【57回目(戸田北)】…2005.4.3




 多分、というか絶対、自分は根性が悪い方だと思う。だって。
「オイ!」
「……51回目」
 榛名元希の口から出された言葉を数えて、ため息をついている。
「オイ、聞こえねーのか!」
「はい! 今行きます!」
 苛ついて声を荒げた榛名に表面だけマジメな返事を出して、オレ、阿部隆也は青い空に向かって大きな息を吐いて追加した。
「52回」
 今日は土曜日。日曜日に並んで、シニアの練習時間が長い日だ。



 これはどこに置くんだと訊かれ、オレがやりますよと言うと、そんなのは当たり前だろと冷たい視線が返ってきた。
 その言い様にカチンときたオレは、唇が尖らないように気をつけながら、できるだけ穏やかに言ってみる。
「なんで当たり前なんスか」
 だが、感情のすべてをコントロールできるほどに自分は大人じゃない。
 ムカつきは音声に含まれてしまったらしく、榛名がピクリとこめかみを動かした。ぎろりと眼球が動く。
「お前、運動部のセンパイコーハイ関係を舐めんなよ。1年が片付けすんのは当たり前のコトじゃねーか」
「だっ」
 上から睨まれて、思わず声が上擦る。
「だったら、どこに置くとか訊かなきゃいーじゃないスか。どーせやる気ないなら尚更……っ」
「バカじゃねェの。やる気はなくても、キソチシキとしてどこにどの道具があるかくらいは知ってた方がソンはねーだろーが」
 それとも、と榛名が馬鹿にしたような笑いを浮かべて続ける。
「お前は野球やるだけで、そーゆーコトに気は行かねェのか。どんな王様だよ」
「……っ」
 礼儀のことで、この礼儀のなっていない目の前の男に馬鹿にされるなんて、こんなに腹の立つことはない。だけどまあ、本人が言ったように、この年の上下関係は絶対に近く、そしてオレは1年でこいつは2年だ。その差だけはハッキリしたものだったので、オレは小声で「すんませんした」と叫び、榛名が仕舞いたかったものを手からぶん取り―― 一応、丁重にだ――こっちですと用具室までの道を案内した。
 心の中で2を追加させ、54回と記憶するのを忘れない。
 榛名がこのチームに入って、3週間が経った。
 どうやらとてつもなくスゴイらしいこの野郎は、確かにスゴイ球を投げるが、なによりも態度のデカさが超A級だった。そのおかげか、未だにチームに馴染む素振りがない。もっとも、馴染もうとも思っていないみたいだが。
 ――こんなんでバッテリーなんか組めんのかよ。
 そう思わない日はないが、それでも、ミットを掠めもせずにオレの腹や腕やマスクに当たる速球に、どうしようもなく心を奪われてもいた。
 捕りたい。
 悔しいけれど、そう思わせるボールを投げる人間だという事実は誤魔化し様がない。
 用具室の前に着くと、観音開きの鉄のドアの片方を開けて、榛名に中を案内する。
「大抵のものはここにありますし、ここに仕舞います。自主練する時でも右半分にある物は自由に使っていいです。ただし、使った後……」
 オレの説明は途中で遮られる。
「自主練していーんだ?」
 言葉を邪魔されたことに腹を立てつつも自分に言い聞かせる。落ち着け、オレ。こんなことでイチイチ怒ってたらキリねェぞ。
「はい。道具使っての練習は監督が帰る前までなら許可が下りていますし、前に使ってる人が居ない限り、時間より前に着て走りこむのとかもOKです」
「ふーん」
 暗い用具室の中で、きらりと光ったその目に少しドキッとした。
「練習、するんですか」
 つい、そんな質問が口をついて出る。
 しまった。こんなこと聞いたって、素直に答えるようなヤツじゃないのに。
 どうでもいいだろ、とか、お前に関係ねーだろが、とか。
 そんな言葉が返ると思っていたオレは、意外にあっさり頷いた榛名に驚いた。
「やっていーならな。どーせ部活もやってねェし、放課後はヒマしてんだ」
「……そ、スか」
「おう」
「そんで? 中のモン使ったとして、鍵はどーすんだよ」
「あ、それは」
 一瞬呆けてしまった自分になぜか慌てて、榛名への説明を再開させる。
 ひと通り終えると、ぶっきらぼうながら「ありがとよ」と言われ、さっきにも増して驚く。そんな日本語、知ってたんだ、こいつ。
 横暴自己中我儘自分勝手という言葉しか背負ってなさそうだった榛名に見開いた目が戻らない。その状態のままで暗い用具室から明るい外に出たオレは、白くなった視界に目を細めた。
 細めた先には、用は終わったとばかりにザカザカと歩いていく榛名の背中が映る。
 なんでだろう。
 この3週間、ずっと背中だけを見ていたような気がする。
 ピッチャーとキャッチャーだから、向き合っている方が多いはずなのに。
 年の差。
 腕の差。
 いろいろ理由はあるだろう。
 だけどなにより、認識されていないことがそう思わせるということは、ムカツクくらいにわかっていた。
 『オイ』か『お前』か『テメェ』か『そこの』か。
 この四つが、オレに与えられた呼び名だった。
 ――こんなんで、オレたちは本当に組めるのか?
 答えの出ない問いを、オレは今日も繰り返す。



