【王者の風格(アキハル)】…2005.3.11





「どこだよ、ポジション」
 入部時、自己紹介の順番を待っている間、相手は秋丸の肘を自分の肘で突付いた。
「キャッチャー」
 私語を交わしているのがバレないように小声で囁き返すと、へェと目を細めた彼に丁度順番が回る。
「榛名元希。ピッチャーです。リトルでやってました!」
 内野を希望ですとか、リトルではショートをやってました、という主張ならあったが、名前の後にすぐにポジション、しかも「です」と言い切ったのは榛名しかいなかった。
 なんとなくウマがあって、一緒にいるようになって。
 ――……テ……も……ぜ!
 あの言葉が、今も耳にこびりついて離れない。



 勉強を教えろと榛名が言ってきたのは、夏が終わり、新学期が始まってすぐの頃だった。
 榛名の本気を見るのは楽しい。それが野球じゃなくても――結局野球のためだったけど、それはまあ置いておき。
 だから頷いた。秋丸も部を引退したばかりだし、都合の悪いことはない。
「いいけどさ」
 まずは面接に表れるであろう態度から指摘する。
「人に教わる時はそれなりの態度が必要なんじゃないの」
 教えて、ならともかく、教えろ、とは何事だ。
 すると榛名はくしゃりと顔を崩して豪快に笑った。
「そんな細けーコト気にすんなって。ハゲっぜ」
「ハゲないよ!」
「わははは!」
 榛名が膝を故障する前によく見た、王様みたいな顔だった。



 受験日まであと8日。
 最後の追い込みのため、ふたりは自主的に教室に残って向かい合わせに座り、実践的なテストを繰り返す。
 できたと差し出された問題集の答え合わせをしながら、秋丸は心の底から感動して言った。
「榛名って天才」
「そーか?」
 まず数学。
「うん。滅多にいないと思うよ。間違った式を用いて正解に辿り着くヤツ」
「……」
 次に国語。
「漢字とか四字熟語とかコトワザを創作すんのもやめなよね。もはや日本語じゃないよ、これ」
 そして英語。
「単語の意味は覚えたみたいだし、文の作り方も覚えたみたいだけど、スペルを全部ローマ字読みで書くってのはちょっとねぇ」
 やろうと思ってできることじゃないと感心して呟いた秋丸の手から榛名の回答が奪われる。
「うーっせ! 受かればいんだよ、受かれば!」
「その『受かるため』に、取れるところは逃すなっつってんの。特に漢字の創作なんて凡ミスだろ」
 回収された問題集を榛名の手の中から取り返した秋丸は、丸を数え、上の方に大きく68点と書き入れた。
「ま、ここまでできるようになるとは、正直、予想できなかったけど。油断しなきゃ大丈夫じゃない? 多分」
「なんだよ多分て」
「保証はできないでしょ、なにごとも」
「まあなァ」
 榛名も秋丸が回答を正解と見比べて、もう何度書いたかわからない100を赤いペンで大きく書き殴ると「けど、お前が落ちることはねーだろな」と言った。
 榛名と秋丸は同じクラスになったことがない。
 だから、頭はそんなに悪くねーだろなと思いながらも、まさかここまで良いと思っていなかったのだ。
 思わず人間じゃねェと呟いた榛名の頭を、秋丸は丸めたノートで軽く叩く。
「失礼なこと言ってんじゃないよ。それなりに努力はしてんだからね、オレだって」
 そう。だって、榛名と歩いていくためだ。



