<6月の雨>…2005.6月(レモン企画献上SSより再録)



 一昨日から続く雨は、止みそうな気配をひとつも見せずに、広い空いっぱいに灰色
の雲を広げてその中からどんどんと雨粒を落としている。
 工藤新一は、それほど雨が嫌いなわけではないが、ここまで晴れる形跡がないと、
さすがに気が滅入ってくる。
 なにしろ新一の日々の食事はコンビニや弁当屋が有力で、次いで外食となるため、
腹が減ったと思った時、その身ひとつで気分よく外出できないのは辛いのだ。
「濡れるのが嫌ってより、多分、傘を持ちたくねーんだよな」
 なんとなく、そんなことを呟く。
 そして昇降口を出て、紺地の傘を開いた。
 傘に落ちてくるひっきりなしの雨の音が、急かされているようであまり好きではない。
 水を乗せる分だけ重くなることも嫌いな気がする。
 中途半端な距離から垂れてくる雨だれもうっとおしい。
 そんなことを思いながら新一が校門に近づいた時、突然、目の前を覆ったレモンイ
エローに足が止まった。
 雨の中。
 すべてがぼんやりしたグレーに染まる世界の中に、少し発光しているような艶やか
な黄色。
 目を奪われる。
 心が騒ぐ。
 そして、騒いだ心は、その傘の持ち主が振り返り、新一をまっすぐみつめたことで
もっと激しくなった。
「よぉ」
「は」
 新一はその少年に見覚えがなかった。いや、正確にはある。だけど、ない。
「なにアホヅラ晒してんねん。はよ来いや」
 イントネーション、は聞き覚えがある。
 乱暴なその物言いにも。
 だが。
「あの、どちらさまですか?」
 一応、確認のために聞いてみる。すると少年はムッとして、怒ったように言った。
「わからんのかい」
 半分以上は怒っていたはずだ。でも残りの感情の中に喜怒哀楽のうちの『哀』の部
分を感じ取って、新一は内心あせりながら続ける。話す口調もいつもに戻して。
「確認しただけだって。怒んなよ」
「うっさい」
 足元の水溜りを気にせずにばちゃばちゃと歩くのは、きっと新一に対するあてつけ
だ。怒りを素直に表現している。その姿に「ガキか」と小さく呟いて「いや、ガキな
のか」と思い直した。
 相手は、関西在住の友人――という間柄だけではないが――服部平次で、新一も平
次も現在17歳なのだから自分たちを表現するのに『ガキ』という言葉を用いるのは不
正解ではない。だが、目の前の平次はどう見ても17歳の姿には見えなかった。更に
『ガキ』なのだ。
 新一の肩くらいまでの身長。
 細い体。
 高い声に大きな目。
 そんな姿でいきなり登場されて「ああ、服部か」と、誰が納得するというのか。よ
く考えたら相手の態度はとても理不尽で、新一は前を歩くレモン色の傘の上に自分の
傘を傾け、大量の雨をざざーっとかけてやった。もちろん服部は怒って振り向く。記
憶しているよりも遥かに大きな目で新一を無言で睨みつける。こんな時なのに、うっ
かり見惚れそうになって、新一は慌てて顔を引き締めた。わざと機嫌の悪そうな声を
出す。
「普通、見ただけじゃわかんねーだろーが」
 知人の姿が縮み、年齢が若返った現実になんて。
「普通はわからんでも、お前ならわかるやんか」
 ついこないだまでそんな姿でうろついとったくせに、と、推定年齢10歳くらいの平
次がきつく返してきた。
 ――ええ、ええ。うろついていましたとも。それじゃあなにか。
「変な組織と遭遇したのかよ」
「いや」
「風邪引いてパイカル飲んだとか」
「んなアホなことするか」
「おっまえ! 初対面で小学生のガキの口にあんなの突っ込んどいてそーゆーこと言
うか!?」
 ぶ、と平次が噴き出す。
「なんかエロいことしたみたいやん、オレ」
「最近はオレのが、突っ込む方専門ですけどー」
「……そーゆーん、セクハラて言うんやで、工藤」
「愛情愛情」
「いらんわ、そんなデリカシーのカケラもないもん」
「ひっで。オレはこんなにお前にアイを捧げてんのに」
「棒読みでなにを抜かしとるか」
 交わす会話に「アホやなあ」と呆れる平次の目は、怒の色も哀の色も含んでいな
かった。
 ――服部の機嫌取るなんて簡単。
 そう心の中で舌を出して、新一は平次の隣を歩きながら、もう1度問い掛ける。
「で? なんでそんな格好になったんだよ?」
「わからへん。家ん縁側でぼーっとしとったら、いきなり目が回って、気ぃついたら
こーなっててん」
「思い当たる原因は?」
 平次が首を横に振る。
「家に居るわけにいかんやん。とりあえず、工藤んとこに行ってくるて書き置き残し
て、有り金全部持って出てきた」
「まあ、それがいいだろな」
「ちゅーわけでよろしく」
「へーい」
 かといって、アヤシゲな組織に命を狙われたわけでもないなら解決案などわからない。
 同じ症状かどうかは知らないが、家に帰ったら阿笠邸に居候中の、新一をコナンにし、
コナンから新一に戻した宮野志保に、薬をもらって飲ませよう。効かなかったら誘拐
犯になることを覚悟しなきゃなあとつぶやくと、エロいことすんなやお兄ちゃん、と
楽しそうに笑われた。その笑顔に不覚にも心臓は跳ねてしまい、そして思った。
 保証はできねーな。
 そして。
「新一にーちゃんてばショタコンやったん?」
 深く舌を絡め取られ、唇をあやしく光らせた平次が新一のベッドの上で囁いた。
 薄い胸の中央の突起をふたつとも摘みあげ、しなる背中や喉を目で楽しみながら、
新一は「新しい趣味みたいだな」と他人事のように返す。
「変態やん」
「なんでもいいよ」
 お前に欲情してんのはホントだし。
 耳朶を唇で挟み、軟骨を食んで、耳の中にねっとりとした舌を送り込んで舐めあげ
ながら言葉を吹き込む。
 弱々しい「アホ」に、承諾を得たことを悟って、新一は次の行為に進んだ。



