【雨の匂い、君の香り。】…2003.07.06発行5人合同誌『H』より再録。



 六月。思い浮かぶのは。
 雨。
 湿気。
 紫陽花。
 そして、時々妙にハイになる誰かの姿。



 もういくらでも動いていいぞと担当医に太鼓判を出された日、ようやく包帯の取れた右肩をぶんぶん振り回して佐藤成樹が歩いていた時である。
「あ、シゲさん」
 後ろからのクラスメイトの声に「ははははは」と珍しい笑い声が交ざっていると判別した瞬間、逃げれば良かったのだ。
 肩越しに、にゅっと二本の手が伸び、「ヤバイ」と感じた時には成樹の首に手が縋りついていて、背中がぐっしょりと濡れていた。しかも、多分泥付きだ。
 成樹が背中に張り付く人物にゆっくりと視線を向けると、整った顔立ちのその人――桜上水中サッカー部キャプテン殿だ――は、普段あまり変えない表情を最大に崩して笑っている。
 成樹はため息をつきながら「にせんきゅーひゃくえん」と言った。
「なんだよ、それ」
「今お前が汚したシャツの値段。昨日買うたばっかりやったんやで」
「そんな細かいこと気にすんなって。サッカー部のくせに汚れてないシゲが悪い」
「お前が診てもろて来い、言うたんやろ!」
 今日はとても蒸し暑かった。まだ六月中旬だというのに教室の温度計は二十八度を差し示す。そして部活が始まる少し前に、これまた真夏時のようなスコールが訪れたのだ。
 馬鹿みたいな勢いで天から落ちる雨粒に「部活できるかなあ」と風祭将が呟くと、水野竜也が成樹の手にブルーの折りたたみ傘を押し付ける。
「活動するかどうかわからないから、とりあえずお前は帰れ」
「え、サボリ容認なんて珍しいやん、たつぼん」
「ばか! 誰が家に帰れって言ったんだよ。……今日で終わるかもしれないんだろ、治療。さっさと行って終わらせて来い」
 そして成樹が目的地に辿り着いた頃、雨は綺麗に上がり、まぶしいくらいの青空が一面に現れた。
 水が入ってぐじゅぐじゅになった靴を脱いで診療所に上がりながら、これってある意味苛めやんな、と苦笑した。もう少し待てば濡れなくても済んだんやないか、たつぼんの考えなし。
 きっと子犬みたいにグラウンドで駆け回っているであろうサッカー部の面々を思って、成樹は小さく笑う。
 荒れたグラウンドを嫌がるのは最初のうちだけだ。
 汚れが二箇所、三箇所と増えていけばいくほど、泥にまみれることに抵抗がなくなり、それどころか夢中になる。
 白い部分もあるはずのボールが泥団子になるのと比例して、将や高井真人、森長祐介たちも全身泥だらけになった。もちろん、竜也も例外ではない。
 成樹の予想通りに子供らしさ全開ではしゃぎまくった竜也たちだったが、大変なのはその後で。
 桜上水中にはそれほど目立った成績の部がないせいか、シャワー室がない。夏場だけは水泳部が使う冷水オンリーなシャワーをこっそりと各部順番で使わせてもらったりはするが、あいにく水泳部のプールでの練習は七月からである。ゆえに泥を浴びたら落とせないままなのだ。
 着替えは確かに持っているが、下着まで持ってきているわけではない。中途半端に着替えるくらいならいっそこのまま帰ってしまおう。
 雨の日はいつもそうだった。
 だから、現在進行形で濡れた感触が襲う成樹の背中は、水と泥の複合技に違いないのだ。
 目の前に立つ将達の姿も、それらにまみれているし。
 ああ、背中どころかズボンまで汚されている。マーキングしている犬やあるまいし、なんや、こいつは。
 成樹は、くくくくく、と後ろで笑いつづける竜也を引き剥がして、その手首を取った。
「はいはい、楽しかったんやね。けど、そないな姿でいても俺に迷惑やから早う帰ろうな、たつぼん」
 っちゅーわけで、コレ、連れて帰るから。
 そう言い残して反対の道を歩いていく二人の背中を見送りながら、感心したように将が呟く。
「さすがシゲさん。全然動じなかったね」
「もしかしてしょっちゅうなのかな」
 森長の疑問も将に続く。が、更に高井の否定。
「でも初めて見たぜ、あんな水野」
 コクコクと真剣に頭を縦に振りつつも、三人の胸の奥の方から笑いが込み上げてくる。
 だって。
 大声をあげて、走って笑って転んで笑って笑って。
 その場で誰よりも高揚していたのが竜也だったのだ。天変地異の前触れのような光景に下級生たちは怯えていたし、同級生の自分たちも呆気に取られはしたものの、普段澄ましている竜也がそんな風に突然ぶち切れるなんて、なんだかすごく嬉しかったのだ。
「同い年なんだなあって改めて思っちゃった」
「同感。いつもあーやってれば愛嬌あんのにな」
「それは水野じゃないんじゃないのかな」
 先に見えなくなった背中ふたつを追うようにして、時折笑うために揺れるみっつの背中も小さくなった。
 きれいなきれいな夕焼けの中。



