【ほっぺたに】…2005.2.5




 古典教えてとやってきた水谷に、ちょうど良かったオレも数学わかんないとこあってと答えた栄口は、誰もいなくなった放課後の1組で向かい合って、それぞれ違うプリントを前にしている。
「おお! こないだより10点もアップしてんじゃない。頑張ってんね、水谷」
「センセの教え方がいーからだよー」
 にっこり笑った水谷は栄口の答案を見て、「もったいない」と言い、シャープペンを取り出した。芯を出して答案を指す。
「栄口、ここで記入ミスしてる」
「え」
「ここ」
 水谷が気付いたそこは確かに、直前まで6と書いてあった数字が、どういうわけか4に摩り替わっていた。
「どっから出てきたんだろ、これ」
「単なる書き間違いっしょ。栄口ってば案外……」
 言葉を止めた水谷の肘を自分の肘で突く。
「案外、なんだよ」
「や……」
「予想できる言葉を途中で止められる方が気になりますー」
 うりゃ、と軽くヘッドロックを仕掛けるとすぐにギブギブと降参宣言が出され、水谷は一瞬決められた首をコキコキ鳴らして解しながら言う。促された続きの言葉を。
「もー。栄口って案外ドジで乱暴者」
「今頃気付いたの?」
「ぜんぜん知りませんでした」
「新鮮でいいだろ」
「ごもっともー」
 入学してからもうすぐ1年が経つ。ということは、会ってからももう少しで1年ということだ。
 違うクラスの連中の中でも1位2位を争うほどに親密になった相手だった。
 趣味が合って、話が合って、雰囲気が好きで、とにかく一緒にいることが楽しかった。。
 水谷なんて、あまりにしょっちゅう話題に出すせいで「いい友達ができてよかったね」なんて母親に言われてしまったほどだ。
 いいともだち。
 自分がその感情だけを持っているわけではないことを、水谷は最近、自覚した。
 もっと野性的なというか、ケダモノ的なというか、単純、深い意味で栄口が好きなのだ。
 だからといってどうにかできるものでもない。そんなこと、わかっている。
 その気持ちには蓋をして、普通を保とうと思った。
 「いい友達」でいようと思った。
 なのにその話題を振ってしまったのは、時期柄、仕方がないと思いたい。多分、魔が差したのだ。夕陽が射し込む教室で、それの色に染まった薄い黄色のカーテンがやわらかくて、なにか和む空気に誘われたせいで。
「もー少しでさ、バレンタインだな」
「あ、そんな時期だっけ?」
「ん。……栄口くんはぁ、ぶっちゃけ何個くらい貰えると思うよ?」
「はぁ? 貰えないでしょ、オレは」
「またまたー」
「なんで貰えると思うんだよ」
「だって聞かれたもん」
「は?」
 同じクラスの女子に。
 ――ねえ水谷君て1組の栄口君と仲いいよね、栄口君はチョコとか嫌いかなぁ、あげたら受け取ってくれると思う?
「しかも3人に。てことは3個は確実でしょ。いいなー」
 プリントを上半身で覆って嘆くと、栄口は困ったように笑う。
「水谷だって貰うだろ」
「はあ!? なんで!?」
 ガバリと起き上がって栄口に迫ると、栄口は目の前にきた水谷の頭をぽんぽんと叩いた。
「モテるって噂を、結構きくよ?」
「嘘!」
「嘘って言われても……」
「だって聞いたことねェよー!」
「……噂ってあんまり本人には届かないもんなんじゃない?」
「ぜーったい嘘、そんなん」
 そう嘆いた時、ひとつ、案が浮かんだ。これは使えるかもしれない。もういっかい言う。
「やだなぁ」
「なにが」
 想像した通りに栄口が促してくれる。よし。ちょっとやってみよう。
「噂の先走りってヤじゃん。そんで1個もなかったら、超格好悪いって感じ」
「気にしなきゃいーじゃんか」
「気になるもんじゃん。そうだ! 栄口がオレにちょーだいよ」
「はあ!!?」
 いささか強引だっただろうか。水谷の突然の提案に栄口が目を丸くした。そりゃ驚くよな。うん、驚く。だけど今更引けやしない。
 なんでもないことのように水谷は付け足した。
「だってそーすりゃ1個は確実っしょ」
「確実かもしんないけど、そんなズル……」
「ズルでもなんでも、証拠が欲しいもんなの! オレも栄口にやるから!」
「ちょっと待てよ、水谷。なんか変な話になってるよ?」
