普通の人間なら人を誘うとき「今日暇か」とか「空いてるか」とか聞くものだ。
 だが、どこをどうやったらこんな人間ができあがるのかと思うほどにオレ様で王様
でジャイアンな榛名元希は、そんなことをすっとばしてひとつ年下の後輩、阿部隆也
の首元を掴んで歩き出す。しかも、まだスポーツバッグの入り口を閉めていないのに
も関わらず。
 これでは『誘う』ではなく『攫う』である。
「ちょ、なに、どこ」
「っしたー!」
「っしたー、じゃねーよ!」
「うっせぇなァ。取って食いやしねえから来いっつーの」
「取って食わねェんだったら、まずこっちに、なにがあんのかとかドコ行くかとか言
うのが先でしょ!」
「ああ? ンなコト気にしてんの?」
「普通、でしょーが」
 普通に力を込めて、その勢いで阿部は自分を掴む榛名の手を振り払った。ついでに
睨み付ける。
 すると榛名は怯むどころか愉快そうに笑って、阿部の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「なっ、にすんスか!」
「なんかアレな。お前、小型犬みてえ」
 小せェ体で敵を一生懸命威嚇してキャンキャン吠える。
「……ちいさくて悪かったですね」
「別にワリーだなんて言ってねーじゃん」
 その言葉に阿部は口の中だけで呟いた。今はな。
 小さい、は阿部にとってトラウマの言葉だ。初めて榛名と対面したとき、榛名は、
小さくて年下でヘタクソは嫌だと言葉や態度で表した。ムカッときたものの、確かに
自分のそれは大口だったかもと思わざるを得ないほどの豪速球というものを、阿部は
初めて見た。そして本当に豪速球と呼ばれるものが、ミットに収めきれないものであ
るということも。
 本当はわかっている。小さいことが悪いわけではない――そりゃ大きい方がいいの
だろうけど。現にガタイのいい三年生でも榛名の球は捕れない。ただ思う。たとえば
自分が一年でも、この人と同じくらいの体格があったら、少なくとも小さいと怪我を
させるのふたつの言葉は言われなかったんだろうか、と。
「タカヤ?」
 黙りこんでしまった阿部を榛名が見下ろす。
 こんなときでも、榛名は腰や膝を折って顔を覗き込むなんて気は使わない。
 阿部は相手を見上げ、別になんでもないっすと告げる。
 カクゴ決めましたからどこへでも行きますよ。けど。
「コンビニ寄らせてくださいね。今日、帰りに寄るつもりだったんです」
「そりゃいーけど、オレ、金持ってねーぜ」
「……奢ってくれる気でもあったんスか」
「はあ? なんでオレが。金持ってねーからなんか買ってって言ってんじゃんか」
「や、言ってねェし! つうか金持ってねーなら、物、欲しがんなよ!」
「タカヤが持ってんだからいーじゃねェか」
「……っ」
 それはいったい、どこの国の法律だ。
 まさにジャイアニズムを地で行く榛名に眩暈がしてくる。
 だけどここれ以上言っても多分無駄なので諦める。
 貸すだけですからね、と念を押して、榛名が選んだポテトチップスも一緒にレジに
持ち込んだ。



