住宅の性能を考える
これは、「住宅の品質確保の促進等に関する法律」が出来た時に、日本の住宅の歴史を追って住宅の性能について考察したもので、何かの機関誌に寄稿したものです。(かなりいい加減)

目次
1.「住宅の品質確保の促進等に関する法律」と住宅の性能
2.大昔の住宅
3.平安時代〜江戸時代の住宅
4.明治時代〜現代の住宅
5.まとめ


1.「住宅の品質確保の促進等に関する法律」と住宅の性能

平成12年4月1日に「住宅の品質確保の促進等に関する法律」が施行されました。この法律により、全ての新築住宅の基本構造部分に対し10年間の瑕疵保証を義務化、住宅の性能をランクや数値で表示し第三者機関に評価してもらう住宅性能表示制度が盛り込まれました。
 「住宅性能表示制度」で表示される性能は、@構造安定A火災安全B劣化軽減C維持管理D温熱環境E空気環境F光・視環境G音環境H高齢者等への配慮の9つの項目で、これらがランクや数値で表示・評価されるというものです。これにより表示した性能が契約内容として保証される他、評価機関による検査(4回程度)が受けられ、万が一トラブルが発生した場合にも住宅専門の紛争処理機関で迅速に紛争を解決してもらえるという特典があります。県内では(財)石川県建築住宅総合センターが指定住宅性能評価機関として業務を行います。

 さて、前記の9つの性能ももちろん重要であることは分かるのですが、果たして住宅に必要な性能とは一体何なんでしょうか?住宅の歴史を追いながら住宅に求められる性能について再考してみました。

2.大昔の住宅

 最初に作られた住宅は、竪穴式住居と言われています。そのころは、住居の中では寝起きするだけだったので、必要とされた性能とは、第一に外敵から身を守る事、次に雨風をしのぐ事で、それ以外の食事や団らんなどは、一族が集まって集落の広場で行われていました。
 次第に農耕を始めるようになると、食料の保管といった性能も求められるだけでなく、食事や家族の団らんなども住居の中で行われるようになり、炉や作業場などの空間が増え住居の規模も次第に大きくなってきました。炉は調理のためだけでなく、暖房としても大きな役割を果たしました。また、規模が大きくなるにつれ、側壁がある建て方に変わってきて、明かり取りのための窓も付けられ、日中でも生活できる空間となりました。
弥生時代にはいると正倉院に代表される高床式の建築様式が現れましたが、これで耐久性の向上と、ねずみなどから食料を守る性能を満たしました。また位の高い人の住居としても使われたことから、権威の象徴を表すという意味も出てきたと考えられます。
 大陸との交流が始まった頃から、稲作や仏教とともに仏教建築も取り入れられ、建築技術も向上し、農民の住居も都(飛鳥や奈良)を中心として、竪穴式住居から柱や梁を組み合わせた平地式住居になりました。平地式住居では、土間と土座(地面にわらやもみ殻を敷き込んだ上に、むしろを敷いたもの)を区別し、土座や板張りの床では草履を脱いで生活するスタイルが確立され、外と内という境界を明確に分けるようになりました。

3.平安時代〜江戸時代の住宅

 平安時代に入ると、寝殿造りと言う建築様式が現れます。住宅の敷地に池を作り(環境共生とはちょっと違いますが。)、遊び心を取り入れたのが特徴です。また、畳が現れたのもこの頃ですが、当時は座るところや寝るところに敷いて、現在のカーペットの様な使い方をしていました。この辺から快適性が求められたのでしょうか。
 その頃の都の町中では、いろいろな物が商売されるようになり、家の一部を店として使うようになりました。大通りに面する部分に店を設け、その部分は高床として、その他は土座か転ばし根太(地面に根太を転がしたもの)の上に板を敷いた床で、その上にむしろを敷いて生活していたと考えられます。家の中に通りにわを設けるようになったのもこの頃からで、入り口と勝手が設けられ、勝手は裏庭に通じ、そこには共同の井戸などが掘られていました。
 鎌倉時代になると武家が現れ、その住宅は寝殿造りをより実用的、機能的にした主殿造りと呼ばれました。それまでの住宅(建築)には、天井がありませんでしたが、ここで天井が登場し、部屋を間仕切りやすくしました。これはプライバシーを保てるようになったと同時に、ふすまを開け放つことで大空間もとれるという可変性も持つようになりました。
 この頃、農家の間でも貧富の差が生まれ始め、上流農家の住宅では次第に規模も大きくなり、座敷(畳敷きではなく板間)や納戸(寝室)を設けるようになりました。また別棟で釜屋(台所)が設けられたりしました。
 一方町屋は、土座から板間へ変わり、共同の便所が設けられるようになりました。規模は農家に比べずっと小さく、間口・奥行き共に2〜3間くらいでした。都会の住宅が狭いのは今も昔も同じのようです。
室町時代になると書院造りという様式となり、床の間、畳敷き、面をとった(四角い)柱、引き違いの建具など、ほぼ現在の和室のしつらえになり、内部は完全な部屋に分かれるようになりました。これにより、プライバシーの確保、防寒性能が進んだと考えられます。
 この頃から作法がいろいろと作られ、応接の仕方も格式によって事細かく決められるようになり、住宅の中で接客スペースが重要な場所としてとらえられるようになりました。それと茶の湯が盛んになったのもこの頃で、茶室は独自の文化を築いていきました。
 江戸時代には工具の進化により、それまで高価とされていた板材が豊富に供給され、地方でも精度の高い住宅を造ることが出来るようになり、五箇山や白川郷に見られるような合掌造りなど、地方の気候風土に対応した独特の建築様式が生まれ始めました。
 農家では、うまやや便所を設けるなど、さらに規模が大きくなり、それまで堀立柱であったものが突き固められた礎石の上に柱が立てられ、耐久性が向上しました。
 その頃、各地で城下町が形成され、大通りに面して大きな商家が立ち並びますが、間口が狭く奥行きが深い敷地で、これは間口によって家に税金がかけられたと言う理由もあったようです。また、江戸では度重なる火事に対して防火性能を高めるため、土蔵造りや塗屋造り(外部のみに土壁を塗ったもの)の建物が建てられました。

