【話をしていたくて】…2003年9月15日発行の同人誌より再録




 合宿二日目。
 あんまり根を詰めるなよと言いながら、就寝前、僕――風祭将――の練習相手をしてくれた水野竜也くんは、空を見上げて「星がこんなに見えるなんて凄いよな」と言った。
 その横顔があまりにきれいで。
 雰囲気が、あまりに良かったから。
 つい僕の口から想いがつるりと出てしまう。
「君が、好きだ」
 驚いて振り返った水野くんが気の抜けた顔をした。
 そして、肩を揺らして笑い出す。
 堪えなきゃと思いつつ、でも堪えきれないといった感じに。
 目尻に涙さえ浮かべて笑い続ける水野くんが、何に対してお腹を抱えているかなんて、わかっている。
 だって、告白なんてするつもりなかったから。
 ずっと秘密にしていようと思っていたから。
 音になってしまって一番びっくりしたのは、多分、水野くんより僕の方だっただろう。
 告白の後に驚きと後悔と恥ずかしさと動揺と答えへの不安と少し期待、とで、ぐるぐる回っていた僕は、きっととんでもない顔をしていたんだと思う。
 水野くんの笑いが止まらなくてもしょうがない。
 そしてそんな水野くんを見てるとなんだか僕も楽しくなってきて、自分がしでかしたことにも関わらず、合わせるように一緒に笑った。
 ひとしきり笑って落ち着いた頃、僕は静かに「帰ろうか」と言った。
 明日も早いから。明日もがんばろうね。
 そう言った後に続けた。
「ごめんね。さっきの忘れて?」
 気まずくなるのは嫌だった。
 宿舎に向かって走りだそうとした僕の手を水野くんが掴む。
 悪戯っぽい目で僕を覗き込む。そして。
「嫌だって言ったら?」
「え」
 全身、心臓になったみたいだった。
 だってこの展開って。
「俺もお前が好きだから、忘れたくない」
 嘘、みたいだ。シーズンごとに変わる恋愛ドラマだって、こんなに上手く行きはしない。
 だけどゆっくり囁かれた言葉。
 ――好きだよ、風祭。
 天にも昇る気持ち。
 実際、蒲団についてからも眠れなかったし、朝も昼も、ずっとふわふわしていた。
 サッカーしてる時だけは、しっかりしてたと思うけど。自分では。
 とにかく、この夏は、神様の存在を信じたくなった。





「海に行くわよ、みんなー!」
 元気印の顧問が桜上水サッカー部員を色めき立たせたのは、夏休みが始まる三週間前。
「え、なに夕子ちゃん、海って」
「先生の知り合いにね、海の家をやってる人がいるの。ほったて小屋みたいなのじゃないわよ。コンクリート造りの、比較的立派な海の家」
 さりげなく海の家一般にも、その知り合いとやらにも失礼なことを言い放った香取夕子だが、後に続けられた言葉の方に部員たちの意識は集中する。
「そこにね、泊まっていいって。海での合宿、したくない、みんな?」
「したーい!」
 顧問に負けずまだまだ元気な中学生。
 各家庭の環境やらなにやらはさて置き、遊びと一体になるであろう計画に満場一致で同意したのである。



 海だー! 
 トンネルを抜けて広がった風景に山口が叫んで、それを合図に口々に騒ぎ出す。
「みんな、もう少し小さい声で」
「興奮する気持ちもわかるけど、他の人への迷惑も考えてよ」
 窘め役はキャプテンである水野と小島有希だ。
 水野の隣で片目を開けて海を見やり「ガキやな、お前ら」と言った佐藤成樹に、「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ」と波打ち際で水野は呟いた。
 砂浜に到着そうそう、海水浴客の忘れ物であろうスイカ柄のビーチボールをみつけた佐藤が、それに駆け寄って蹴り上げたのだ。
 取ってこいを命じられた犬のごとく、丸いボールに反応してしまうサッカー部員たちを率いて、荷物も放り投げて遊び始める。
「なぁなぁ、昔、こんなんなかった?」
 でいやあっ、と叫びながらボールを波に向かって蹴った佐藤を、高井と森長が笑う。
「あった、あった」
「なんだっけ、あれ。ええと、タイガーショットだ!」
「そうそう」
「じゃあこれは?」
 なんて、名作サッカー漫画の真似なんかをしている。
「シゲさん、楽しそう」
 腰に手を当てて盛大なため息をついている水野の傍らで風祭がのんびりと言った。
「お前は、風祭? 行かないのか?」
 子犬の群れの中に。
「うーん。なんか、出遅れちゃった」
 何かすることあるんでしょ? 水野くんを手伝うよ。
 風祭の言葉に水野は頷く。
 じゃあとりあえず。
 店の人に挨拶と、各設備の場所の確認。





