2005年2月合同企画より再録



 告白めいたことをぶちかましたのは、本当に勢いだった。
 だって、感動したから。

 それまで正直、「相手をするのは面倒くさいが、投手がこいつしかいなくて更に自
分の欲しかったタイプのピッチャーなんだから仕方が無い」というような惰性と諦め
と自分勝手な野望で、阿部は三橋に接していた。それが、監督の無言の説得に落ち、
トラウマ解消試合を前に戦うことすらできないほど元チームメイトに脅された三橋を
落ち着かせるための策として監督にやられたことを三橋に仕掛けたの時から何かが
変わった。
手を握る。動いた行為はそんな簡単なものだったけれど。
 あの夜、百枝の、野球に対する真剣さとか熱さとか、そんなものが繋げた手から流
れ込んできた。確かに感じた。あれみたいに伝われば。
 阿部は三橋の左手を掴む。お前は、いい投手だよ。照れと口先60%の阿部の言葉
を、三橋はすぐに否定した。ウソだあ、うそです。
「いい投手だって!」
 口にするたび熱意のパーセンテージが上がっていくのがわかった。ムカツク。なん
でコイツはオレの言葉を信じない。エースにしてやるって言っただろう。投手として充分
魅力的だと言っただろう。気弱なくせに、なんて自分の感情にガンコなヤツなんだ。
 こんな照れる行為までさせてるにも関わらず、人の話を聞かずに泣きつづける三橋
をどうしようかと思ったとき、ヒヤリとした指先に気が付いた。指先のタコに気が付いた。
各指のいろんな箇所に想像もつかないほどのボールを投げてきた努力の跡がついて
いた。マメはすぐにできる。だけど、それがつぶれ、またマメができ、タコになるまでに
は相当な繰り返しを伴う。その繰り返しの末にこの固い指先がある。手を握れば気付く。
傍にいれば自分ならきっと気付いただろう、コイツの努力に。だけど三橋の元チーム
メイトはそれに気付かず、見落としたどころか無視をして、追いつめて、この三星学園の
グラウンドから締め出したのだ。
 自分のことを振り返る。練習は確かにキツかった。あり得ないほど速くて重いストレー
ト球や暴投を、体や頭にくらったこともある。だけど。
 ――隆也、もう少しだな。
 ――頑張れ、タカヤ。
 ――すげェじゃん、隆也!
 ――お前、怖がんねーからよ。
 頑張った分を一度も認められなかった経験などなくて。あの、何でもできると思うほどの
嬉しさを、明日も頑張ろうという喜びを、三橋は中学で何度感じることができたんだろう。
本来、毎日でもそう思えるはずのヤツなのに。
 体温が上昇する。体が震える。鼻がツンとして目の縁には涙が溜まった。
 言葉は自然に出てきた。静かに言う。
「お前は、いい投手だよ」
 三橋の涙が止まったのを視界の端で確認した。そして本気100%の心からの言葉を
続けた。
「投手としてじゃなくても、オレはお前がスキだよ!」

 ――告白めいたっつうか、アレは取り方によってはマジで告白だよな。
 後から思い返してもそう思う。三橋に「オレも阿部君がスキだ」なんて返されて、思わず
引いてしまったくらいに、端から聞いたら微妙なセリフだったと思う。
 なのに。
「気にされてねェと思うとムカツクのは一体、なんでだ?」
 阿部は自分に問い掛ける。
 あの試合で過去を吹っ切ることが出来た三橋は、徐々にだがチームメイトに打ち解け
ていっている。同じクラスで似たもの同士の田島と、優しさ全開の栄口や西広や巣山に
は特に懐いているように見える。やっぱり同じクラスの泉や、なにかと気にかけている
花井にもそれなりの態度だ。だが阿部に対しては、まだまともに喋れもしないし喋りかけ
てもこない。最初の頃に比べたらだいぶ話せるようにはなってきているが、だけど緊張を
解いていないのはわかる。というか、話し掛けると8割増でそれまでの呆けた状態から
固まるモードに入っているような気がする。
「やあ、だって阿部様こわいんだもん」
 眼力で人が殺せるよー、などと阿部を称したのは水谷だ。そう思うなら凡ミスをすんな
――部活でも授業でもあらゆる場面で――と睨みつけてやったら「きゃあ」と叫んだ水谷に
栄口の後ろに逃げていかれた覚えがある。
「そんな怖いか?」
 仮にも三橋のびくつきまくる姿は、自分のことを好きだと言った相手に取るような態度
ではないと思うのだ。そしてそれがひどく心に引っ掛かる。



