつもよりしがみついてくる腕の力が強く、隆也はこれほどまでに頼られるのも滅多にないだろうなと苦笑して、もしかしたらもう二度と味わうことのないかもしれない元希の抱擁にたっぷりと感じ入った。



 元希を先に風呂場に行かせ、自分は台所に現れることで弟の目を逸らす。母親が用意していった夕飯分のおかずを冷蔵庫から出したり、鍋に火をつけることで温めたりしながら、隆也は手際よく三人分の食事を用意する。
「あ、元希さん、一緒に食ってくの!?」
「おう」
 なにやら元希に心酔しているらしい弟は、久し振りの接触に目を輝かせた。
 そして、元希が好き勝手にさせてくれた理由がわかったのもこの弟との会話からだ。
「いいなぁ、スキー合宿」
「そーかァ? 海のが良かったぜ。スキーだったらボイーンなねーちゃん見れねェじゃん!」
「ボイーンなねーちゃん!」
「ちょっと元希さん。変な言葉、インプットさせないでくださいよ」
「ぼいーんのナニが悪いってんだよ、ああ?」
「親に、オレが教えたって思われてメーワクするんです! ところで、いつからですか?」
「あん?」
「そのスキー合宿とやら」
「明後日」
「いつまで?」
「3泊4日」
「ってことは今度練習来れんのは……」
「来週の日曜」
 それだけ言って面白くなさそうに口を噤んだ元希に、なるほど、と思う。
 丸々1週間会わないのであれば、多少の腰や後ろの痛みなんてなくなるだろう。だから許可をくれたのか。
 その割にケッコウなサービス入ってたけど、と思って、自然、顔が笑った。
 もちろん、即座にテーブルの下で足が飛んでくる。
「なに笑ってんだよ!」
「別に」
「うっせえ!」
「何も言ってないでしょーが」
「ナンカ言ってんのが聞こえんだよ」
「変な言いがかりつけねーでください。ハイ、肉、1枚あげますから」
「お、サンキュー」
 途端に茶碗を突き出して破顔した元希に噴き出しそうになるのを抑えながら、隆也は食事を続ける。これ以上笑ったらどんな難癖をつけられるか、わかったものじゃない。
 会えない1週間は長いだろうけど、その前に、元希がこうして一緒に過ごせる時間を選んでくれたことが嬉しかった。



「く……っ」
 久し振りの暴投オンパレードに、隆也はあちこちに振り回される。
 腕を伸ばしても捕れないとわかっている場所に飛んできたとしても、その剛球にはつい手が出てしまう。
 中途半端に追いかけると「ちゃんと捕れよ」なんて荒々しい声も飛んできて、思わず「じゃあちゃんとしたトコに投げろよ」と言い返すと、黙って振りかぶった元希がおそろしく重い球を隆也目掛けて投げてきて、その勢いに手を痺れさせながらもなんとか捕球する。
 ――なんでこんな喧嘩みてェな投げ方なんか。
 更衣室で挨拶した時は機嫌が良かったはずだ。
 なのに、少し高いところから自分を見下ろす今の元希の目は冷たく暗い。
 ――オレ、なんかしたっけ。
 わからないまま、隆也は元希の放る球を捕り続け、無茶な力で投げているのを自覚しているのだろう。元希はいつもの練習球より少ない、試合時と同じ80球で投球練習を切り上げた。
 その後は黙々と体作りのためのメニューに取り組み、隆也と一言の会話を交わすどころか目も合わせない。