 合宿三日目。
 今日で終わりだなんてつまらない。
 日中、気持ち良いほどに晴れた空は、さっきまで青だった色を今は赤とオレンジに変えていた。
 砂地での走りこみは、いつもの倍疲れた。
 砂地でのボールは泥のグラウンドより扱い難い。
 だけどその分、足腰が強くなった気がする。
 多少の当たりにも耐えられるようになった気がする。
 うん。きっと、合宿前よりも上手くなった。
「楽しかったのにな」
 手に下げたビニール袋をガサガサ言わせながら呟くと、これからだろ普通はさ、と水野くんは笑った。
「うん、もちろんそっちも楽しみなんだけど」
 合宿最後の夜は愉快に豪勢にいきましょう。
 と、香取先生の宣言通り、海の家での食事ではなく、砂浜でバーベキュー。その後には花火もある。
「だけどいくら何でもこれは買いすぎだよ」
 水野くんが、両手に持った袋を肘まであげて僕に見せながら呆れたように肩を竦めた。
 香取先生が用意した花火じゃ全然足りないということで買出し部隊が組まれたのだ。
 水野くんの持つビニール袋の中身の全てはセットだったり単品だったり控えめだったり大砲だったりの様々な花火。
「平気か? そっち重いだろ」
 ビニールの紐が伸びるくらいに重さを示す僕が持っているのは、その花火を楽しむ間に口や胃や気分を癒す、人数分の飲み物とお菓子の山。
「全然平気」
 ぶんぶんと凄い勢いで首を横に振った僕に、水野くんは「疲れたら言えよ」と言ってくれた。
 近くのコンビニまで片道徒歩二十五分。
 当然、買い物部隊を希望する人はいなかった。
 海は見えているものの、なかなか元の場所に行き着かない道を、ぽつぽつと会話を交わしながら歩く。
「くじ運ないよね、僕たち」
「まぁな。でも俺はこっちのが気が楽」
「そうなの?」
「野菜切れとか肉を焼けとか、そっちの方が苦手だからさ。しかもあれだよ。絶対、小島とかシゲが俺の手元見て笑ったりからかったりするに決まってるんだ」
「得意そうに見えるけど」
 几帳面だから、同じ幅にきっちり切りそう。
「技術があればな。……うちは、母さんやばーちゃんがみんなやってくれるから。正直、包丁って家庭科実習の時しか持ったことない」
「そうなんだ」
 知らなかった。君の中に、そういう君がいること。
 もっと、知りたいな。
 僕がそう思うのと現実が近づいてくるのは一緒で。
 今はまだ遠くだけど、人影が見え始める。高井くんや森長くんの声が風に乗って届いた。
「うわ、やっぱり大騒ぎしてるっぽいな」
 遠くを見るために目を細めながら水野くんが言う。
 背景には夕陽の赤。
 水野くんに降り注ぐ陽射しは輪郭を黄色にして、ただでさえ眩しい水野くんを、もっと眩しく僕に見せた。
 どうしよう。
 帰りたくない。
 さっと辺りを見渡した。どこか。どこか。そうだ。砂地は歩きにくいから時間が掛かるはず。
「水野くん」
 頑張れ僕のなけなしの勇気、なんて、自分に発破をかけて呼びかける。
「何?」
「下りない? せっかく海に来たんだし、砂の上とか歩きたい、かも……」
 我ながらバカなことを言っているなぁと思う。
 もしこれが功兄やシゲさんだったら、きっと、もっと上手に誘えるだろうに。
 だけど水野くんは、自信のなさと比例してフェードアウトしていった僕の申し出に頷いてくれたのだ。
「そうだな。折角だしな」
 そう言ってつま先の方向を変え、足の裏をきっちり支えるアスファルトの上から、さらさらと沈み込む砂の上へと移動した。
「ほら、早く、風祭」
 どことなく高揚している水野くんの視線の先にあったものにも、気持ちにも、その時舞い上がっていた僕は気付かなかった。
 ただ、夢のようなシチュエーションに緊張する自分を抑えることでいっぱいだった。
 水野くんの隣で歩く。
 水野くんが僕の言葉に応えてくれる。
 それは日常でも確かにある風景だけど。
 非日常なのは、大きな海があること。潮風が吹いていること。いつもより大きくて近い場所に夕陽があること。
 緊張の中に、静かだけど強い情熱が、あること。
 もう少しでみんなが居る場所に着いてしまう、その瞬間。
 水野くんから目を離したその一瞬で、腕を引かれた。強く。
「え」
 転びこむように引き寄せられた目の前には、さびかけた小さな船があった。
「水野くん?」
「まだ時間平気だろ。話、しようぜ、風祭」
 これの影ならあいつらに見えないだろ。ゆっくりできる。
 そう、水野くんは僕を正面から見て、ふわりと微笑んだ。
「……うん!」
 僕は夢中で頭を振る。
 うん。
 うん。
 ゆっくり話がしたかった。誰かがいてもいいけど。みんなと喋るのも楽しいけれど、だけど僕は。
「水野くんと、もっと話をしたいと思ってた」
「俺もだよ」
 その時、船の向こうの浜辺でシゲさんが空に向かって叫んだ。
「あー、もお! 喉渇いたっちゅーねん! あいつら遅過ぎ!」
「花火がなかったんじゃないの?」
「いや、どっかで涼んでやがるんだよ、絶対!」
「だって水野と風祭よ? そんな甲斐性あるわけないわよー」
 杉太の喚きに小島さんはきっぱりと言い切り、その言葉に水野くんは「ひどい言われようだな」と僕を見る。
「うーん、でも水野くんはともかく、確かに僕はそういう融通、利かない方かも」
 荷物を置いて、しゃがんだまま頭を掻いた僕を、水野くんは心底おかしそうに笑った。
「俺にだってそんな融通ないよ」
 ――でもまあ、学校じゃないんだし、たまには柄じゃないこともやってもいいよな。
 その言葉に深く頷いて、僕と水野くんは、船の横腹に背中をつけて海に沈む太陽をずっと見ていた。
 


