大和航空ビーバー機 遭難
50回忌 慰霊登山 07.5.19
機長の弟にあたる澤登文雄さんの記録(報告)より一部抜粋して記載
昭和33年(1958年)5月21日午前10時大和航空ビーバー機が鹿児島空港に
向け東京の西郊外にある調布飛行場を離陸した。……大分空港離陸後、予定の時
間になってもビーバー機は到着せず、真夜中になって消息不明の一報が届けられた。
機長は澤登治義(元陸軍少年飛行兵11期生)34歳で、乗員は伊藤精次整備士
とパシフィック航測測量の安達一之カメラマン、同助手金谷幸佳の4人で、他にパシ
フィック航測測量一人の社員が搭乗したが、この人は大分空港で飛行機から降り運
よく遭難からまぬがれた。大和航空ビーバー機は林野庁のチャッター機で鹿児島県
の航空測量写真撮影のため2ヶ月間の出張途上での遭難となった。
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遭難現場に大和航空とパシフィック 機体の一部が未だ残っている
航測が建立した遭難慰霊碑
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遭難現場 モチダ谷上部 機体が衝突したとお思われるブナの巨木(全体)
湧塚コースの稜線より15分程下った所で、廻りはスズ竹が密生しているにも関わら
ず、遭難現場は全く生えていない
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鋭利な刃物で切られたようなブナの巨木 現場より鹿納坊主↑が眺望される
5月、遭難現場一帯は新緑で彩られていた
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5月上旬前後はツクシアケ 12:00 慰霊祭執り行う
ボノツツジが咲き乱れる
(大崩山の名花)
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弔辞 焼香、合掌
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黙祷 慰霊祭(登山)に参加した祝子川山岳会のメンバー
1960年前後 祝子川山岳会会員MMさんのお話
当事、私達はモチダ谷を登りに、下りは和久塚及び小積コースが一般的なコースとして
登っていました。生物の先生達と虫取り網や植物採集の道具を持ってモチダ谷を登ったり
もしました。現場を通過する度に機体の一部と思われる破片を一箇所に積み上げ、線
香をたいて合掌しました。その後慰霊碑が建てられて 初めてモチダ谷を通る登山者の目
に触れ、その幾人かの人はきっと手を合せてくれたに違いないと思っています
。
1960年の写真・・私の右隣二人目のSさんが、慰霊碑の銅版を運び取り付けて下さ
った方だそうです。
※ホームページ イマテックハイキング部(祝子川山岳会会員)
2007年5月大崩山に、その日の様子が報告されていますので併せてご覧下さい
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