【走り書きのメモ】<2004.12.11>




「おつかれー」
「腹減ったー!」
 夏よりは短い練習時間が終わると、全員、部室を目指して走る。
 ベンチで着替えるのはすぐ帰ることができて便利だったが、夏の大会後、ようやく貰えた部室の居心地の良さは抜群だ。
「冬だと、より幸せ度が上がるよね」
「あったかいって最高ー」
 風を遮断するかどうかだけで、感じる気温はずいぶん違う。
 沖と水谷がそう話す横で、脱いだユニフォームをリュックに詰めようとした栄口が、小さく「あ」と声を出した。水谷が振り返る。
「なんかした、栄口?」
「うん。忘れるとこだった」
 栄口は、荷物の一番上にあった袋を取り出した。そうして、店名が堂々と書かれた、見るからにCDだとわかるようなそれを、部室の真ん中に置いてある長椅子に座ってミットを拭いていた阿部に手渡す。
「はい、阿部」
「なに?」
「誕生日おめでと」
 少し透けているビニールの袋を上から眺めた阿部が尋ねる。
「――新譜?」
「そう。まだ買ってないよな?」
「おお。サンキュ」
 二人のやりとりが終わるか終わらないかのタイミングで田島が大きな声を出した。
「阿部、今日、誕生日なの?」
 じゃあコレやるよ、とカバンから、ぺちゃんこにつぶれたカレーパンを阿部の前に差し出す。
「それ、田島のだろ。食わねェと家に帰り着くまでに倒れるんじゃねェの?」
「だーいじょぶ! 飛ばせば三十秒コースだ!」
 ぐいと胸を張られて苦笑すると「じゃあ、ありがたく」と阿部が受け取る。それを合図に、周りから口々におめでとうコールが飛んだ。挙句、食いかけのポテチだの、ポッキーの小分け袋だの、飴を二三個だのまでついてきて、よーちえんじかオレは、と阿部が笑う。
 その笑顔を少し離れたところで三橋は見ていた。
 口は一生懸命に動いていた。
 あべくん、おたんじょうびおめでとう。
 だけど音が出ない。ぱくぱく、ぱくぱく。未だに上手く喋ることも、積極的に会話に入っていくこともできない自分が情けなくて仕方がない。
 もう少し待とう。阿部はまだ着替えていないから、阿部が着替えて帰る頃になったら、もういっかい挑戦してみよう。そう思いなおして、三橋はベルトに手をかけた。
 騒いでいるとドアをノックする音が鳴り、ほぼ全員で「はーい」と返事をする。ドアの向こうにいたのは百枝で、役職がついている三人の名前を呼んだ。
「言い忘れがあったんだ。少しだけいーい?」
「はい」
 花井と栄口は学生服、阿部はユニフォームのままで廊下に出る。着替えが終わった田島と泉と巣山と西広も一緒に出ていき「おつかれっした」と元気な挨拶をしてから帰っていった。
 三橋がシャツの裾をズボンに入れ、学ランを羽織ると、それを待っていたように、水谷と沖が「帰る?」と声をかける。
「あ、え、っと、阿部君、待つ、から」
「そっか」
「んじゃ、お先。明日なー」
「う、うんっ。また、明日っ」
 他愛も無い挨拶。だけど、三橋にとっては、ずっと憧れていた挨拶、だ。
 西浦メンバーの全員が、三橋の感じる「いい人ゲージ」のパロメーターをどんどんどんどん上げていく。
 みんないい人だ、と、顔を火照らせながら、三橋は自分のカバンを脇に抱えて椅子に座った。
 誰もいなくなった部室の中でゆっくり息を吸う。吐く。心を落ち着ける。そして予行練習。
 ――たんじょーび、おめでとう。
 おめでとうおめでとう、おめでとう、あべくん。
 それだけ。一気に言える長さだ、大丈夫。
 だいじょうぶだいじょうぶと繰り返し言い聞かせていると、さっきまで阿部が座っていた場所の床に阿部のスポーツバッグがあるのをみつける。
「……」
 だいじょうぶ。
 言える。
 だって、たったの10文字ほどだ。
 だけど。
 三橋は、ちらりちらりと阿部のカバンを見ていたが、やがてこっそり、自分のカバンのチャックも開けた。