 ロッカーに戻ると、もう誰もいなく、榛名も既に半分の着替えを終えていた。
 隣の監督室からはガタガタと椅子を引く音が聞こえているので、監督もそろそろ上がる時間だろう。
 オレも急いで着替えると、普段は畳んで入れる練習着を乱暴にカバンの中に詰め込んだ。すると声が掛けられる。
「きったねー」
「は?」
「もう少し丁寧に入れろよ。意外に大雑把なんだな、お前」
 55回目。
 お前という言葉に、癖になってしまったカウントを伸ばし「急いでるからですよ」と返す。
「いつもはちゃんと畳んでいます。あんたの方でしょ、大雑把なのは」
 やべ。あんたとか言っちまった。
 心の中で冷や汗を掻くが、気にしたのはオレだけで、相手は気にしないみたいだった。
「なんか知ってんの?」
なんて、普通に聞いてくる。
 だからオレも普通に続ける。
「いつも、すっげー強引にユニフォームもアンダーも突っ込むでしょ。こないだなんて取り出す時に教科書破いてましたよね」
「よく見てんな」
 図星を指されて、体温が上昇するのがわかった。
 よく見てる。
 そうだ。よく見てるんだ、オレ。
 腹が立つとか思いながら。ムカツクとか思いながら。それでも、目が離せないでいるんだ。
 だって気になるじゃねェか。バッテリーだし、オレはキャッチであんたはピッチで、コミュニケーションが取れないと。
 一瞬のうちにざざーっといろんな言葉を頭の中で流したオレは、言い訳するようにごもごもと言った。
 ひとこと。
「……近いですもん。ロッカー……」
 榛名はさして疑問にも思わなかったようで、そだな、と呟いて、今日も強引に着替えを詰めたカバンを右肩に担ぎ上げた。
「んじゃ、お先」
「あ、ハイ」
 お疲れっした、と頭を下げたオレの前を通り過ぎて2歩目で榛名の足が止まる。
「?」
 顔を上げたら榛名が振り返っていて、視線を宙に泳がせながらも口を開いた。
「あのさ。お前、練習後に時間はあんのかよ?」
「え」
 56回目の『お前』は、なにかいつもと違った響きで。
 オレの答えを待たずに、榛名は自分の要求を告げる。
「オレ、今度からギリギリまで残っけど、ヒマがあんなら付き合えよ」
「え……」
 練習時間が足りないんだと榛名は言った。
 オレはオレのメニューもこなしたい。それには全体の練習だけじゃどうにも足りない。だから終わってからも体を動かしたいし、できればそれの最後に何球か投げてーんだよ。
「球数制限してるんじゃ」
「もちろん。練習中には60球しか投げねーよ」
「あの」
「あ?」
「それって、付き合わなかったらオレがキャッチできるよーになんのも遅れるって話じゃないんスか」
 少し考えた榛名はポンと手を打って、そうとも言うな、と平然と言い放つ。
 ちょっと待てよ。
 そんなんさァ。
「っかりました! 付き合いますよ、喜んで付き合わせていただきます!」
 これしか出せる答えはねェじゃねーか。
 ヤケクソ気味に叫んだオレは榛名の顔に釘付けになる。
 ほころんだのだ。
 口元が。
 少し開いて。端を上げて。
 目も、いつもより穏やかに。
 そして、ヒヒ、と声に出して笑いまでした。
「そう言うと思った」
 初めて見る笑顔に、怖いくらいに心臓が高鳴る。
 うるさい。だまれ。静かになれ。あいつの声が、聞こえない。
 全身に響き渡る鼓動に邪魔されながらも何かを続けている榛名の唇に神経を集中させた。するとそれは、
「帰っぞ、タカヤ」
と、確かにそう動いた――し、聞こえた。
「え」 
「? 帰んねーのか?」
「や、いえ、帰ります、けども……っ」
 みっともないくらいに慌ててしまい、そんなオレに「変なヤツ」と言い捨てて、榛名はやっぱり先に歩いていく。
 それを追いかけながら、オレの胸は興奮でいっぱいだった。
 ――うっそ。今、オレの、名前を呼んだ?
「おせーぞ!」
「すんません、モトキさん!」



 多分、というか絶対、自分は根性が悪い方だと思う。
 だって。
 いつか、ちゃんとバッテリーになれた時、言ってやろうと企んでいるからだ。

「元希さんね、オレの名前、57回目にして初めて呼んだんですよ」

 そんなん数えてたのかよ、キモ!と言う声が今にも聞こえてきそうだと、モトキさんの背中を追いかけながら、オレはちょっと笑った。




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 タカヤは榛名さんが自分の名前を呼ぶまでは榛名呼び(心の中で)、
 仲良くなり始めやケンカしている時はちょっと固めにカタカナ使い、
 慣れてきたら漢字で「元希さん」と呼びわけしてたらいいなと思っています。

 すみません、名前フェチなんです…っ。




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