 本気になっているらしい榛名に「そこ、計算が違ってる」と指しながら「どういった心境の変化で?」と聞いてみる。
 そりゃあ3年だし、高校受験に向けていろいろやらなければならない年ではあるが、榛名がこの時期から取り組みはじめるとは思ってもいなかったから素直に驚いた。
「ていうか、普通に受験?」
「そだよ。ナンデ」
「ナンデって……」
 秋丸は口篭もる。
 榛名はリトルリーグの頃から注目を集めてきたらしかった。中学の大会なのに、父兄じゃなさそうな大人が結構いた。そして部活を観にくるような人間もいて、その人たちの目当てはすべて、目の前で問題集と教科書を広げてうんうん唸る、速球派の投手だった。何度か、部活中や学校帰りに掴まえられて名刺を渡されていたのも目にしている。
 ――もしかしたら故障と退部が原因で、すべての話が流れたのかも。
 だが榛名は、秋丸の言いたい言葉に気づいて、あっさりとその疑問を否定する。
「ああ、スカウトんコトか? みんな断わった」
「断わった?」
「なんかカントクやコーチがみんな熱心でサ、気持ちワリーんだもん」
「それはマイナス点なの?」
 むしろイイコトなんじゃ、と言いかけた秋丸を榛名は眼力で黙らせる。そして、1問解いたあと、なんでもないことのように付け足した。
「二の舞はしたくねーからな」
 軽く言われた言葉ではあったが、それは榛名のなによりも本心だった。
 プロになるという目標を持っている榛名に「野球なんてやめてやる」と叫ばせたほどに、深く重い傷を負わせたこの中学での部活動は、こうして高校でもそれに拘らざるを得ないほどのトラウマとなっているのだ。
 秋丸はあの時の榛名の怖いほどの苛立ちを思い出し、静かにその意見に同意した。
「そうだね」
「おー」
 榛名が問題集の次のページを捲る。
 時折詰まって教科書を開き、それでもわからないと秋丸に訊いてくる。それに丁寧に答え、正解まで導く。
 そうして日々は流れ、最後の進路希望調査だとHRで担任に通告された。
「親御さんとよく話し合って、希望の進路を第3希望まで書いて明後日までに提出するように」
 最後。 
 これで決まる。
 どうしよう。
 いや、どうしたいのかは決まっている。だけどそれを実行できない。
 そんな自分が臆病で嫌になる。
 深いため息を吐いた時、榛名が秋丸を覗きこんだ。
「風邪でも引いたん?」
「え」
「調子悪そーだから」
「いや、そんなことはないけど」
「あっそ。あ、お前のカバン貸せよ」
「なにすんの」
「いーから」
 秋丸が貸すともいわないうちに榛名に引き寄せられた秋丸のカバンは勝手に蓋を開けられ、勝手に中をあさられ、そしてなにかを取り出すと、手にしたシャープペンでガリガリと何かを綴った。
「ほれ」
「……はい?」
 突きつけられたのは進路希望調査の紙だった。
 第1希望の欄に汚い字でデカデカと『武蔵野第一高等学校』と書き入れられている。これは――。
「楽勝だろ」
「誰が」
「秋丸」
「まあ」
「おう。じゃ、あとはオレだけだな」
 榛名は腕まくりをして気合を入れると、中断した勉強に取り掛かる。
 武蔵野第一高等学校。
「榛名、ここ受けんの?」
「おー」
「オレも受けんの?」
「当たり前だろ、何言ってんだ?」
 約束をまだ果たしてないと榛名は言った。
「やくそく?」
「てめ、忘れたとかゆーんじゃねェだろな。バッテリー組もうぜって言ったじゃねーか」
 ――どこよ、ポジション。
 ――キャッチャー。
 ――へェ。……オレ、投手。
 出会いはそれで。
 ――お前、結構やれんじゃん。組もうぜ、バッテリー!
 耳に胸に残るのはその言葉。

 追いかけてもいいのだと、惹かれてやまない相手が言った。
 秋丸は榛名が乱暴に書き記した進路を丁寧にサインペンでなぞって完成させる。
 希望はこれだけ。
 絶対に叶えるから、第2希望なんていらない。



「明日、がんばろーね」
「おお」
 終わったら自己採点しようと言ったら泊まっていいかと聞かれる。
「いいけど、どしたの、わざわざ」
「……鈍感」
「え」
「なんでもねーよ!」

 お帰りなさいと迎えられた家ではご馳走が待っていて、そこで始めて自分の誕生日だと気づいたのは、さすがに間抜けだったと思う。
「アホ」
「なんにも言えないなァ」
 ひとつのベッドに潜り込みながら並んでやった自己採点は、お互いがベストを尽くしたことを物語っていた。
 問題用紙を机の上に投げ込んで、電気を消す。
 静かな暗い闇の中で秋丸はごろりと寝返りを打った。
「同じ高校、行きたいね」
「バーカ。『行く』んだろ」
「……榛名が名前の書き忘れとかしてなきゃね」
「え」
 強気だった榛名の声がその時ものすごく素で、秋丸は体温が急に低くなるのを感じた。隣の榛名に詰め寄る。
「なんだよ、その『え』って。まさか本当にそれやったとか言わないだろね!?」
「や、書いた! 書いた、はず。多分、絶対」
「あやしい! すっごいアヤシイよ。これだから榛名はぁ」
「これだからってなんだよ。ンなモン、いっしゅーかんもすりゃわかるっての」
「開き直るなよ、バカ!」
「うっせえ! 寝る!」
 秋丸の手を払って背中を向けた人物に「もう」とため息をつく。
 しょうがない。
 あとは神様に祈るだけ。



 桜の季節に、同じ門をくぐる。
 新しい季節が始まる。
 3年間は短く早く、だけどきっと熱いものに違いない。



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 お題から激しくずれているような気がするんですけど気のせいじゃないよね。あれ?
 風格というよりワガママ王子なだけです。
 でもそんな榛名さんが好きなんだよう、秋丸くんは。断言。
 3巻は読むたび泣けて仕方ありません。もー、恭平ったらイイ男!
 高校決断に関してはもういっこネタがあります。これは秋丸へたれバージョンだけど
 いつか格好良いバージョンも書きたいなと思います。



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