 阿部の隣で自転車を漕いでいる栄口が、笑いたいような笑いたくないような、複雑な顔をしている。
「……なんかした?」
 気持ち悪ィと思いながらも阿部が聞いてみると、これだもんなァと、大げさにため息をつかれた。わけがわからなくてカチンとくる。
「なんだよ」
「三橋!」
「は?」
「あれ絶対、阿部にオメデトウが言いたくて残ってたんだぞ」
「……は?」
「やっぱわかってなかったのか。もー。オレと花井がお前ら二人っきりにさせようと思ってんのに、阿部はオレたちに話し掛けるし、三橋を脅すし」
「脅すって何だよ!」
「こーわい顔で睨まれながらの『投げんなよ』は、脅し以外の何者でもないって」
「それは、あいつが練習しすぎるから、って、ンなことじゃなくて、ンなワケねェだろ」
「何が?」
「たんじょーびがどうとか」
「なんで?」
「言いたきゃ言えるだろ、フツー」
 ぶっきらぼうに言い放った阿部に、栄口はさっきよりもわざとらしく「はあああああ」と肩を落としてみせた。
「フツー、ならな。けど、三橋だぜ?」
「三橋だからって」
「ケロッと言えると思う?」
「……」
「ほーら」
 黙ってしまった阿部に、栄口は勝ち誇ったような声を出す。
 それが当たっているかどうかはともかくとして、結局はイマサラ、である。
「ま、どーにもできないけどねー」
「……だな」
という結論しか出ないのだ。
 分かれ道で「じゃあな」とそれぞれの方向に進む。
 12月にしてはまだ暖かい空気を顔に感じながら、阿部はご馳走とケーキの待つ家へと急いだ。



 ドアを開けて「ただいま」と言った瞬間にクラッカーがパンパンパンと鳴り、おめでたそうな紙テープが阿部の頭に降り注ぐ。
「おかえりなさい、おめでとうー!」
「おめでとう、隆也!」
 めでたいのはこの家族の頭だと思いつつも、阿部は「おお」と答えた。
 いつもは帰宅の遅い父親まで、わざわざ仕事を早く切り上げて帰ってくる。
 子供たちの誕生日には恒例のことだが、それにしても高校生になった今年もやられるとは思わなかった。
 一応、クラッカーは手に持ちながらも生温く自分を眺めている弟とすれ違い様に、「お前も同じ運命だ」と言ってやると、「だよなァ」と困ったような顔をしたので、思わず笑った。
「手を洗って、うがいして、そしたら乾杯しよう!」
 母親の張り切る声に返事をして洗面所に移動する。
 肩にかけたスポーツバッグからユニフォームやアンダーシャツを取り出して洗濯機に放り込む。と、目に入った、バッグの外側のポケットからはみ出たもの。
「オレ、こんなの入れたっけ?」
 疑問に思いながらそれを取り出す。乱暴に破ったノートが1枚。やはり覚えはない。
 四つに折りたたんであるそれを開いた阿部は、あのヤロウ、と呟いた。
 なんだよ。
 なんだよ、これは。
 ノートの中央には、汚い字で、性格をそのまま表わしたような小さな文字で、ひとことだけが書かれていたのだ。

 『阿部君へ。たんじょうび、おめでとう』

 宛名は書いてあっても、差出人の名前がない手紙。
 阿部はもう一度「あの野郎」と呟いた。
「直接、口で言いやがれ」
 思わず紙を握りつぶす。
 明日、言わなければならない。
 阿部が三橋に伝える言葉が、文句という名のお礼なのか、お礼という名の文句になるのかは、わからないけれど。





 
     *** *** *** 




 来ているだろうなと思いながらも、郵便受けを覗く。
 ダイレクトメールが1通、2通、3通。それに紛れるようにして、ポストカードが1枚。
 見知った文字で書かれた自分の名前を見て、阿部は「くそ」と小さく口にした。
 犬の写真とHAPPY BIRTHDAYという文字が印刷されたポストカードの表には、汚い字が書いてある。宛名のほかに、一言だけ。

 『阿部君へ。たんじょうび、おめでとう』

「なんで成長しねェんだ、あいつは」
 文面も、漢字の量も、6年前とちっとも変わっていやしない。
 ここまで変化がないというのも、いっそ神業だとは思うが、思ってばかりもいられない。
 阿部は乱暴にマンションの扉を開け、部屋に入ると、ダイレクトメールはゴミ箱に、ポストカードは机の引出しにと放り込んだ。引き出しの中には5枚のポストカードと、そして皺を伸ばされたノートが1枚、入っている。
 阿部はコートのポケットの中から携帯を取り出した。
 この時間なら帰っているはず。
 短縮1番に電話をかける。
 2コールで阿部からの電話に出た相手は「もしもし」よりも先に言い放った。
『あ、あ、ああ、あべ君っ、誕生日、おめでとう……!』


 6年越しの言葉に感動してしまったなんて、そんなの、本人には、一生、言えない。
 



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 寒い時期ですしね。サムいくらいの甘さが欲しいですよね(…)。
 阿部誕記念。
 お誕生日おめでとう、タカヤvv
 阿部さんちの捏造とかしてしまいましたので、阿部家が出てきて、ご家族の性格がわかったら
 こっそりこっそり書き直しまーす。そんなんばっかりだ(笑)。
 栄口くんと阿部が話すとき、なんとなく他のひとたち相手の時よりも、ぶっきらぼうな言葉遣いが
 ものすごくものすごく大好きです。仲の深さを感じるというか。友情ってたまらない。
 三橋が阿部にドキドキしているのはホントですが、三橋の素攻撃に阿部はもっともっと
 やられていると思います。そんなふたりがとても好き。



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