 ミニゲームしたんだ、と興奮を抑えきれずにたたみかけるように竜也が口を開く。
 レギュラー対一年と俺、で。
「負けたん?」
「勝ったよ。そうそう負けない。でも負けたんだ」
「……はい?」
 こういう時の竜也は順序立てた喋りを放棄してしまうので――普段は普段で回りくどすぎでもあるのだが――話の筋をみつけることに苦労する。それでも成樹は辛抱強く、ぽんぽんと飛ぶ会話から高揚の理由を汲み取る。その結果の心の内は「勝手にやってろ」だった。
 つまり。
 風祭将に、興奮したらしいのだ。
「落葉戦の時も思ったけど、あいつ、逆境に強いよな。土が不安定だろうがなんだろうが、とにかくがむしゃらなんだ。それで一回目はもう少しってところでさ、上手くかわせたんだけど、二回目、終了間際に綺麗に抜かれて。しまった、と思って振り返った時にはシュート蹴ってやがった」
 成樹がさりげなく手首から手のひらに滑らせた繋がる手に、竜也の方から力が込められる。
「やっぱり選抜入って杉原に、あ、おっとりしてそうなヤツなんだけどすげー鋭いパスするやつが居てさ、そいつ風祭とよくつるんでるんだけど、杉原とサッカーするようになってから、あいついろいろ考え始めたっぽくて、最近、早いパス回しにもついてこれるようになったし、前よりもっとスペースに居る確率多くなったし、大体一対一で俺を抜くんだぜ。悔しいんだけど、なんかすっげえ嬉しくてさ」
 もっと。もっともっともっと。
 目に見えるスピードで面白いサッカーに向かっている将と、サッカーがしたい。
 楽しかったんだと竜也は笑った。
「さよか」
 ようございますね、楽しそうで。
 成樹がそんな思いを込めて強く握り返した手のひらに、竜也の目が止まる。
「なんで手なんか繋いでんだよ」
「お前がふらふらしとるから」
「恥ずかしいじゃん。離せよ」
「嫌や」
「ふーん。まあいいけど。それで風祭がさ」
「……」
 道すがら、小さなフォワードの話を延々語るキャプテンの手を引いて、成樹は見慣れた青い屋根の大きな家を目指してずんずん歩いた。



 水野家の門を勝手に開け、同じく勝手に玄関を開けて中に入った成樹は、いい匂いのするキッチンに向けて甘えた声を出す。
「真里子さーん」
「はーい」
 朗らかな返事と共にエプロンで手を拭きながら玄関の子供たちを出迎えた真里子は、その様子を見て「あらあら」と苦笑した。
「おかえりなさい、たっちゃん、シゲちゃん。お風呂、沸いてるわ。脱いだものは洗濯機横の籠の中に入れてね」
 ふわりとした声とは反対に、てきぱきと指示を出しながら一枚のタオルを持ってきてくれる。
 成樹は礼を言って受け取ると靴を脱ぎ、濡れた靴下も脱いでそれの上で足裏だけを拭く。竜也も無意識にそれに倣い、二人はやっぱり手を繋いだまま浴場へと向かった。
 夕食の準備にキッチンへと戻った真里子は母親に「シゲちゃんも来てくれたからもう一品作るわね」と告げる。
「お母さん。たっちゃんたらね、シゲちゃんと居ると大人っぽくもなるけど、どうしようもなく子供っぽくもなって可愛いの」
 私たちには引き出せないたっちゃんなのよね、と顔を見合わせて微笑んだ。



