<<あなたの名前〜優作&有希子編〜>>





「有希子」
 声を掛けられて、窓の外を眺めながら自分の世界に入っていた有希子は、声の主の元へと戻ってくる。
「疲れた?」
 肩に置かれた手のひらから感じる相手の体温に、数日――正確には数ヶ月だが――の変化のあった生活の疲れなど吹き飛んでしまう。
 若すぎる決断だと周り中から反対されてきたが、今の幸福感はかけがえのないもので。





 若手有望推理作家、という肩書きを持ち、マスメディアに進出してきたのは、文才もさることながら、なによりもその小説家のルックスにあった。
 流行に敏感な女子高校生から始まった騒ぎは瞬く間に日本中に浸透し、その頃爆発的な人気を誇っていた有希子と『今注目のいい男・いい女』とかいう企画で対談することになったのは、神様のイタズラとしか言いようがない。
 ひとめぼれ、だったワケでは、ない。
 確かに格好良かった。騒がれるのもわかると思った。
 正直に言ってしまえば、好みの部類に入る。
 でも。
 そのカッコイイ男は、口を開いたら最悪だった。
「あ……、いつもテレビ見ていて思うんですけどね。あなた、下手ですよね、演技」
 じょゆう、に向かって言ったのだ。
 しかも、天才、と評されている自分に。



「そんなこと言わないでよ〜、有希ちゃん」
「ヤ、です」
「今までどんな仕事もわがまま言わなかったじゃない」
「これからだって言いません。だーかーらー、これだけ! これだけはどーしても聞いて貰いたいの。あの人が出るものは、テレビも雑誌もCMも、とにかく、全部、嫌。ぜーんぶ断ってください!」
 だって評判良かったんだよ、この間の対談。
 そう呟くマネージャーを、有希子はグッと睨みつける。
「絶対、嫌」
 マネージャーはしばらく困った顔をしてその場に居たが、決心が変わりそうにない有希子を見て、観念したように肩を落とすと「社長に話してくるね」とドアを開けて部屋から出て行った。
 その落ち込んだ背中には悪いと思いつつも、有希子は意見が通ったことにかなり安心して表情を和らげる。
 大変だったのよ。
 心の中で言い訳をしてみる。
 あんなこと言われて、怒りまくって、プライドはガタガタになって。
 そんな自分を隠しながら、自分を傷つけた相手と話をするのは大変だったのだ。
 でも一応、プロだし。仕事を引き受けた以上、生半可なものにしたくはない。
 ずっとやりたかった、憧れの職業だし。
 だから必死に笑った。
 頑張って、喋り続けた。
 役者だったら誰でも言われた経験のある、そんな言葉のはずなのに。
 妙に悲しくて悔しくて、家に帰ってひとりで泣いた。
「もう二度と会わない」
 そう決心した――のに。