 1、2年の時、散々片付けをやってきた3年生は、最上級生になるとその役目から解放される。だから人の少ない更衣室で悠々と着替えることができる。にも関わらず、なんだかんだと理由をつけてのんびりと着替え、隆也を待っていてくれている人の姿が、今日は見えない。
「あれ、元希さんは?」
「なんかしんねーけど、急いで帰ってったぞー」
「……そっすか」
 小さく呟いた隆也に「なんかしたのか」と声が掛けられる。
「なんか今日スゲかっただろ、お前ら」
「オレもよくわかんねーんですけど、やっぱ機嫌、悪かったですよね?」
「ああ。久し振りに見たよな、あんな元希」
「アイツ荒いと、マジこえーよー」
 マトモに目ェ合わせちまったと大げさに嘆いて笑いを取る上級生に隆也も口元だけで笑うと、ロッカーに手を掛けて首を捻る。
 本当に、わけがわからない。
 そのうち、だんだんムカムカとしてきた。
 だって。
 楽しみにしていたのに。
 この1週間――シニアの練習自体は3日間だが――あの目を奪われるほどの速球が自分の左手に痺れをもたらさないということに慣れなくて、シニアの練習が終わった後の自主トレの量を増やした。体は疲れているのにそれでも心が納得していなくて、隆也はそこで初めて、自分が感じていた以上に元希に囚われていることを知ったのだ。自覚してしまうと、あとは会えるのを待つだけ。体をなまらせて帰ってきたら笑ってやろうなんてことを考えながら、指折り、日曜日が来るのを待った。
 朝だって「はよっす」と挨拶をして、向こうも「おお」なんて笑顔を見せたではないか。
 挨拶を交わしたということはその時まで確実に機嫌は悪くなかったということで。
「わけわかんねェ!」
 練習着を床に叩きつけるようにして脱ぐと、二本の私服の足が視界に入った。
 足の先を追っていくと、不機嫌に眉を寄せ、目をすわらせて仁王立ちしている元希がいて。その後ろでは手早く着替えを終わらせたチームメイトたちがコレから起こる危険を察知して逸早く更衣室から出ようと、こそこそと隆也に手を振っている。
 薄情者たちを少し恨みながらも、全員の姿が消えてしまうと隆也の心も落ち着く。開き直る。だって、オレは何もしていない。
 だから言った。
「なにか用スか」
 強気に。そして興味なさげに。
 当然、カチンときたらしい。元希はムッとした表情で「文句言おうと思ってよ」と続ける。
「文句? なんのですか」
「シラきんのか」
 そう言われて、一瞬隆也は黙る。
 ――て、ことは、オレが原因か?
 だけど本気で理由に思い当たらない。素直に、わかんねーんすけど、と言うと元希は足元のベンチを蹴った。蹴られたベンチはその体を5cmほど後ろにずらす。その行動が隆也の神経にも障った。
「物に当たんなくたっていいじゃないですか。ガキじゃあるまいし」
「じゃあテメーに当たればいいのかよ」
「その方がなんぼかマシってもんです」
「その前にお前が謝れば気は済むんだよ!」
「心当たりもねェのにホイホイ頭下げられるかってーの!」
 胸倉を掴みあった体勢のまま睨み合う。
 先に動いたのは元希だった。掴んだ隆也のアンダーシャツの襟口を布地が伸びてしまいそうなほどに強く引っ張る。引っ張られた反対の襟が喉に食い込んで息ができなくなる。
 ぐ、と声を詰まらせた隆也に構わず、元希は露出した隆也の肩を見て「コレ」と言った。
 右手で喉に食い込むシャツを阻止しながら、隆也は指された箇所を見る。
 別に、なにもない。
「なにがだよ」
 なにもねェじゃんかと低い声で言うと、舌打ちした元希が隆也の首を乱暴に後ろに向かせ、反対に右肩は前に押し出した。
「いて……ッ」
「これで見えんだろ!」
「なに、」
 元希の剣幕に、とりあえず文句を引っ込めた隆也が改めて自分の肩を見る。赤いものがあった。半円を描く、くっきりとした点線。
「お前にそんな甲斐性あるとは思わなかったオレもワリーけどよ」
 元希は整った顔を歪めて、忌々しそうに言い放つ。
 ――ウワキされて黙ってられるほど大人しくねーんだよ。