 マリオネットのような竜也を脱衣所に置いて先に浴室に入った成樹は、シャワーを軽く浴びながら考える。手の中には小さな袋。
 これは使っても良いものだろうか。
 お湯が掛かった頭をぶるりと振って袋をシャンプー棚に置くと湯船につかった。
 ずっと冷たさの中にあった足先が、温かいお湯に解かされていくようで気持ちがいい。
 思わず「はあーっ」と息を吐いた時、浴室のドアが開いて、入ってきた人物と目が合った。
 たっぷり五秒の見つめ合いの後、相手の口から出てきたのはひどく狼狽した言葉。
「な……っ、なんでシゲがいるんだよ……!」
 やーっと正気に戻ったか、と半目で竜也を見て成樹は、まあ座れ、とプラスチックの椅子を勧める。
「真里子さんが一緒に入ってきなさい言うたんやもん。嫌ですなんて言えへんやんか。それより後ろ向けや。お前、首から耳の後ろから泥跳ねまくりやで」
「いいよ、自分でやるから」
「イマサラ何を遠慮することあんの?」 
 あっちもこっちも見ていない箇所なんてないくらいに見ているのに、という意味を持たせて言った台詞に、見事なまでの赤さでもって反応を示した竜也が勢いよく椅子に座った。
「早く取れよ、泥!」
 挑発されると抵抗できないんよな、たつぼんて。
 らしい意地の張り方に笑いを噛み殺して、成樹はおどけて返す。
「取ってください成樹様ー、やろ?」
「言うか、ばか」
 赤さは風呂の熱気のせいだと、どこまでも言い切る口は悪態をつくことを忘れない。
 シャワーの湯を足に掛けて温度を確認していた竜也の左手からそれを取り上げた成樹は、お湯の着地先を頭のてっぺんに変えた。
「わ」
「お客さん、痒いとこあったら言うてくださいね」
「痒くはないけど乱暴で怖いです」
「やさしくして、って言うたって」
「そんなお前が喜ぶようなことは言わない」
「けーちー」
 成樹が髪を洗いやすいようにと首をそらせた竜也はその状態で目を閉じる。
 髪の生え際からマッサージする指の動きを感覚で追う。
 両手を竜也の髪に絡ませた成樹は時折当たる奇妙な感触に顔をしかめた。
「たつぼん、スッ転びすぎ」
 それは砂利で。色素の薄い茶色の髪に、砂だの小さな石だのが絡んでいるのだ。
 竜也の頭を白い泡でいっぱいにしながら成樹は指に当たるそれらを丁寧に頭皮から遠ざける。
「そんなに、転んでねえよ。……ヘディングは結構、したかもしれねーけど」
 口の中での竜也の言い訳に「わかるけど」と呟き返して成樹はシャンプーの泡を流し始めた。
 相手は体が小さい分、小回りが利くので。
 届かないヘディングで勝負を仕掛けると悔しそうに、だけどどうにか相手になろうと知恵と感覚でもって対抗してくるので、どう出てくるか次の行動が楽しみになるのである。
 それは彼が入部当時、戦い方の基本を叩き込んだ自分だから、よくわかる。 
 わかりはするけど。
 コンディショナーを満遍なくつけたその髪を引っ張って、無防備に開く唇に自分の同じものを重ねた。
 荒く、呼吸さえ奪うようなキス。
 やわらかい口内を好き勝手に舌で蹂躙しながら、成樹は浴槽から出て竜也の後ろに体を密着させた。
 竜也が座る椅子を蹴飛ばすと、倒れこんだ体は成樹の腕の中に降りてくる。すかさずタイルに組敷く。
 背中に感じるひんやりしたタイルに少し体を跳ねさせた竜也の上にボディシャンプーを持ってきた成樹が、にやりと笑いながらそれを一押し。二押し。
 白い液状石鹸が、竜也の胸と腹にばらまかれる。
「……悪趣味」
 まるで成樹の体内から作成される液が散ったかのような自分の皮膚の惨状から竜也が目を背けた途端、成樹の手は勤勉に動き始めた。
「んっ」
 円をいくつも描きながら、石鹸を上半身に塗りつけられる。
 腹部や胸の真ん中を中心に、脇腹、下腹部、左胸、両脇、右胸、そして、胸に色づく、薄紅の突起。
「……ふ」
 通常よりなめらかなその手の動きに、翻弄されていく。
 ぬめりをもたらされた突起のふたつはコリコリと重点的に攻められて、泡を生み出される。
「たつぼん」
 呼ばれて不用意に目を開け、あまつさえ視線を胸の上にやってしまった自分に竜也は激しく後悔した。
「あ、や……」
「興奮、する?」
 竜也の目に映ったものは。
 泡前の石鹸で淫らに光る自分の体。
 攻められた箇所だけ泡で纏われたふたつの飾り。
 挙句、それを摘んだり押し込んだり、引っ張ったりする成樹の指と、動きに直結する電気が走るような快感。
「あっ、あぁ……っ」
 乳首を前後左右めちゃくちゃなスピードで転がされて背中が仰け反った。
 ふたつの点の付け根から、どんどん全身に回っていく浮遊感は、竜也の足の間を固くさせる。
 びくん、と震えた自分に成樹が気付きませんようにと願った竜也の望みなんて叶えられるわけもなく、下腹部から流れるようにボディシャンプーの膜を連れてきた成樹の右手にそれは包まれる。
 一回、二回、三回。
 ゆっくりと大きな動きで扱き上げられて竜也はきつく目を閉じた。
「……っ」
 直接的な。
 あまりに大きな愉楽への刺激。
 そして。
「や、やだ……!」
 足の間に入り込んだ成樹が竜也の片足を浴槽の縁に引っ掛けたせいで、膝から下の部分が湯船に落とされた。そしてもう片方の膝裏をぐぐっと押され、左右反対方向へと開かされた足によって、腰は浮き上がり、秘部が成樹の目の前に曝け出される。
「あ、あ、あ……っ」
 取らされた体勢の恥ずかしさに顔を赤らめる暇もないほどすぐに、後ろに痛みのない圧迫を感じた。
「っ!」
 狭い入り口に指が多分、三本、押し込められたのだ。
「……ふっ……あ! ああっ」
 成樹の指を受け入れている場所からは即行で水音が漏れ出す。
 それはタイル張りの浴室の中、異様なくらいに響いた。
 前後の摩擦だけではなく、捻りを入れて突き入れられたり、内部で広げられたり、曲げられたり。自由に動きまわるそれはおそらく、さっき腹に散らされた以上のボディソープを纏っているに違いなくて。
「ああっ」
 前も握りこまれ、同じリズムで動かされて、竜也は早々に膨張した自身から精液を吐き出した。