 いらっしゃいとかかわいいとかよくきてくれたわねとか。
 未だかつてこんな歓迎を受けたことがないと断言できるほどに、阿部は丁重なおも
てなしを受けた。
 食卓にはマカロニサラダの茹でブロッコリー添えに棒棒鶏、白身魚とイカのフリッ
ター、かぼちゃの小豆煮、冷奴、ビーフシチュー、巨大ハンバーグといった統一感の
ないメニューがところ狭しと並べられており、阿部を出迎えてくれた女性陣が未だ台
所にいるということは、まだなにか出てくるに違いない。
 榛名は行儀悪く、箸でグラスを叩きながら「腹減った」などとわめいている。
 阿部は榛名の右袖を引っ張って尋ねる。
「なんの祭りですか、これ」
「あ? オレのたんじょーび」
「え」
「の、後夜祭」
「は?」
 単語しか発さない榛名の代わりに、榛名によく似た――気性は違く見えるが――若
い女性が人数分のコンソメスープをトレイの上から下ろしながら説明してくれる。
「昨日が誕生日だったんだけど、いろいろ作りすぎちゃって。残り物で悪いんだけ
ど、いっぱい食べていってね、タカヤ君」
「あ、はい、いただきます」
 ――あれ、オレ名前言ったっけ?
 首をひねりつつも、受け取ったスープを榛名と自分の前に置いた。それを見た榛名
の姉は「ありがとう」と微笑み、移動した先で母親に「ねえ、お母さん。タカヤ君、
本当にいい子よ」と言っている声が聞こえて、なんだか少し恥ずかしくなる。そし
て、赤くなった阿部を見逃す榛名ではない。
「照れてやんの」
「べつにっ」
「スケベ」
「なんでですか!」
 行儀の悪さ第二弾で、膝やら足の指やらで阿部の太腿や脛を蹴ってくるのを払いな
がら、食事の開始を待った。



 あれから三品が追加された食卓とそして阿部と榛名の胃袋にとどめを刺したのは、
三種類のケーキだった。
 結構苦しめに腹に詰め込んだ後のケーキである。それだけできついのに、なぜ三種
も。
 ついうっかり、素でぱかりと口を開けてしまった阿部に、榛名の母と姉は気恥ずか
しそうに打ち明けた。
 実は、重なってしまって。
 つまり、ものすごく息子(弟)のことが好きらしいこの家族は、その大好きな家族
の誕生日ということで張り切って、父親がナポレオンパイ、母親がチーズタルト、姉
がクラシック・ショコラと三者三様のケーキを買って帰宅してしまったらしい。
 その結果、いくらなんでも家族だけでは無理だと、阿部は引っ張り込まれてしまっ
たのだそうだ。
 そんな話を聞いてしまったら食べないわけにはいかない。
 トイレを借り、ちょっと中でジャンプして胃の奥にさっきまで食べていたものを落
とすと、気合を入れて戻り、切り分けられた自分の分を残さずに完食した。
 そして今は。
「お前、だいじょーぶかよ」
「あんま、だいじょぶじゃ、ない、です」
 榛名の部屋の絨毯の上で仰向けに倒れ、ギブアップしている。



