建築レポート:震災支援

3月26日 応急危険度判定業務

 朝6時起床。結局昨夜少し水が出たので、御飯が食べられるようになった。やはり暖かいご飯とみそ汁はうまい。ちょっと量が多いのは、おばちゃんのサービスか?
市役所に行く前に、昼食用の食料を仕入れにいったら、コンビニにおにぎりが山積み!ちょっと感動。人間ってたくましい。(商魂たくましいのか?)

8:00市役所に到着。本日の作業の準備をして、ミーティングの後、担当地域の門前に向かう。
途中被害が大きかった門前總持寺前の通りに寄る。テレビや新聞の報道通り、ひどい有様であった。通りに面した建物はどうしても前面に壁が無いので、横揺れに弱い。倒れたお寺の前に行くと、庫裏で近所の人がお祭りのために食べ物(おはぎ?)を作っていたところ、建物が倒れたとか。よく死者が出なかったと胸をなでおろす。


12年前の阪神淡路大震災の時の記憶が蘇る。そういえば、応急危険度判定もそれ以来で、講習会で勉強もしてなかったが、なんとかなるだろう。

9:30判定の担当である黒島に到着。この集落は、北前船の寄港地でかつては賑わった所で、家は風格ある構えを見せ、瀟洒な細工や、剛健な柱や横架材(さしもん)で構成されている。ここを初めて訪れたのは10年くらい前で、その前に輪島に住んでいながら、来たことがなかったと、後で感動したものである。それ以降、ちょこちょこと足を運ぶ事があったが、着いていきなり重要文化財の角海家の塀が倒れていたり、隣の建物の瓦が落ちていたり、その奥の神社の鳥居が倒れていて、ちょっと涙が出そうになる。

感傷に浸ってもしょうがないので、とりあえず危険度判定を始めるが、1件目は角海家で、いきなり赤紙(危険)を貼る。テレビの取材も来ていて、とりあえず一枚貼る所を撮ったら帰るだろうと思ったけど、結局午前中ずっとついて回っていた。(おもしろくもなんともないと思うけど。)


それ以降、順番に見ていくが、赤紙、黄色紙(要注意)のオンパレードで、非常に気が重い。家の人は心配しているが、そりゃこんなに傾いたら心配だなと思い、「大変でしょうけど、修理すれば直りますから。」と慰めになるかならないかわからない事を言って回る。実際土台がずれて外れてしまっている住宅が多く、曳き家で直るし、建物の傾斜もある程度までは建て起こして直すことはできる。要はお金の問題である。そうは言っても、つぶれた土蔵はどうにもならず、早々に解体してくださいとお伝えしてきた。

倒れたものは倒れたなりの理由があって、柱、土台、貫が腐っていたり、土台が石に乗っているだけで、ずれてしまったりしている。途中家の中も見てくださいと声をかけられるが、見かけは大した被害でなくても、中の柱が傾いている家も結構あり、そこを見ている途中に余震が来たときは寒気がする。住んでいる方は、もっと怖い思いをしているのだろう。

さらに調査を進めていくと、擁壁が割れて孕んでいる所があり、その一帯の住宅全部が傾いている所もある。ここは砂地の盛土なので対処のしようが考え付かない。「皆さんで市に相談してみてください。」と答えるしかなかった。非常に無力感を感じる。

17時を過ぎて、ようやく50数軒の判定を終え、作業終了ということで、帰途につこうとすると、ドスーンと縦揺れの余震がきて、家からおばあちゃんが飛び出してきた。怖いと言いながら、ちょっとうちも見て行ってとせがまれ、しょうがなく見に行くと、なんと梁が一本外れているじゃないか!


おじいさんとおばあさん二人暮らしで、避難所に行くことを勧めると、「おじいさんの足が悪くて動けないし、車もないから、避難所は遠くて行きたくない。」ということだった。とはいえこのままここに住んでいては本当に危ないので、とにかく近所の大工さんか若い人を呼んで、せめてつっかい棒でも当ててもらってくださいと言うと、早速電話をして助けが来ることになった。本当に心配だ。でもこの辺では老夫婦だけの世帯が非常に多いので、他でもこんなことがあるかもしれない。

市役所に戻ると、集計作業が始まる。面倒だがたんたんと進めるしかない。他のチームでは100件位回った所もあるとか。数の問題ではないのだが、ちょっと話をしすぎたか?と反省。でもそれはそれで役に立っているはずだと自分を納得させる。
作業が終わって後片付けをしたのが11時過ぎだった。今晩も宿に帰ってそのまま睡眠。

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