 栄口は「水谷って変な奴」と噴き出して、オレからのチョコなんか気持ち悪いだけじゃんと言った。
 その言葉に即座に反発する。
「んなことないって! 絶対うれしい、貰えたら!! ――あ」
 勢い込みすぎた。
 どう考えてもおかしい。ていうか不自然だ。
 やばいと思った瞬間、自分が立ち上がっていることも、握りこぶしを作っていることも、言葉に力が入っていることも、あらゆることが恥ずかしくなってくる。ヤバイ、ヤバイ、どうしよう。
 顔が赤く染まるのが自分でもわかった。
 更にこんな反応、おかしすぎる。でも止まらない。どうしよう。
 やべーよやべーよとぐるぐるしていると、水谷の言動に呆気に取られていた栄口にもなぜか赤が移っていた。
「えーと」
 栄口は水谷の固く結んだ拳の上を掴んで椅子に座らせる。そうして手首を握ったまま額を近づけてきた。コツンとぶつかる。水谷の額と栄口の額が。
 顔の近さに、よりいっそう「うわあああ」とパニックになっていると、栄口が小さく言う。
「あのさ」
「はははは、はい……ッ」
「水谷は、特別な気持ち付きでオレにチョコをくれんの?」
 心臓が跳ね上がった。口から出るかと思った。
 バレてるっぽい。いや、バレた。もう完璧お終い、オレ?
 頭のぐるぐるは最高潮だ。どうすればいいのかわからない。
 そうしていると手首を更に強く、ぎゅっと握られた。
「水谷」
 大好きな声が回答を急かす。
 仕方が無く、水谷は頷く。ここまで来たら誤魔化せないだろう。正直に首を縦に振る。
 栄口がスキです。
 情けないと目をぎゅっと瞑って下を向いていると、口に空気を感じた。なにこれ。疑問を感じた時にはやわらかい感触。
 ――え。
 瞼を開ける。栄口の閉じた瞼が見えた。
 ――えええええええ!?
 掴まれていた手首からするりと栄口の手が下りて、そして水谷の指を捉える。指と指の間に栄口の指が入り込んで、がっちりと握られる。
 離れた唇が水谷を呼んだ。
「水谷」
「さ、かえ、ぐち……?」
「チョコは無いけど、告白してもいいかな?」
「は……」
「オレ、そーゆーイミで、水谷のこと、好きだよ」
「ええ?」
「オレだけかと思ってたから良かった。――って、思っていんだよな?」
 真っ直ぐに水谷をみつめる栄口の目は真剣そのもので、だけどほんの少しだけ、ひとみの奥で不安そうな光が揺らめいていて。
 同じ気持ちだったんだ、と、なにか安心する。
 だから絡ませた手を握り返して真剣に返した。
「いい、です。ていうか、お願いします……!」
 しばらくみつめあって、そして同時に噴き出した。
 ――ぷっ。
 ――ぷは。
 教室どころか、多分、廊下の端にまで響きそうなほど大きな声で二人で笑い合う。
「もー。最初っから言ってよ」
「無駄に緊張したじゃんかあ」
 そんな、オタガイサマなこと。
 安心感からか緊張感からか、とにかく涙が出るほど笑ったあとで栄口がこっそり問い掛ける。
「もっかい、いい?」
「え、なにを」
「キス」
「――!」
 びくりと握った手が動いた。
 えっと、ええと、えーと、キス。
 さっきだってしたし、栄口だし、問題ないよな、うん、大丈夫。
 いいよと言った声は上擦っていて、栄口はくすりと笑った。片手を外して水谷の顎に指をかける。そして。
「……ほっぺ……」
に、押し付けられた唇に、水谷から力が抜ける。
「水谷のエッチ。学校ではやんないよ」
 栄口はとびきりイイ顔で笑って、舌を出した。
 水谷は完全に期待していた自分に恥ずかしくなる。
「さ、さっきしたくせに!」
「あれは勢いだよ。ちゃんとしたのはちゃんとしたとこで」
「ちゃ、ちゃんと……って」
「オレの部屋とか水谷の部屋とか?」
 さらりと言って、栄口は机の上のプリントや筆箱を仕舞い始めた。
「帰ろう、水谷」


 どこに帰ったのかは二人だけの秘密の話。



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……お題が『友情以上恋人未満』だった気がするのは見なかったことに。
いや、ギリギリOKですかね。微妙(笑)。



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