【お前はこれから俺のもの(アベハル)】…2007.5.14(2006年5月発行コピー本より再録)



 めちゃくちゃにチャイムを鳴らし、入ってくるなりベッドに直行してその上にごろりと
横になり、今はその辺にあった野球雑誌を適当にめくっている榛名にカフェオレを
差し出しながら阿部はため息をついた。
 とりあえず、労いの言葉くらいはかけるけれども。
「お疲れさまです」
「おー」
「しばらく休みですか」
「じゃなきゃ来ねーって」
――オレには、なんであんたがココに来るのかよくわかんねェですけど。
心の中だけで疑問を形にしてみる。
そう。本当にわからない。特になにをするわけでもないのに、なんでこの人は休みの
たびにオレの家に押しかけてくるんだろう。
 寮とは名ばかりの、普通にマンション住まいの榛名だから「静かなところでひとりに
なりたい」なんて思いはないだろうし、むしろひとりになりたいなら阿部のアパートに
押しかける必要はない。たまの休日をリラックスして蝶よ花よで過ごしたいなら、当然、
実家に帰った方がいいはずで。
 などと思いながらも、新聞や雑誌からこの人のスケジュールを把握して休みの日を
予測し、こうしてちゃんと迎える自分がいるのが、悔しいやら情けないやら、だ。
 好くにしろ嫌うにしろ、出会って以来、自分の中から榛名の存在が消えたことはない。
榛名のことなんか考えたくないと思った時期もある。見たくもなかったし、接触なんて
持ってのほかだ。
 だけど、もう一度出会った。今度は、対戦相手として。
 心苦しいほどに望んでいた『全力の榛名元希』に触れ、あの頃の事情と誤解を理解
してしまった時には、もうすっかり、ハリネズミみたいに自分の全身から出ていたトゲは
やわらかくなっていた。抜けたわけじゃないところに自分の執念深さみたいなものを感
じたが、事情と合わせた榛名の野球へのスタイルを理解はしても同意ができないことは
今でも間違いがないし、それが原因で辛い時間を過ごしたことも事実なので、それはいい
だろう。
 三橋を相手に培ったコミュニケーション能力と我慢強さは榛名を相手にしても通じる。
一拍、我慢をする。それだけで、だいぶ言葉が通じるようになった。自分の考え方とその
思考速度が他の人間のペースと違うなんて簡単なことを、どうしてわかっていなかったの
だろうと思わず苦笑してしまうくらいだ。
 阿部が考え事をしていると、パサリと物が落ちる音がした。
 音の先を見ると榛名の体があって、その上にさっきまで斜め読みしているらしかった雑
誌が落ちている。
「また……」
 阿部は眉を顰めて立ち上がる。
「寝るんなら布団被れって言ってんのに」
 スイッチが切れるように突然意識が落ちるくせに、布団の中に潜って雑誌を読む、という
簡単な行動すら起こさないのだ。何度、阿部が進言しても。
 仕方がないから、布団の中に押し込む作業を行うことになる。
 放っておいてもいいが、風邪なんか引かれ、「お前のせいだ」なんて言われたら、たまっ
たものじゃないし。
「元希さん、寝るんですか?」
 一応、声を掛ける。
 もときさん。
 それも、懐かしい響きだった。
 会わなくなって一年、そしてわだかまりが解けるまでの二年間はずっと、『榛名』と、多少
の憎しみを込めて自分の中で呼んでいたから、ついそのまま「榛名さん」と呼びかけてし
まった。その時のことは、今、思い出しても笑えてしまう。
 ――なんだよ、それ。
 ひどく面白くなさそうな顔をしたのだ。
 そして呼び方を変えるほどによそよそしくなった阿部の心境を察したらしかった。
 決して、他人の心の動きに敏感な方ではないのに、阿部の心中を想像してくれたのだ。
視線を落しながら小さく言われた「悪かったな」は、意外で、それゆえ嬉しくて、いつも阿部の
胸にある。
 阿部は榛名を上から覗き込んだ。
「元希さん、風邪引きますよ」
「んー……」
 生返事だけで、起きる気配は一向にない。
 阿部がすぐに諦めて、いつものように布団の中に捻じ込もうと榛名の体の下の布団を引っ
張り出す。それを体の上にかけようとしたとき、突然、榛名の手が阿部の腕を掴んだ。
「あ?」
 結構な力で腕を引かれた阿部は、榛名の上に倒れ込む。
 かろうじて受身を取ったために完全に圧し掛かることはなかったが、その体はすぐに横に
向けられ、足に榛名の同じものが絡みついてきた。首には腕も纏わりつき、顔もものすごく
近い位置にくる。
「ちょ、もと……っ」