4.明治時代〜現代の住宅

 明治時代になると文明開化により、一部の華族や財閥等の間で西洋の建築様式の住宅と、いす式の生活が取り入れられました。
 大正時代に入ると、ガス灯や電灯などの照明器具や、水道やガス、洋家具などが普及し、洋風の住まい方が広がってきました。洋風化が遅れていた台所も、明治の末期頃から、それまでは座り流しだったものが立ち流しになるなど立式の設備が取り入れられました。
 しかし、庶民の家はまだ長屋が多くを占めていましたが、2階建てになったり、各戸に便所が設けられるなど性能の向上もした反面、逆に過密化が促進され日照が悪くなったりもしました。
 また、アパートも建てられ始め、関東大震災の後に、被災者救済のために設立された同潤会は、数多くのアパートを建て、エレベーター、台所のダストシュート、共同風呂や共同洗濯場を設けるなど数多く新たな試みをし、それ以降の都市居住に対して大きな影響を与えました。
 昭和20年、戦争で焼けた家や、海外からの引揚者の家、そして戦時中より不足していた分を合わせると420万戸の住宅が不足することになりました。被災した都市ではバラック小屋や、焼けたバスの残骸で生活しました。また、寝るだけの家に逆戻りしたわけです。
 戦後の住宅供給は住宅公団や公共団体による賃貸住宅と住宅金融公庫による戸建て住宅への融資に支えられたと言っても過言ではなく、特に住宅公団で供給したDK(ダイニングキッチン)は、それ以降の住宅の間取りに取り入れられ、接客を重視した家父長中心の封建的な間取りから家族を重視した間取りへと変化していきました。
 高度成長期になると、建材はアルミやプラスティック等の新しい材料が使われ、工法もプレハブや2×4(ツーバイフォー)等が使われ始め、大量生産による工業化住宅や、ローコスト住宅など様々な試みが行われ始めました。住宅の規模は次第に大きくなり、都市では職住近接させたことからも、過密化し高層化していきました。
 そして技術の進歩により、断熱性能や耐震性能が飛躍的に向上し、各種設備機器により快適な生活を送ることが出来るようになりました。

5.まとめ

 しかし、過密化した宅地は日照や騒音などの近隣問題を引き起こし、便利な機器は過大なエネルギー消費をし環境を悪化させ、大量生産した新建材は処分に困っており、化学製品からは有害物質が発生して健康を脅かし、個々のプライバシーを重視するあまり、核家族を生み、さらにその家庭内においてもコミュニケーションがうまく図れなくなるなど数多くの弊害ももたらしました。
 外敵から財産や身を守る防犯性能、災害から身を守るための耐震性や防耐火性、寒暑をしのぐための断熱性能や雪・風に耐える構造、長く住まうための耐久性やライフサイクルに合わせられる可変性、お年寄りや障害を持った人も安全に暮らせる工夫。人類の長い歴史を振り返ると、どれも大切なことは分かりました。
 しかし、ストレス社会とも言われている現代において、会社や学校から帰ってきて、家族と対話をし、リラックスして体を休め、明日への活力を養える、そんな性能がさらに求められているのではないでしょうか。
 それは団らんの場であったり、広くて気持ちのいいお風呂であったり、自分だけの書斎であったり、くつろげるトイレに見つけられるのかもしれません。
 その性能を満たす解(仕様)は各家族で異なるので、住宅を設計する時には、設計者だけでなく、家族全員が真剣に考える必要があります。そして、私もその答えを出せるように、もっともっと考えていきたいと思います。


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