「うるせえ家でわるかったな」
 榛名は、椅子に座って片膝を抱えながらぽつりと呟く。
「別に悪くないですよ。すげー楽しかった……てか、面白かった、かな」
「はあ? ナニがだよ?」
「元希さんが。ちゃんと人間の子供だったんですねっ、て! 腹はやめてください、
なんか出ます!」
 大の字でくたばっている阿部がそんな体勢ながらも憎まれ口を叩いたから、榛名は
制裁を加えようとして足を振り上げた。が、阿部の必死な言葉に顔を顰める。
「きったねーな」
「しかたないでしょ。ギリギリいっぱい詰め込みましたもん」
「……まぁな。ムチャな量だったのに食ってくれてサンキューな。母ちゃんも姉ちゃ
んもイマイチ限度ってモンを知らなくてさァ」
 遺伝なんですね、と言いたくなって慌ててそれを飲み込む。
 だめだ。この正直さがいけない。
 逡巡して、美味しかったです、と阿部は告げた。
「サラダも煮物も揚げ物もハンバーグもシチューも、みんなみんな美味しかったで
す。ちょっと苦しいけど。ケーキもすげェ美味かった。あんなに美味いなら、そりゃ
元希さんに食わせたいって思うだろうなって思いました」
「――サンキュー」
 阿部の言葉に、榛名はすごく嬉しそうに「ヒヒ」と笑った。
 なんだ、今日は素直じゃん。
 いや、いつだって榛名はまっすぐで偽りないが、それがマイナスの方向にばかり表
れるから、プラスに作用していると不思議な気持ちになる。そしてこれは、家族が榛
名を大切に愛しみ、榛名も自然に愛情を持っているからなのだろう。
 少し、うらやましくもある。
 ――いまいちコミュニケーション取れてないもんな。
 軽くため息をついて、そういえば、と阿部は起き上がった。
「過ぎちゃいましたけど」
「ん?」
 さっきコンビニでねだられたスナックをビニール袋から取り出して献上する。
「お誕生日、おめでとうございました」
「……くれんの?」
「他になにもありませんから、せめて」
 ポテトチップスを受け取った榛名は、しばらく神妙な顔でそれを眺めたあとぽつり
と「なんだよ」と言った。
 なんだよ。貰えんだったらもっと高いもんか、あとふたつくらい追加すればよかっ
た。
「あんたねえ!」
 かわいげのない榛名の言葉にカチンときた阿部が声を荒げたとき、正面から見てし
まう。
 俯いた榛名の顔は、おそろしく赤かった。
「え……」
 目元も頬も鼻の頭も耳も首も、ぜんぶがぜんぶ。
 視線が外れない。
 動きを止めてみていると変な言葉が聞こえた。
「バカタカヤ」
「は?」
「見んな」
「つうか! オレより高いトコにいるんだから顔伏せたら見えるに決まってんでしょ
うが、バカはあんたでしょ!」
「うるせえ! ちいせェお前が悪いんだよ!」
「そーやって都合の悪いことは罵倒すれば済むと思ってるあたりがバカだっつーの」
「うるせえうるせえうるせえ! ナマイキなんだよ、テメーは!」
「ナマイキついでにひとついいですかね!」
「ああ!?」
 ベッドに座る自分のすぐそばにやってきた阿部を、榛名はまだ赤さの残った顔で見
上げ、見上げられたところで阿部は上半身を屈め、ガッと榛名の頭を?んで固定する
と、唇に狙いを定めてキスをした。
「……!」
 榛名とはもちろんだが、犬猫省きで、初めてのキスだった。
 重ねるだけの稚拙なものだったが、榛名の度肝を抜くには十分だったらしい。
 阿部が離れたあと、驚きのあまり言葉を紡げないでいる榛名に、阿部はニィと笑
う。
「ごちそーさまです」
「な、なに、」
「別に深い意味はないです。元希さんの今の顔が、結構、可愛かったから」
「……そんなんでイキナリ、キスなんかすんのかよ」
「しょうがないですよ。若いんだし。火がついちゃったものは」
 ケロリとして言い放つ阿部に、榛名は数秒、声を失い、やがて低い声を出した。
「若くて、火がついたらいいんだな?」
「は?」
 榛名がなにを言いたいのかわからなくて聞き返した阿部の体が瞬間、宙に浮く。浮
いて、そして次にやわらかいものの中に埋められる。榛名のベッドの上で、榛名の腕
の中だった。
 てめえ、と榛名は小さく呻く。
 そして阿部の首筋に噛み付く。
「いって!」
「ジョーダンでしたなんつってもきかねーんだからな」
 ガマンしてたのに火ィつけやがって。
 ――マジで?



「嫌いじゃないです」
「オレだって」
「ずるくないスか、その言い方」
「ナニがだよ。タカヤだってハッキリ言わねェじゃんか」
「オレはあんたが言ってくれたらいいますって」
「それはこっちのセリフだっつの」
 夜通し、そんな問答を繰り返した。
 キスから始まり、体を重ねることに一足飛びした関係の次なる目標は「告白を聞
く」なのだ。
 自他共に認める意地っ張り同士なので、それがいつ達成するかはわからないが、布
団の中で並ぶふたりは、今現在、確実に幸せなのである。





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