 阿部は抱き枕よろしく、がっちりと抱き抱えられて焦った。
「寝ぼけんなよ、ちょっと、いい加減おき、」
 引き剥がそうと暴れた阿部が止まる。
 なにげに覗きこんだその顔が、なんだかとてもキレイだったせいで。
「う……」
 閉じた瞼の先には長い睫毛があって、すっと伸びた高い鼻、少し開いている薄くも厚くも
ない唇が、異常に色っぽい。
 鼓動が、速くなる。
 ――この人、こんな顔だったっけ?
 体格と性格と悪い口のせいか、もっと精悍――ていうかゴツイ――と思っていた。
 こんな女顔だったなんて。
 規則正しい榛名の寝息が阿部の顔に掛かり、背中にもぞりとしたものが走る。
 目を閉じかけている自分を知って、あわててストップをかけた。
 ――いや、これ、元希さんだから。男だから。なに顔ちかづけよーとしてんだよ、オレ!
 顔、というか唇、というか。
 阿部の体は目の前の顔だけ美女に確実に反応を起こしていて、キスを仕掛けようなどと
血迷ったのだ。
 ――ヤバイから。変だから。普通じゃねェから。
 顔を遠ざけ、榛名から離れようと首に絡んだ腕に手をかけた瞬間、顔の前で低い声がした。
「意気地ナシ」
「え」
 言葉の意味を理解するより早く、やわらかいものが唇に触れる。重なったそれが榛名の
唇だと気がつくのに四秒かかった。
 その四秒間、ずっと、榛名は阿部の唇を覆っていて、そればかりか四秒後には微妙に動
かし始める。
 開いて阿部の上唇を何度も挟む。ちゅ、と音を出しながら仕掛け続ける。
 ふにゃふにゃというかぬるぬるというか、なんとも表現のできない感覚を与える唇に、阿部
は固く瞳を閉じた。
「んっ」
 榛名の首の後ろを手で抑えながら口を開く。深く唇を合わせる。榛名の中に自分の舌を侵
入させる。
 夢中で熱くやわらかい口内を貪った。
 布団の中は、キスにより唾液の混ざる音と、二人分の荒い息と、榛名のわずかな喘ぎでいっ
ぱいになる。
「タ、カヤ……っ」
 苦しい、と肩を叩かれたことで覚醒する。
「え、あ、うわ……ッ」
 思わず抱きしめていた榛名の体を突き飛ばしてしまって睨まれた。
「いってーな!」
「だ、だって」
「だってもナニもねーよ! お前、ひどくね? あんだけ熱烈なキスしといて」
「……っ」
 してしまった行為と、それの相手が相手なことにパニックして目を白黒させる阿部をしばらく
黙って見ていた榛名は、やがてぼそりと言った。
「後悔、すんのかよ」
「え」
「イヤだったかよ、オレとすんの」
 きつく睨んでくる榛名の目の奥に、とても不安定なものがある。
 えっと、今のは寝ぼけてたわけでもなくて、事故でもなくて、ちゃんとこの人の意思があった
ってことで……?
 それだけ、なんとか頭の中に入れてから、阿部は大きく息を吸った。まずは落ち着け。
 それから自分の状況をできるだけ客観的に説明した。
「気の迷いもあってあんたにクラッと来たし、誘われるまま乗ったけど」
「けど?」
「イヤではなかったです。むしろ、ヨかったっつうか、うん。気持ち良かったスね」
 阿部の言葉に、榛名の顔がぱああっと明るくなる。
 そしていきなり結論を出した。
「よし! ヨかったんだな、イヤじゃねーんだな! じゃーもっとイッとこーぜ!」
「は?」
 台詞と同時に榛名に握られたのは足の間の阿部自身で。
「なっ、なに掴んでんスか!」
「だから先に進むんだって」
「なんで……!」
 動揺と疑問を全面に押し出した阿部に、榛名はいとも簡単に答えた。
「好きだからに決まってんだろーが。も、いいかげん焦れるっての」
 焦れるもなにも。
「初めて聞いたんですけど、そんなこと」
「そらそーだろ。初めて言ったもん」
「もんじゃなくて!」
 声を荒げた阿部に返されたのは、オレ様な榛名らしい「わかれよ、それっくらい!」で、気づ
かなかった阿部が悪いのだと頭から決めつけているらしかった。
 ――そりゃ、鈍感なオレも悪かったと思うけど。
 オレだけのせいかァ、と腑に落ちないなんてことは、目の前の人には言ってはならないこと
なのである。



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お題「綺麗にできたタンコブ」と話が被ってますね、はっはっは(…)。
こーゆー系のネタが好きってことで見逃してください…。



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