 ガンガン、足を踏み鳴らしながら有希子は歩く。
 結構早いペースで。
 ついてくる、失礼な男を振り切るために。
「日本の誇る女優がそんな歩き方しちゃ、いけないな」
「どーせ、三流ですから、ワタシ」
「まぁ、ある意味ね」
 張り倒したくなる右手を抑えるのに苦労する。何しろこいつは、自分に仕事をくれた、大恩ある、げんさくしゃさま、なのだから。
「じゃあ、どうしてその三流女優を、わざわざ映画の主演に指名したりしたんですかね?」
 厭味をこめて言い放った有希子に、男は平然と返す。
「面白そうだったから」
「おっ……」
「そうそう、そういう顔! もっとね、崩してみたいんだよ、藤峰有希子を……」
 工藤優作とかいう男は、最後まで言葉を続けることができなかった。
 有希子の平手が左頬に飛んだせいで。
「そんなに! 年下の女からかって楽しいですか、将来有望な工藤先生!」
「……楽しいね」
 張られた頬を手の甲で抑えながら優作は笑った。
 その答えにカッとして、有希子はもう一度右手を振り上げる。
 が、今度はかわされた。
「くらってもいいんだけどね」
 でも結構痛かったから、なんて余裕たっぷりに返す。そして戦闘態勢に入っている有希子の手首を掴み、自分の口元に引き寄せた。
「……なっ……!」
「ようやく、反応してくれたね」
 触れられた指先に、優作の唇が触れる。その感触に、体が熱くなるのがわかる。
 ずっと見ていた、と目の前の男は言った。
 毒気を抜かれ、同時に全身の力も抜け、有希子はその場にしゃがみこむ。
「藤峰さん?」
 大粒の涙が頬を伝った。
 ひとつぶ、ふたつぶ。涙は頬から顎に伝って、床に零れ落ちる。
「……有希子?」
 優しく名前を呼ばれて、その声に降参した。
「私、馬鹿みたい。あなたの言葉が気になって、夜も眠れなくて。そんな自分が怖くて、会わないように仕事まで蹴って。それなのに、こんなに、好きになってるなんて」
 いつの間にか、優作の胸に抱かれていて、有希子はそっと相手の背中に指を伸ばす。
「負け、だわ。完全に、はまっちゃったわね」
 そう言って顔を上げ、綺麗に微笑んだ。
「この表情よね? 私に欠けていたもの」
 滴が光る瞳で自分を見上げる腕の中の少女の瞼に、優作は愛しげに口づける。
「引き出したかったんだ。誰よりも先に、オレが。恋するまなざしをね」
「キザ……」



 そして公開された映画はロングランとなり、工藤優作の名を日本ばかりか世界中に轟かせることになる。そして有希子も、その年の賞という賞を取り、ますます女優として期待が募ったのだけれども。それは引退という、多少スキャンダラスなニュースと共に、人々の心に永遠の姿を焼き付けた。
「待ってよ〜」
「うちの事務所は有希ちゃんで持ってるんだよ。やめられたら困るよ」
 社長とマネージャーが情けない顔で有希子を追ってきたりしたけれど。
「私は、この人についていくって決めたんです」
「オレも、よーやく手に入れたこのコを手放すほど、間抜けじゃありませんから」
 断固とした二人に追い返されたのだ。
「それに」
 くすくす笑いながら、有希子はちょっとした意地悪を言ってみる。
「私は言いましたよ。優作と一緒の仕事は引き受けないで、って。だけど持ってきて、歯止めを効かなくさせたのは社長だからね」





「見てきた?」
 尋ねられた優作は、一呼吸置いてから答える。
「あれが人間になるかと思うと神秘だね」
「ひっどーい。生んだ本人、目の前にして!」
「ごめんごめん。……有希子」
「ん?」
「ありがと、な」
 両親を早くに亡くし、兄弟もいない優作が、どんなに家族に憧れていたか。想像することしかできないけれど、それを、自分と作っていけることが、有希子には凄く嬉しかった。
「名前、どうする?」
 生まれる前からいろいろな候補を挙げてはいたが、実際生まれた子供にはどれも似合わないような気がして、有希子は傍に座る夫に全権を委ねようと、問いかける。
 しばらく考えて、そして優作は呟いた。
「しんいち……」
「しんいち?」
「先入観なく新しいものを受け入れ、求められるように。何度失敗しても挫けず、一から始めれるように。『あたらしい』に漢数字の『いち』は、どうかな?」
「新一……。新ちゃん、ね。前向きで、でも突っ走り過ぎない優しい子になって欲しいわね」



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またもや懲りずに再録です。ごめんなさいー。なんか発掘してたら懐かしくて。
新平話『セミスウィートの魔法』に同時収録したものです。
いや違う。あなたの名前(5部作)に、セミスウィートも収録だったんだ。
新平なんだけどオールキャラという何とも奇妙な本でした。
このパパママ編、蘭&園編、哀編(新平・セミスウィート)和葉編、コナン編で1冊。
哀編はすごく短いので、再録は省きます。
新ちゃんの誕生日を祝してがコンセプトだったので、新ちゃんに愛情たっぷりな話と
そして、私が「名前」に拘りたい人間ゆえに、の名前ネタを集めました。
おばかさんでもお間抜けさんでもお調子者でも、やっぱり私は新ちゃんが好きです。