建築レポート:震災支援

3月25日 地震発生当日

 前夜建築士会青年委員会の主催で新建築士の集いを開催し、新建築士達と語り、したたか飲みすぎ、後輩を家に泊めて迎えた朝。
9時半頃にいい加減起きないといかんと思いフラフラしながら起床。後輩も一度県庁に行ってから帰りますと言った矢先・・・。

グラグラ!!
酔い過ぎたか?
お!地震だ!

グラグラグラ!!!!
おいおい、すごい地震だぞ!

鉄筋コンクリート3階建てのマンションでこれだけ揺れたら、一体外はどうなってんだ?と思い、かろうじて立ちあがり外を見たが、建物は特に変化はなく、県庁も倒れていなかった。(当り前か)
収まった後、「う〜ん、出勤しないといかんね。」と話し合い、後輩は一足先に出かけ、私は実家に電話したが不通。母の携帯も不通。とりあえずメールでも送っておこう。(結局、両親は震源地の門前に向かってバスに乗っていた!まぁ、無事に帰ってきたのだが。)

もたもたして、結局地震の20分後に県庁に到着(徒歩5分なのに・・・)
続々と人が入っていくが、「え!?」
なんとエレベーターが点検中!何事も無かったかのように、皆階段を上っていく・・・。う〜ん、16階まで登るのは、白山登山のために毎朝登っていた時以来だ。(何年前だろう?)

途中意識を失いかけながらなんとか16階に到着。
自分が一番近いのに、もう半分近くの人が来ている。
テレビの映像では道路や建物の被害が続々と伝えられている。こんな大きな地震が石川で起きるなんて・・・。

お昼過ぎには建築職員も先遣隊が現地へ行くことになった。3時頃ようやく酒が抜けてきたら、「おい、お前は2,3日行くつもりで行ってこい。1時間後に出発や。」と命令が出て、早速家に帰り、山登りの道具満載のままのリュックサックに着替えを詰め、職場に戻って、応急危険度判定の道具を持って、16:00先輩と二人で出発。

途中までは何事もなかったかのように、順調に進んだが、能登有料道路柳田インターで一般車両は、通行止めとなっていた。誘導していた警察に「石川県です!」と言うと通行OKとなり、さらに先を急ぐ。
途中消防の応援隊(滋賀ナンバー)の列に入り込んでしまう。(というか周りは消防車しかいない)
上棚矢田インターは、無料で通過。途中道路に亀裂があったが、なんなく通過。徳田大津インター手前で渋滞が始まった。10分ほどでインターを降りると、周りの消防車がサイレンを鳴らし始めた。うるさいなぁと思っていたが、どんどん赤信号でも進んでいくので、後ろに迷惑かけるのもいかんと思い、そのままついていってしまった。(非常事態なので・・・)

そうこうするうちに、消防は隊列を整えるために、待避所で停車。残念だなぁと思いながら、途中のコンビニで差し入れの食料を買い込みに行ったら「食べ物が無い・・・。」ご飯類、パン類が売り切れ。かろうじて水とお茶が若干残っていたので買占め、カップラーメンとお菓子を買い込んで現地に向かう。
途中30分ほど七尾市役所中島支所に寄り、また輪島に向かう。

この辺りから渋滞が始り、のろのろと穴水まで進む。穴水を過ぎるとかなりスピードアップし、結局20:00頃輪島市役所に到着。市役所前は報道の車でお祭り状態に。「何で練馬ナンバーがもう到着してるんだよ。」と思いつつ、市役所内へ。中は電気があまりついていないが、戦場のごとく人が走り回り、報道のカメラが何台も設置されている。

先遣隊は既に応急危険度判定の準備を始めており、手を出す隙もないので、のんびり名簿作成を始める。断水しているが、市役所の屋上タンクには若干水が残っているようで、ちょっとは水がでる。そうこうするうちになんとなく仕事が出てきて、気がついたら11時過ぎ。民宿に確認の電話を入れると、水が出ないので、「明日の朝食は出せないかもしれない」とのこと。結局帰ったのは1時頃で、風呂はもちろん歯も磨かずに就寝。長い一日だった。

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