 息も整わないし、頭も靄がかかったように真っ白で。
 そんな中でも内臓を擦る指だけが感じられる。
 成樹の足の上に跨るようにして肩に縋りつきながら、竜也は今にも言ってしまいそうだった。
 はやく。
 もっと。
 シゲ。
「ん……」
 指に合わせて腰を揺らしながら、快感を追うのと同時にでも考える。
 なにか。なにかいつもと違う。
 自分の腰を抱く腕の熱さは変わらないはずなのに。
 その時。
「あああっ」
 痙攣するかと思うほどに強い快楽を得られるしこりを内部に潜り込んだ指の腹で探られて、竜也の体は弓なりにしなった。
「あ、やめ、やだ、や……」
 半分やわらかかった竜也がその刺激を受けて完全な固さへと変化する。
 遠慮なく何度もそこを往復されて、竜也はやっと気付いた。
 ああ、そうだ。声。
「シ……ゲ……ッ」
 強烈な快楽をなんとか押さえ込もうと努力しながら、ぎりぎりの声で問い掛ける。
「あ、シゲ……、なんか、怒ってるの……か? ふ……っ……なぁ、声……」
 声。
 お前の、言葉。
 最初に「興奮するか」と聞かれて以来、聞いていない。
 いつもなら、こっちが「黙れよ、いい加減」ってくらいに喋り倒すお前なのに。
「んんっ」
 何度も何度も弱い場所を責められているうちに、生理的な涙が目尻から溢れ始める。
 苦しい。解放されたい。気持ちいい。解放して。
 物理的にも、精神的にも。
 そうして追い詰められた心は、どんどん正直な胸の内を口走っていく。
 なぁ。
 欲しい。
 もっと、別なもの。
 指なんかじゃなく、お前の。
 そして。
 名前も呼んで。
 苦しそうな声も聞かせて。
 突き入れて。
 俺の中で弾けて。
 なぁ。
 頼むから。
 ――シゲ……。
「く……っ」
 肩や首に縋られながら、耳元でそんな言葉を囁かれては理性なんて働かない。
 成樹は竜也の足の間を責めていた指を静かに抜き、まだひくつく入り口を伸ばして、自身を当てる。
 その楔を縫い付けるように自ら沈み込んできた竜也の内部を堪能しながら、成樹は一度目、そして竜也は二度目の絶頂へと向かったのである。