 元希の言葉に、今度こそ本当に、隆也は声をなくした。
 ウワキ、って、誰が。オレが? 誰と?
 肩の点線――人の歯形だ――を凝視して、思考をまとめる。
 えっと、この人はこれを見てなんだかありえないほど激怒してて、だけど激怒するっつーことはヤキモチを妬いてるってことで?
 独占欲を出してくれたことに喜べばいいのか、ウワキとやらと勘違いされた信用のなさに嘆き怒ればいいのか、こんなことを素で言ってくる相手を笑えばいいのか、感情が追いつかない。
 まとめないうちに「なんか言えよ」だの「黙ってんじゃねーよタカヤ」などと揺さぶられ、とりあえず自分を掴む元希の腕を振り払った。
 大きく息を吸い込んで一喝する。
「勝手なこと言うのも大概にしろよ、バカ元希!」
「な……っ」
 タメ口で返されるのには慣れていても、名前を呼び捨てにされ、しかも『バカ』なんて単語をつけて呼ばれたのは初めてのことだった。口を開けたまま次いでくれる言葉を出せずにいる元希の目の前で、隆也は突然アンダーシャツを脱いだ。そして背中を見せる。そこには半円の他に、無数の掠れたミミズ腫れ。それには元希も見覚えがある。
「……わざわざ見せなくていいっつの」
 一週間前、自分が隆也にさんざん縋った名残の跡だ。
 元希が顔を背けると隆也のアンダーシャツが飛んできた。それは元希の顔に直撃してパサリと足の上に落ちる。
「なにすんだよ!」
「覚えてねーんですか」
「あ?」
 隆也は自分の体に深く刻まれたヘコミを触りながら言った。
「コレつけたの、あんただよ」
 また、元希の顔が険しくなる。
「……そんなんで誤魔化せっと思ってんのかよ。そんなんやった覚えがねーし、第一、1週間も経ったモノがそんなに濃く残ってるワケねーだろーが」
「残ってんだから仕方ねーだろ! ウソだと思うなら同じ場所に噛みついてみろよ!」
「っ」
 元希は、真剣に真っ直ぐな目で自分を見る隆也に、その言葉が嘘ではないということを悟る、が、イマサラ引けもしない。おー、わかったよ、噛みついてやんよと言いながら、隆也の首と肩に手を添えた。
 ゴクリと喉を鳴らしてから大きく口を開ける。
 まだ薄い肩にかぶりつく。グッと歯に力を込めたとき、ふと同じ映像が浮かんだ。
 同じと言っても自分は服を着ていなかったし、相手もそうで、そして自分の体の中心にはものすごい圧迫があったけれども。
 隆也の上に跨って下から突き上げられながら、この体を両手に抱いた覚えがある。隆也の手は元希を握っていた。
 ――あ……っ、ん、ふ、あ、ああ……!
 そんな思い出したくもない恥ずかしい声を上げて、前と後ろを襲う快感を堪えるために、そうだ、こうやって隆也の肩に食い……――。
「あ」
 元希の素の声に、隆也が大げさなため息を吐く。
「思い出しましたか?」
「あー……」
 カパリと口を外すと、視界の中に隆也の肩についた模様は同じ点線の並びで新しいへこみを作り出していた。
 気まずい沈黙が流れる。
 トンと元希の胸を叩いて自分から離した隆也はロッカーの中からYシャツを取り出して羽織る。
「で?」
 振り向くと元希は体を硬直させていて。
 そんな元希に隆也は極上の笑みを見せながら言った。
「誰が、いつ、あんた以外の人とヤったんですって?」



 キーワードは『悪かった』だ。
 これを言うまで相手をベッドから出さないと決めて、隆也はにっこりと笑う。
「さ、元希さん。オレん家、帰りましょうか?」
 楽しい夜になりそうだ。




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なにかゲンミツに間違っているような気がしてなりません……?
ていうか「浮気ってなにさー」って、書いててカアアアっとなりました。
ちょっと恥ずかしい。でもそんなヤキモチの話が大好きだったりもします。
元希さんのハードな夜に乾杯!(笑)。




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