 ――ああ、そうや。
 店屋もののカツ丼とセットのうどんをぺろりとたいらげ、風呂にも入り、あとは寝
るだけの状態の時に平次が言ったのだ。
「ああ、そうや。あん時、工藤んこと考えてたんかも」
 今頃なにしとんのかなぁとか、会いたいなぁとか。
「そんで雨の音聞いてたら、この雨は何時間後にお前の上に降るんかなーって、ちょ
お乙女チックなこと考えてて。そーいや、もう2ヵ月も会うてないなとか、4ヶ月くら
いえっちしとらんなとか、そんなことずーっと考えてて」
「ずーっと考えんなよ」
「しゃーないやん。オレ、お前が好きなんやもん」
 ――会いたかったから、無理にけったいな体に変化させたんかもな。
「……ッ」
「どないしてん」
 がくりと下を向いたまま、平次の肩口に頭のてっぺんを擦りつけた新一が「致命
傷」と言う。
 致命傷だ。どうしてこいつはこんなにさらりと自分を底なし沼――恋の、とつけて
自分でも寒くなった――に突き落とし、ひきずりこんでしまうのだろう。しかも計算
していないからタチが悪い。
「襲うからな」
 いきなりガバリと行くのもどうかと思ったので、おことわりをいれてみる。
 こんなカッコでええんかい、と平次がニヤニヤと笑う。
 中身はお前じゃねーか、関係ねえよ。
 新一は平次の顎を掴んで上を向かせ、唇を重ねた。
 心が騒ぐ。
 ざわざわざわざわ。
 こんなに薄くてやわい唇を知らない。
 吸われて求められて、その苦しさに弱々しく腕を掴んでくるその力を知らない。
 なのに同じなのだ。
 眉間に寄る皺の数も、熱い息の吐き方も、声の高さは違えど興奮を隠せなくて漏ら
す喘ぎの出し方も。
 平次なのに平次じゃなくて、だけどやっぱりこれは平次で、出会えなかった時間を
取り戻せているような気分になる。
「うあっ」
 両足を肩に担ぎあげるようにして、潜り込めるいちばん奥深いところまで自分を進
める。
 経験のない体に戻った平次のそこは入るまでは強烈にきつかったが、ややして解け
てくる。素直な体は新一を受け入れるために、貪欲に蠢き始める。
「う、っわ。すげ……いい」
 まとわってくる平次の内壁がぴったりと内部を満たす新一に絡みつく。
 ぎゅうぎゅうと締め付けてくる入り口が、その収縮のたびに新一を刺激する。
「ああ……っ」
 細い腰を掴み固定すると、新一は自分の恥骨を平次の臀部にあてるようにぐいぐい
と押し付けた。
「や」
 中である程度動けるようになるまで、じっくりと責めていると、シーツを掴みなが
ら平次が叫んだ。首を左右に激しく振っている。その言葉にも動作にも新一は煽られる。
 ――や。もう嫌や。我慢できん。動いて。動かして。もっ……。
「んんッ!」
 平次が最後までいい終わらないうちに、刺した自身をずるりと入り口まで引いて、
力づくで元の場所まで戻った。それを繰り返す。何度も何度も。
「あ、ああ、あ、ふっ」
 小さい体。なのに怒張する新一を飲み込んで、なおかつ気持ち良さを与える体。
 いつもより小さな平次は、過去を埋めれるようで嬉しかった。
「こんくらいのお前にも会いたかったかな」
 ひとりごとのように呟くと、新一の額に指を伸ばし、そこに光る汗を指で拭った平
次が「かなとはなんや、中途半端やな」と唇を尖らせる。
 突き出た唇にやさしくキスを仕掛けながら、新一はおとなしくスミマセンと頭を下
げた。訂正する。
「会いたかった。5歳のお前にも10歳のお前にも15歳のお前にも」
 ただやっぱり。
「今のお前がいちばん好きだ」
 会ってみたいと、ただそれだけの理由でいきなりやってくる迷惑者にいつの間にか
惹かれてから、えらく人生が変わった気がする。
「ホモになったりショタコンになったり?」
「そーだよ。お前のせいじゃん」
 人が悪い笑顔を浮かべる平次の中を激しく掻きまわすことで黙らせた。
「んあっ」
「しっかり掴まっとけ」
 首にしがみつかせてその体を抱き上げる。上に乗らせる格好になって下から大きく
突き上げる。角度を変えて内部を攻め立てる新一に、平次はきつく抱きついたままで、
自分と新一の間で摩擦される自身から欲望を吐き出した。それより少し遅れて、新一も
白濁のそれを平次の中にすべて注ぎ込む。じんわりと広がるなんともいえない快感を
逃したくなくて、新一は酸素をとりこむことすら、少しの間、止めてみた。