 もったいねーと言われても、それは人それぞれの価値観だ。
「ンなこと言われてもなァ」
「わーかってるよ。阿部は野球ひとすじだもん。ていうか、そもそもそんなヒマないのも
わかるけどさ、それにしてももったいなー」
 阿部はついさっき、同じクラスで1番人気の女生徒から告白を受け、しかもそれをサラリと
断わったばかりだった。
 昼休みの教室で。次の教科の質問がてら、小さくもなく、かといって強く主張するわけ
でもなく、彼女は「私、阿部君が好きなんだ」と言った。一瞬驚いた阿部だったが、彼女と
同じく普通の会話のように続ける。
「あー、サンキューな。けどオレ、今はそーゆーのに興味ないから」
「野球でいっぱいだもんね」
「そんな感じだな」
「うん、知ってる。見てればわかる。言いたかっただけなの。ありがとね」
 笑顔で阿部に手を振り、自分の席へと戻っていった彼女に、阿部の前の席の水谷が
振り返って感想を零した。
「すげー、かっこいー……」
 まったく同感だ。
 そして水谷はそれからうるさい。
「なんでこんなコワイ男がいーの、みんなー」
 みんなって誰だよとツッこむと、結構聞くよ阿部をイイって言ってる女の子、と返される。
「……お前はソフトすぎて信用なんねェんだろ」
「うわ、なにそれ! ひっで!」
「友達で終わるタイプだよなァ、水谷って」
 そんなことをいいながら会話に加わってきたのは花井だ。
「花井までそゆコト言うかな。文貴くん、こんなに努力してんのに」
「してんの?」
「――ウソ。してません。部活でいっぱいいっぱいで他になんて、気ィ回んないです」
「だよな」
 3人して顔を見合わせ、くすりと笑う。
 結局、その真面目さが格好よい――女子高生の高い目から見てルックスも標準を軽く
クリアしていることも加わる――ということで、クラスの中でも外でも3人の人気は高いの
だが本人たちは気付いていない。
「カノジョ欲しいよなー」
 せめて恋がしたいという水谷の嘆きに、面倒くさくねェかと阿部は尋ねた。
「めんどくさくなんかないって! だって高校生だぜ? ハイスクールライフだぜ!?
 ドキドキしたり、動揺したり、嬉しくなったり、悲しくなったり、熱くなったりしたいじゃん!」
 水谷の言葉に、ノート整理をしていた阿部のペンが止まる。
 ――なんだって?
「……それが、恋っつーもん?」
「だよ。……多分。なァ、花井?」
「な、なんでオレに振るんだよ」
「や、あらためて聞かれるとそれでいいんだっけって思うじゃん」
 じゃれあう2人は置いておき、阿部は考える。今、水谷が言った感情に、ここ最近、ひどく
当て嵌まっている自分がいる気がする。
 いつだ? 誰に――。
 ガタリと阿部が椅子を後ろに押した。
「な、なに!?」
 いきなり立ち上がった阿部に花井と水谷が驚く。
 その時、丁度5時間目の担当の教師が教室に入ってきたことで、7組全員が立ち上がった。
「あ、センセが来たんだ」
「反応早いな阿部」
 日直の号令に合わせ礼をして着席する。
 阿部の心臓はばくばくと鳴っていた。
 ドキドキしたり――理想のピッチャーに会えたと思って、正にその状態になった。
 動揺したり――三星戦での試合前の涙や試合中の揺れは、ホント、あり得なかったと思う。
 嬉しくなったり――バッテリーが捕手からの一方通行じゃないと知った時や、三橋と話をして
通じるたびに感じる。
 悲しくなったり――自分にだけびくつく三橋が……いや、コレはどっちかっていうとムカツイ
てんのか?
 熱くなったり――野球に、そして人に対して、多分、今までで1番、思いが入っている。
 思い当たるし、なんかハマるんだけど。
 頭がぐるぐるする。
 5分も経った頃だろうか。
 いや、仲間だろ、トモダチだろ。当然の感情だよな。
 そう結論を出した阿部が、心を落ち着けて、ふと窓の外に視線を向けた。
 体育のクラスがある。今日はサッカーのようだ。走りてェなと阿部が思った時、列の前の方に
ふわふわした頭があるのをみつけた。
 ――9組だ。
 そういえば隣のクラスの気配がない。合同体育だったのか。
 クラスごとに分かれての試合形式で進めるらしく、見覚えのある姿がよっつ――三橋と田島と
泉と浜田だ――奥側のコートに散っていく。
 試合開始を告げる笛の音が鳴る。田島が元気良くボールに向かっていくのが見えた。
 おどおどキョロキョロしながらも、田島や泉になにか叫ばれるたびに三橋がそっちに向かって
走る。
 ボールに触れてはなんとか前や横に蹴りだし、浜田を経て繋げていて、ミスをしないことに
ホッとした――ところで、正気に返る。
 ――なに微笑ましげにアイツらのサッカーなんて見てんだよ、オレ!
 胸のばくばくが止まらない。
 ウソだろう。
 以前、三橋に言った自分の言葉を思い出す。
 そーゆースキではないに決まっている。だって自分たちは男同士で。
 その時。
 ふわふわ頭が校舎を振り返った。
 阿部と正面から視線が絡む。
 ――!?
 阿部と目が合ったことに、一瞬、三橋も驚いたようだったが、やがて不器用にニィと笑った。
 心臓の跳ね具合は絶好調になる。
 机も椅子も揺らして、阿部が上半身を窓から隠した。机の上に伏せる。
「ど、どうした? 具合でも悪いのか、阿部?」
 教師や同級生たちの訝しげな視線が注がれる。
「……んでもないです。すみません、気にしないでください」
「そうか? 調子が悪かったら保健室に行けよ」
「ハイ」
 挙手したい気分だった。教師に、質問したい。
 保健室に行けば、この動悸は治まりますか。三橋の笑顔にドキリとした自分を無かったこと
にできますか。
 ――水谷が変なことを言うからだ。
 クラスメイトに八つ当たりをして、阿部は数学の教科書に目を落とした。数字の羅列を見る。
心で唱えることで冷静さを取り戻そうと試みる。だけど三橋の笑顔が瞼、いや脳裏から消える
ことは、なかったのだ。
 よりによってこんな変なことを考えている時に、あんなの見なくても。
 自分の視力を本気で呪いたくなって、阿部は困った。

 さあ。
 どうやってこの動揺に蹴りをつけよう――? 




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