【性欲過多ーアキハル】…2004.12.24

 


 渡された鍵を受け取り、「お疲れ様でした」と秋丸が頭を下げると、気さくな先輩たちは「また来週」と笑顔で帰っていく。
 ついでに、「あんまりやりすぎるなって言っておけ」との言葉も残して。
 それは未だグラウンドに残って練習に励むひとりのことで、別にそいつの疲労や怪我を心配しているわけではない。武蔵野野球部員の中で1番、自分の体に気を遣っているやつが、倒れたり壊れたりするまで練習をしないことを知っているからだ。
 秋丸は30分で散らかった部室をある程度片付けて着替えると、隣のロッカーからタオルを1枚取り出してグラウンドに出た。
 さっきまでマウンドのあたりで練習に励んでいた人間は、今はグラウンドの隅でダウンのための体操に入っている。
 1通りの動きが終わった榛名に近づいて、その頭にタオルをかけてやる。
「おつかれさん」
「……ナイスタイミング」
「そりゃ計ったもん」
 そして先輩方からの伝言を伝える。
「あんまりやりすぎるな。オレらがサボってるみたいだろ、だって」
「何が」
「伝言」
「誰から」
「3年生一同」
「オレより先に帰っといてそれはないだろー」
 な、と賛同を求められて、秋丸はあっさりとその首を横に振る。
「馬鹿言うんじゃないよ。榛名くらいの練習なんかやったら、こっちの体が壊れるってーの」
「弱っちーな」
「小学生の時から練習やってきてる人とは出来上がってる体が違います」
「まーな」

 野球に真剣で、過去にも将来にも真剣な榛名にとっては何年も実践してきている当たり前の練習でも、高校から部活をマジメにやりましょうという人間にはそう簡単についていけるものではない。
 ある日を堺に意識改革をし、真面目に野球に取り組もうと思った武蔵野部員たちは、始めこそ榛名と同等もしくはそれ以上の練習を試みてはみたものの、あまりの量に1週間も経たないうちに白旗を挙げた。
 ――自分のペースで、自分に合った練習をすればいいんスよ。
 皆が音を上げた練習をぺろりとこなし、地面に倒れ伏す自分らを見下ろす後輩――当時1年――からの言葉に、憧れるようなムカツクような、微妙な心境で全員が頷いた。

 顔や首に浮かんだ汗を拭き取り、息も整い始めた榛名を、秋丸は急かす。
「はい、練習終了。帰ろう。鍵返して来たいんだ。早く着替えてよ、榛名」
「へいへーい」



 早く着替えろと言ったはずなのに。
 練習用ユニフォームを脱いだところまでは順調だった。問題はその後だ。
 秋丸は軽くため息をついて、自分を睨む榛名を見上げた。
「……なにしてるん?」
 そう。榛名はさっきから秋丸を、じーっと、ただ黙って睨んでくださっているのだ。
 Yシャツのボタンも留めず。
 制服のズボンの前もだらしなく開けて、パンツを見せた格好のままで。
 そうして逆に問われる。
「なんか来ないん?」
「は?」
 だっからさ、と榛名は長めの髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。
「ほわーっとか、むらーっとか、そーゆーの、ないんかよ?」
「……」
 秋丸は無言で立ち上がると榛名の背中を押して、部室の隅の鏡の前に押した。
 腰のあたりまでくる大きめの鏡には榛名の姿が映る。秋丸は鏡の中を指差して言ってみる。
「コレに、ほわーっとして、むらーってくる?」
「ば……っ、自分に来るわけねーだろッ。お前に聞いてんじゃねーか! つうか、コレって言うな!」
 差した指をバシッと叩かれ顔を顰めた秋丸の肩を押した榛名は、ロッカー前に戻った。戻って着替えを続行する。ぶつぶつ、文句を言いながら。
「っんだよ、秋丸の腐れジジイ。若いうちから枯れんな、ばーか」
「なんか言った?」
「なんも!」
「そ。じゃ、あと30秒で終わらして」
「ああ? 早ェっつーの」
「じゅーぶん待っただろ。残り20秒」
 自分の荷物をまとめた秋丸は部室のドアの傍で待機する。時間になったら遠慮なく電気を消すためだ。
「10秒。9、8、7、6、」
「うお、待てって」
「5、4、3、」
 2と口に出した時、榛名が秋丸に向かって――正確にはドアだが――ダッシュしてきた。
 1でその手首を掴み、同時に電気を消す。突如、闇に包まれた空間で、秋丸は少し顎をあげると目の前の人物にキスを仕掛ける。
「――!」
 少しくらいはズレるかと思った秋丸の唇は、寸分違わず榛名の同じものを塞ぐ。
 予想しなかった秋丸の攻撃に、榛名は驚きの声もあげれないほどに動揺した。
 1度浮かせ、また押し付けたそれを静かに離して、秋丸は榛名の耳に囁く。
「ほわーっとしたり、むらーってしたりなんて、くるに決まってるじゃない。だって相手は榛名だよ?」
 サギ野郎、と呟いた榛名の顔を照らす明かりがついていないことを、秋丸は残念に思った。きっと、凶悪なほどにかわいい照れ顔をしているに違いない。



 校門を出たところで秋丸が笑う。
「榛名がイベント好きで良かった」
「はァ?」
「クリスマスだから、なんかイイ雰囲気にしようと思ったんだろ? ありがたく、お持ち帰りさせていただきます」
「ちがっ、ばっ、行かねーよ、お前の家なんか!」
「来ないの? じゃあ帰る?」
「……っ」
 俺様で用意周到な榛名のことだ。両親には朝、もしかしたら昨夜のうちから「秋丸んちに泊まってくる」なんて言ってきたに違いない。それを取り消してまで家に戻れるほど、榛名の見栄は弱くない。
「どうする?」
 もう1度、聞いてやりながら、秋丸は榛名の右手を握って、自分のコートのポケットの中に突っ込んだ。
 こうすれば、頷きやすいのを知っているから。
 案の定、榛名はそっぽを向きながら答える。
「お前が、離してくんねーんだから、行くしかねえ、だろーが」
「そだね」
「明日は、休みだし」
「明後日もね。なにしよーか」
「ケーキ食う」
「はいはい。意外に甘党なんだもんなァ」
「悪ィかよ」
「悪いなんて言ってないじゃない」
 今日の夜は、むらーっとさせてくれたお礼をたっぷりして、明日の朝はキャッチボールで始まるのだ。



 聖なる夜に感謝しよう。
 メリークリスマス。



 この時期の3年生は引退ですという事実は考えないことに……えへ。



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