 今の僕たちの長所や短所。
 練習メニューの見直し。
 武蔵森学園での練習、寮生活のこと。
 都大会本戦のこと。
 都選抜のこと。
 つまりは全部サッカーのことだけど、つい夢中になって話した。
 テンポ良く弾む会話は時間が流れていることを忘れさせる。
 僕らが自分たちの状況に気付いたのは、突然鳴り響いた、パン、という音のせい。
「あ」
「あ」
 暗くなり始めている辺りに、ようやく意識が行った。
「うわ、時間!」
「やべえ! 今、何時だろ」
 慌てて砂を払って立ち上がった僕たちの目の前に鮮やかな色が広がった。
 ひゅるる、という音に続いた、大輪とはいえないけれど、火でできた金色の綺麗な花。
「花火」
「あいつら、待ちきれなかったんだな」
「あははは。結構、時間たっちゃったみたいだもんね」
 船の陰から覗くと、小さな花火もつけているみたいで、ピンクや青や白、緑の火花もちらほら見える。
 と、更に、もう一発。二発。
 ひゅるるる。
 ぱん。
 ひゅるるるる……。
「なんか、夏って感じ」
「うん」
「合宿があって良かった」
「どうして?」
「お前と、こういう時間、持てたから」
「え、それ……は……」
 どういう意味で、と聞いたら、自分で考えろよ、と返ってきた。
 自分で考えろよバカ。
 小さな声で、拗ねたように、だけど、甘えるように、言われた。
 水野くん。
 気持ちが溢れる。
 水野くん。水野くん。水野くん。水野。
「好きだよ」
 お互い、空を見たままで。
 夜空に咲く花を見たままで、そっと再度告げた、言葉。
 ずっと言いたくて、でも言えなかった言葉。
 昨夜ようやく言えた言葉は、今ではこんなに素直に伝えることができる。
 好きだよ。好きだな。本当に好き。
 歌うように連続させると、水野くんは僕を見て、困ったように笑った。
「あんまり言うなよ。幸せで、卒倒しそうだ」
 ああ、どうして。
 どうして今、両手に袋なんか下げているんだろう。
 両手が開いていたなら、その体を抱いてしまいたいのに。
 せめて、近寄りたいと思った。
 少しでも傍に。
 水野くんの、傍に。
 気持ちと勢いに任せた僕の唇に、やわらかい唇が当たる。
 背伸びして、震えながら、やっと届いた僕の思い。
「風祭……」
「へへ。キス、しちゃった」
 照れを隠すように上目遣い――これが結構悔しい視線の位置だ――で水野くんを見ると、夜の中で耳まで真っ赤になっていたりして。
 僕は「かわいいなぁ」という言葉を、やっとの思いで飲み込んだ。


 ――迷ってるんじゃないの。
 ――ふたりともどんくさいからありえるかも。
 ――大変、探さなくちゃ!
 

 僕たちが船影で固まっていると、そんな声が聞こえ始めた。
「カザー! たつぼーん!」
「風祭さーん」
「水野ー!」
 一斉に名前を呼ばれて、思わず同時に返事をした。
「はーい!」
 目を合わせる。
「……行かなくちゃ」
「そうだな」
 水野くんは左手に、僕は右手に、ふたつの袋を持った。
 そうしてその場所から歩き出す。
「悪い、遅くなった」
「ごめんね、みんな」
 遅えよお前ら。
 良かった無事で。
 そんな声がするのを聞きながら集団の黒影の元に向かう僕たちの手は、自然に繋がれていたのである。



 カップルじゃないシゲを書いたことに自分でときめいた覚えがあります(笑)。
 将水もね、かわいくていいですよね。でれでれ。