 昨夜閉め忘れたカーテンは太陽を遮ることはなく、光が顔を直撃する熱さで目が覚
める。晴天すぎるほどの空だ。
「雨が関係するんかな」
「カビが原因とか」
「そんなん空気中にあったとしてオレだけが吸うもんやないやんか」
「そこは体質じゃねーの」
「どんな体質や」
 結局、朝起きると、新一の傍らで眠る平次の等身は見慣れたそれに戻っていた。
よくわからないが、志保をしたって原因はわからなかったのだ。すぐに元に戻っただ
けで良しとする。
 インスタントコーヒーとトーストで簡単な朝食を終わらせ、立ちあがる。
「じゃ帰るわ」
「ん」 
「次は勝負の場でな」
「そう都合よく事件なんか起きねーし、勝負もできねえって」
「わからんやん。オレと、なにより工藤のことやもん」
 そんなわけのわからない自信を振りまくと、平次は新一の胸倉を掴んで色気を
5パーセントも含まないケンカみたいなキスをした。
 玄関に立てかけていた傘はまだ少し湿っていたらしく、平次はそれを手に取ると、
玄関前で上から下へ大きく腕を振る。
「うわ、つめて!」
 勢いよく飛んできた水滴が新一の顔を直撃する。
「くそ、目に入ったぞ!」
「すまんすまん」
 平次は新一を振り返ってシシシと笑い、ボン、と傘を広げた。
 鮮やかな黄色。
 平次の明るさを表すような。
 振ることで取れる水滴を全部吹き飛ばしてから、平次は傘を畳んだ。
 くるくると回してボタンを留め、片手をあげる。
「また電話するー」
「ああ」
 まっすぐ帰れよと言うと、善処する、なんていいかげんな言葉を言われ、遠くなる
背中が見えなくなってから、新一も空を見上げた。そして頷く。
「確かに。こんな天気いい日にはどっか行きたくなるよな」
 元気になる。

 水色の空に。

 白い雲に。

 水をたっぷり含んだ木々の緑に。

 そこかしこで反射する光のレインボー。
 そして目を閉じれば。

 瞼に残る、じめじめを吹き飛ばしにやってきた、夏の子供のきれいなレモンイエロー。




<ブラウザの戻るでお戻りください>