「普通、おもろくないと思うんやけど」
「け、ど……相手は風祭だぞ……っ」
「せやから余計やん」
「なんで」
「……たつぼんが、ポチんことめっちゃ好きやから」
「好きの感情が違うだろっ」
「知っとるよ。コンナコト俺以外にはさせんこととかはぁ」
「やめ、掻き回すな……!」
 湯船の中での三回戦に挑みながら、二人はお世辞にも色っぽいとは言えない会話を繰り返していた。
 議題は「ヤキモチについて」である。
 風祭風祭と連呼すること数え切れず。普段の性格を失ってしまうほどに対決に燃えたたつぼんが悪い。そんなん嫉妬するに決まってるやんか。
 これが成樹の言い分で。
 嬉しかったもんは嬉しかったんだからしょーがねえだろ。大体、お前が無茶してサッカーできなくなった反動だってあるんだからな。……多分。
 これが竜也の言い分である。
 まあ納得するしないはお互いの譲歩次第なので、その辺はいいのである。きっと。
 それよりも問題は。
「な、シゲ……っ、気持ち悪い、このお湯……!」
「えー、ちょおおもろいやんー」
「ざっけんな、入れたらただじゃおかねえからな……っ」
 こんな、正体不明の液体。
「けど、あんま動かれへんかったらお前が辛いんやない? あ、それとも、ずっとこのままでおりたいん? たつぼんのえっちー」
「てめ……っ。抜けよ、今すぐ!」
「嫌に決まってるやん」
「……ああっ……」
 浴槽の中である。浴槽にたまるのはお湯に違いなくて、お湯であれば本来、ちゃぷちゃぷと動くはずなのである。それが。
 言葉で言うならば「たぷたぷ」であろうか。
 浴槽の中で竜也を自分の上に座らせて、自分は竜也の背骨を辿ったり、後ろから胸をまさぐったりして楽しい事し放題の成樹が、シャンプー棚に置いた袋に手を伸ばしたのだ。
「これ入れてみてもいい?」
「なんだよ、それ」
「この前百合子ちゃんに貰たんや。気持ち良かったからお裾わけ、って」
 成樹が手にしたバスエッセンスには「とろり湯」なんていかにも怪しそうな名前が記されていた。
 試しに、と繋がったままでそれをお湯に溶かされて「中途半端にするな」と怒鳴ったりはしたけれど。
 透明だったお湯が乳白色に変わり、肌に纏わりつく頃には「中途半端にしてもいい」と前言撤回したいほどに、成樹の圧迫と「とろり湯」のなんともいえない保湿力ととろみ感にやられてしまった――普通に入る分には「なんだこのとろとろ」で済んだかもしれないが、そのとろみでもって胸やら腹やら尻やらあそこやらをたっぷりと撫で回された事が要因だ――のである。
「も、やだ……、シゲ……っ」
「イきたい?」
 夢中で頷くと「このままやったら動けへんから」と立たされて、壁に手をつかされ、立った状態の背後から思いきり突き上げられたのである。
「あ、あっ、ああっ、あ、あ――!」
 先端が奥壁を突くたびに竜也の中もきつく締まり、竜也の様子を見ながら同時に果てるように成樹は興奮をコントロールした。
 のぼせない方がおかしいくらいのバスタイムを過ごした竜也が二階の自室まで歩けないのは、それはもう言わなくてもわかることで。
 タオルを腰に巻いた状態のまま、不本意ながら横抱きにベッドまで連れられて、夕飯の時間だと真里子に叫ばれるまで蒲団に包まって過ごす。
 屋根を叩くは、また降り出した雨の音。
 独特の空気。
 独特の匂い。



 六月。思い浮かぶのは。
 雨。
 湿気。
 紫陽花。
 そして、時々妙にハイになる、愛しいあの人。




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